第2話 都は遠かった

雨妹(ユイメイ)はようやく都に到着した。

「くわぁ、どっこいしょ!」

雨妹はおばさん臭い掛け声とともに、乗っていた荷車から風呂敷包を背負って地面に降り立つ。

 荷物は元々多く持っておらず、道中の食事などは宮女を集めている人が出すらしいので、持ち出したのはこの風呂敷に包める程度の衣服のみだ。

 大きなものは家ごと放置してきたので、きっと今ごろ誰かに貰われていることだろう。

 それにしても辺境の村の名は伊達ではなく、ここまでの道のりは非常に長かった。

 前世で「聖地巡りよ!」とか言って中国の地方をバスに揺られて旅した時も遠かったが、ここはもっと遠い。

 なにせ移動手段がロバの引く荷車だ。

 馬車ですらない。

 そして道が悪い。

 雨妹のお尻は早い段階から悲鳴を上げていた。

 そのロバ車ともこれでお別れであるが。


 雨妹が今いるのは、梗の都の隅にあるそこそこ大きな門の前だ。

 ロバ車の中で聞いた話によると、梗の都は中国の長安などと同様に、碁盤の目状に都市設計されており、ぐるりと囲った城壁の東西南北に三つずつ入り口の城門が設けられているのだそうだ。

 どの城門を誰が使うと決まっているわけではないが、真ん中の大きな朱塗りの城門は偉い人が使い、庶民は左右の少し小ぶりな城門を使って出入りするのが暗黙の了解だという。

 というわけで雨妹が今いる都の隅にある城門は、外から梗の都に入る人たちでごった返していた。

 雨妹たちの前を、綺麗な服を着た人たちがこちらをジロジロ見ながら行き交う。

 きっと都会に出て来た田舎娘が珍しいのだろう。

 こちらとしても田舎者なのは重々承知なので、特に視線を気にすることなく周りを観察する。


 雑然とした人通りと、白い土壁と木造の建物。

 そして奥に見える広大な朱色の建物が、皇帝の住まう場所だろうか。

 ――テレビや映画のセットって、かなりリアルに作り込んであったのね。

 前世の記憶を掘り起こしながら、そんな風に感激している雨妹の周りでも、同じ荷車で田舎から後宮の宮女として集められてきた娘たちが目を輝かせている。

 彼女たちも、恐らく一生を田舎で暮らすはずだった娘たちなのだろう。

 その代わりにこれからの一生を、後宮の中で過ごすことになる。

 ――誰かがお嫁に貰うと言ってくれて、なおかつ皇帝からの許可が下りない限り、この景色は二度と見れないわけか。

 そう考えるとしんみりするが、元々一生に一度も見ることがなかった景色だと思うと、この地に立てただけでもいい思い出だと言えなくもない。


 他の娘たちも、初めての都にきゃあきゃとはしゃいでいる。

「いつまでも騒いでいるな、さっさと行くぞ!」

ここまで雨妹たちを連れて来たおじさんが、観光気分の娘たちに舌打ちすると。

「そこ、道を開けろ!」

男の怒鳴り声が聞こえたかと思ったら、騎馬が凄い速度で走り込んで来た。

「うひゃっ!?」

慌てて隅に避ける雨妹同様に、周囲の者たちも道を空ける。

 そんな通行人に謝罪や礼をすることなく、騎馬が走り去っていく。

 残るは、馬の駆け足でモウモウと立ち上がる土煙にまみれた雨妹たちだ。

「ちょっと、あれ危なくない!? 捕まえた方がいいんじゃない!?」

雨妹は舞い上がった土が口の中に入ったらしく、じゃりじゃりするのに腹を立てて文句を言う。

 するとそれに、ここまで雨妹たちを連れて来たおじさんがとんでもないと身を竦める。

「馬鹿か!? あの鎧は近衛だぞ! 物言いをしてみろ、こっちの首がとぶじゃねぇか!」

「へー、近衛か」

雨妹は馬に驚いて、乗っている人の鎧なんて見ていなかった。

 けれど人生初である生の近衛を見ておくべきだった。

 今後見る機会はあるかもしれないが、宮城のエリートである近衛と後宮の最下層の宮女が遭遇する機会が、そうそうあるとは思えない。

 ――いや、これから先は長いんだから、じっくり作戦を練ればイケるかも。

 野次馬根性丸出しの雨妹が一人ニマニマしているのを、他の娘たちは気味悪そうに遠巻きにする。

 同じ田舎者仲間なのに、やはり雨妹は浮いていたが、本人は煩悩に浸るのに忙しいので気にしていない。


 それからおじさんの後について宮城に行くまでの間、雨妹や他の娘たちは視線を通りのあちらこちらにさ迷わせるのに忙しない。

 季節は冬の終わり頃で、辺境の村を出た時は山にしっかり雪が積もっていたのに、辺境より南に位置する都ではそろそろ春模様だ。

 ちらほらと梅や桃の花が咲いているのが見受けられ、観光するにはいい季節である。

 ――まるで修学旅行中みたい。

 雨妹はことを考えながら、屋台で売っている美味しそうな揚げ饅頭に心惹かれる。

 中に餡が入っているのか、甘い匂いがする。

 時刻は太陽がだいぶ高く昇っていて、丁度小腹が空く頃合いである。

 あまりに雨妹がじっと見るので、他の娘たちまでつられて視線を寄越し、誰かが「美味しそうね」と漏らす。

 明らかに歩みが遅くなった一向に、引率のおじさんがため息を吐いた。

「しゃーねぇなぁ。都に来た記念に一個ずつ買ってやるよ」

「「「やったぁ!」」」

はしゃぐ娘たちに、「これが最初で最後かもしれないしな」と小声で呟いたのを、雨妹の耳が拾う。


 娘たちは、後宮で働くということの意味を本当に理解しているとは言い難いのかもしれない。

 地方住まいの者が後宮の規則に詳しいとは思えない。雨妹同様に大した説明をされず、騙されるようにして連れて来られたのだろう。

 事実、ロバ車の中でのお喋りでは、後宮で働くことへの不安など聞こえてこないで、ただ都へのあこがればかりを喋っていた。

 雨妹も不安を煽ることもないと思い、後宮の宮女について語ることをしない。

 雨妹は自ら宮女になるのだが、彼女たちの中には借金の方として売られた者もいるかもしれない。

 だからこそ不安になるのを隠して明るく振舞っているのかもしれないのだ。

 辺境暮らしの雨妹が後宮事情に詳しいと、変に怪しまれると思ったのもあるが。

「都の饅頭は甘いなぁ」

辺境の村では甘味など簡単に手に入るものではなく、口にできるのはせいぜい野に咲く花の蜜だ。

 今世ではめっきり甘いものを口に出来なかった雨妹は、口にした饅頭の甘さに頬を緩めるのだった。

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