第一章 始まりの刻
第1話 都に行きたいか?
砂漠に近い辺境の村で一人で暮らす、十六歳のお年頃の少女である張雨妹(チャン・ユイメイ)には、二つの秘密がある。
一つは、自身に前世の記憶があることだ。
生まれる前の雨妹は、日本という国で暮らしていた。
名前などはわからないが、看護師を定年退職した後の余生を趣味につぎ込み、子供や孫に囲まれて大往生したらしいことは思い出せる。
この趣味というのは華流ドラマだ。
韓流はもう遅い、今の流行りは華流だとばかりに華流ドラマにどっぷり嵌っていた。
友人と一緒にファンイベントのために中国へ何度も旅行したものだ。
そして生まれ変わっても何故か前世の記憶がある事に首を傾げながら、自分が生まれたのは、昔の中国によく似た異世界であることを知るのである。
華流ドラマも、タイムスリップものや古代中国によく似た架空世界ものなど、色々なジャンルが派生していた。
だがまさかその最たる架空世界トリップを、自分が身をもって体験するとは思いもよらず。
雨妹が生まれたのは崔(サイ)という国の辺境であり、首都は梗(キョウ)。
ちなみに辺境の村には名などない、ただ辺境の村と呼ばれるだけだ。
そこの村はずれにあるボロ家に住んでいて、家の前の痩せた小さな畑の作物と、近くの山の恵みで食つなぐ毎日である。
そんな前世の記憶持ちの雨妹のもう一つの秘密は、ここ斉の国の皇帝のご落胤――かもしれないということだ。
実は雨妹の母は、後宮の妃嬪(ひひん)であったと聞いている。
皇帝のお手付きとなり赤子を産んだが、位があまり高くないことから嫉妬を受けた。
赤子の父は皇帝ではなく連れ込んだ男の種だと噂を立てられ、後宮を追放されてしまったらしい。
後宮を出された女は、尼寺に入り一生を終える。
生まれた赤子もろともに尼寺入りしたが、母は人生に絶望したのかやがて自殺。
残された赤子の雨妹は七歳までは尼寺で育ててもらったのだが、その際に尼たちの噂話でこの一連の話を聞かされたのだ。
だがこの話が真実だという証拠の品もなく、雨妹としては信じていいものかと半分懐疑的でもある。
七歳になった雨妹は、このままここで尼となって暮らすか、尼寺を出て暮らすかを選ぶように言われた。
どうやら七歳は本格的に修行を始める年齢らしい。
この時の雨妹は、せっかく中華な異世界にやって来たのに、狭い世界だけで一生を暮らすなんて御免だと考え、即答で尼寺を出る選択をする。
正直に言えば尼寺の主は、尼寺育ちの子供が外の世界を望むと思っていなかったらしい。
世間がどれほど恐ろしいことにまみれているのかを懸命に語ってくれたが、雨妹の決意は変わらなかった。
だが選択肢を提示してくれたので、公平な人だなと感じた。
その尼寺の計らいで、雨妹は現在今のボロ家に住めているのである。
こうした複雑な事情で辺境の村に住んでいる雨妹だが。
この狭い社会では、生まれた頃から同じ顔を見て育ち、ゆえに誰と誰がくっつくかなんて昔から決まっているようなもの。
そんな環境で雨妹は、結婚相手としてお得物件とはお世辞にも言えない存在である。
なにせ雨妹は父は物心ついてから今まで見たことなく、母はとっくに死んでおり、財産なんてものは持っていない。
しかも容姿が人目を惹く華やかさであるわけでもなく、十把一絡げの平凡な顔立ちに、女の魅力がさして感じられない平坦な身体つき。
唯一人に褒められるのは、このあたりでは珍しい青い瞳と、髪が綺麗だということくらい。
雨妹の髪は、夜空のような青みを帯びた不思議な色の黒髪だ。
自分でも密かに気に入っていたりするが、そんなものは女らしい美人の前では意味をなさない自慢である。
そんなわけで同世代の娘たちが結婚相手をさっさと決めて行く中、未だに一人寂しく暮らしている雨妹の元に、ある日村長がやって来て言った。
「のう雨妹、都に行きたくはないかね?」
「はぁ?」
雨妹が眉をひそめつつ話を聞けば、今朝がた役人がやってきて言われたことによると、なんと都の後宮での宮女となる娘を集めているのだという。
この辺りの村々で全部で十人、この村から最低一人は誰かの娘を出さなければならないと、そういうことらしい。
「どうだ雨妹、ここで一人暮らすのも色々と辛いだろうし、都へ行ってみては?」
村長はニコニコしながらそんなことを言う。
後宮の宮女はそこに住まう皇帝や妻たちの使用人。
炊事洗濯に掃除など諸々の雑務をこなす存在だ。
それでも後宮に入るからには、皇帝のお手付きになるかもしれない身分である。
故に後宮入りした女は、いくつか例外はあるものの基本外に出れない。
出る時は皇帝から臣下に下げ渡される時か、母のように尼寺に入る時、もしくは死んだ時。
つまりは女の一生を棒に振る可能性大なのだ。
親としては娘をそんなところにやるよりは、近くの男の元に嫁いでもらいたいというわけか。
宮女といえども女官に出世する道もあり、ゆくゆくは国母になる可能性だって無きにしも非ずだが、そんなものは絵物語の中のこと。
よほど食い詰めて金に困っている家でなければ、娘をそんな場所に送り出したくないらしい。
――まあ、わかるけどね。
そして雨妹は将来を誓い合った相手がいるわけでもなし、後宮の宮女になるのにさほど困ることはないと思われているに違いない。
そしてこの辺境の村と同じ理由で、人口が多いとはいえ都でだけで宮女集めをするわけにいかない。
都の女をたくさん後宮の宮女にすれば、都の男たちが余ることになり、出生率が下がる。
即ち国の収入が減る未来に繋がるのだから。
故に宮女集めは国全土から均等に、ということなのだろう。
昔の中国でも、人さらいのごとき美女狩りで宮女を集めていた時代があったらしいが、やはり弊害があって禁止になったはずだ。
――にしても、こんな辺境でまで女を集めるとか、皇帝はどんだけ女好きなんだか。
雨妹は内心呆れてしまう。皇帝、すなわち雨妹の父親(仮)であるが。
そして村長の話も、要は村の若い娘を出したくないため、村はずれで一人で暮らすよそ者の雨妹への体のいい厄介払いなのだ。
雨妹の素性からすると、後宮というのは最も近寄りたくない場所であろう。
なにせ母がいびられて追い出された場所なのだから。
――妃嬪っていっても、美人だったって話だけどね。
美人という位は、皇后を頂点とする皇帝の妻たちの中でも下位のものだ。
それに元々母は宮女として後宮入りし、容姿は平凡だったが髪の美しさが皇帝の目にとまってお手付きとなった。
ちなみに雨妹の髪の色合いは母譲りである。
そして子が出来たために美人に位が上がったという経緯であると聞いた。
つまりなんの縁故も持たない女だったため、子を生したことで上の方々の嫉妬をまともに受けてしまったのだ。
やはり後宮という場所は、女の怨念が渦巻く魔界なのだろうか。
けれど一方で、前世であれだけ画面越しに見た後宮というものに少しだけ興味があるのも事実である。
それに、どちらにしろいずれ辺境から出て行こうと思っていたのだ。
辺境で枯れ果てる人生を送るつもりなんか、雨妹にはさらさらない。
「わかりました、行きます」
「そうか! 行ってくれるか!」
雨妹が話を受けると言うと、村長は諸手を挙げて喜んだ。
――私みたいな平凡女が、後宮でどうこうなるわけないしね。
雨妹は「生の後宮を見てみたい」という、己の欲望に負けて楽観的に考えた。
この時は母が平凡な容姿だったにも関わらず、髪の美しさの一点で妃嬪となったということをすっかり忘れていたりする。
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