第3話 お待ちかねの後宮
いよいよ宮城までやって来た。
雨妹(ユイメイ)たちが宮城の広大な敷地の端まで移動すると、引率のおじさんがいかにも通用口といった風の木戸を叩く。
恐らくこちらが後宮側なのだろう。
中から木戸が開き、おばさんが現れた。
「ふん、全員健康な女子(おなご)だろうね?」
「もちろん、それが一番の条件でさぁ」
ジロリと鋭い目つきで雨妹たちを品定めするおばさんに、おじさんがへこへこと頭を下げながら告げる。
「じゃあなお前ら、しっかり働けよ」
雨妹たちにそう声をかけたおじさんは、中身が重そうな袋を受け取ると、さっさと立ち去っていく。
「全員、ついておいで」
残された雨妹たちに、おばさんがそう告げる。
そうしておばさんに連れられて、いよいよ後宮の中に足を踏み入れた。
娘たちは緊張したように、雨妹は好奇心で爛々と目を輝かせて、おばさんについて木戸をくぐっていく。
そして入ってまず目についたのは、白い土壁と木造の建物だった。
通りから見えた朱塗りの建物とは違う、要は普通の庶民の家だ。
洗濯物が干してあったりゴミのようなガラクタが散乱していたりと雑然としており、宮女であろう女たちが数人ウロウロしている。
どうやらここは彼女らの仕事場らしい。
そのまま集会所のような建物に連れて行かれ、まず行われたのはおばさんによる身体検査だ。
「全員、着ている物を全部脱ぎな」
おばさんの言葉に、雨妹以外の娘たちが固まる。
後宮は皇帝の住まう場所。
そこに入るのに身体検査は必須だろう。
それ以外にも、処女であるか、性病などを持っていないかも調べるのだが。
そのため、かなり際どい所まで調べ上げる。
雨妹は想定していたので覚悟を決めていたが、他の娘たちは泣きそうになっていた。
だがこの場に宦官がいないだけマシだと思う。
身体検査の後、色々と聞き取り確認していく。
年齢、健康状態などなどだ。
これらのことが済んだら、おばさんが宮女の仕事場を案内する。
台所や食堂、厠などの細々した場所の説明をして、最後に宮女の宿舎であろう家屋の大部屋に連れて行かれた。
「ここが今日からの、あんたたちの寝床だよ」
中は屏風で仕切られており、数人が寝ている息遣いが聞こえる。
夜勤の宮女たちだろうかと推測しつつ、おばさんに振り分けられた自分の場所に向かう。
「なるほど、こんなもんかな」
雨妹は屏風で仕切られた空間に入り、概ね想定内だと頷く。
そこには床几(ショウギ)というベッドのようなものと、荷物を入れるのであろう竹で編まれた丸い箱があった。
ここだけが雨妹の自由な空間だ。
これも恐らく出世すれば、いつかは個室を手に入れられるのだろうか。
床几の上には、宮女のお仕着せが用意されていた。
――おお、木綿だ!
雨妹は与えられた木綿の服に感動する。
これまで生地と言えば麻布だったので、暑い時はいいが寒いと風を遮らなくて凍えてしまっていた。
重ね着しても風の通り具合はあまり変わらないので、寒さが厳しい時には毛皮を羽織って暖をとる。
前世での毛皮のコートなんていう洒落たものではなく、まさに動物の毛皮を剥いだものをそのまま羽織るのだ。
我ながらどこの盗賊かと思ったものである。
それが木綿の服を着ただけで、都会に来たという気分になった。
それは他の娘たちも同様のようで、屏風の向こうできゃあきゃあとはしゃぐ声がする。
田舎の事情というのは、どこも大して変わらないらしい。
全員荷物を置いて着替え終わると、再びおばさんの元に戻る。
大部屋なので貴重品などは置かずに身に着けておく必要があるだろうが、生憎雨妹には盗られそうなものは持っていない。
ただなにかに使うかと思い、荷物から布を二枚出して帯に挟み、集合場所へ向かう。
再び集まった雨妹たちに、おばさんが仕事を振り分ける。
「あんたたちの主な仕事は掃除と洗濯だ。しっかりやりな」
そう言って雨妹たちを洗濯組と掃除組にわけた。
洗濯と一言で言っても、後宮に暮らす人数は、宮女たちを含めれば千なんて軽く超える人数だろう。
恐らく一日中洗濯物と格闘する毎日に違いない。
それに偉い人が着る絹の衣なんかを触らせるなんて夢のまた夢で、まずは宮女たちの洗濯物を洗うところから始めるのだろう。
そして掃除については言わずもがな。
後宮の広さを考えると、軽く掃いて終わりなど考えるのは愚かというもの。
きっと体力との勝負に違いない。
「まあ最初だし、一応選ばせてやるよ。掃除と洗濯、どっちがいい?」
おばさんに希望を聞かれる。
「はい! 掃除がいいです!」
雨妹はすかさず掃除組を希望した。
せっかく後宮に来たのだ、出来るだけ行動範囲を広げたいではないか。
最初はそれこそ宮女の住まい周辺の掃除だろうが、認められればきっとお偉いさんがいるあたりの掃除に回してもらえるはず。
雨妹は好奇心を満たすためなら、労力を惜しまないのだ。
それに掃除が苦になる性格でもない。
雨妹が意思表示をしたのに釣られたのか、他の娘たちもポツポツと希望を話し出す。
なにも言わずともおばさんが自動的に振り分けるのだろうが、自分の希望で就いた仕事の方が、本人もやる気が違うだろう。
「それじゃあ、それぞれの世話役から話を聞きな」
そう告げたおばさんに呼ばれて寄って来た数名の先輩宮女が、分かれた二組をそれぞれ連れて行く。
雨妹に宛がわれたのは、二十代の女だった。
そこそこ美人な顔立ちな上に実に女らしい体型で、きっと男に声をかけられることが多いのだろうと推測できる。
「今は人手が足りないんだから、新人だからって楽できると思わないことね」
女は初っ端からそんな風に威圧的に言ってくるが、雨妹はムッとしたものの黙っておく。
こちらがなにも反応しなかったのが面白くないのか、女は鼻に皺を寄せて睨みつけると、箒と塵取りに雑巾が入った桶を放り投げる。
「ついてきて」
雨妹は地面に落ちた掃除道具を拾って、言われた通り付いて行く。
てっきり宮女の住まい周りの掃除かと思いきや、宮女の宿舎近くを離れて結構奥の方に連れて行かれる。
――っていうか、どこまでいくの?
そして到着したのは、妃嬪の住まいらしき建物だった。
「アンタはここの掃除だ。綺麗に磨き上げな」
それだけを言って、女は元来た道を戻って行く。
「誰の住まいだとか、細かい説明は無しかい」
一人残された雨妹は、女の姿が見えなくなったのを確認してぼやく。
建物を確認すると、外の回廊を通って室内に行く形の間取りらしい。
ぱっと見、ちょっとお洒落な庶民の一軒家だが、窓にガラスが入れられているのが高級感を出している。
立地も宮女たちの区域に近い隅の方だし、後宮の妃でも比較的下位の妃嬪の住まいと見た。
続いて窓越しに屋内を確認したところ、家具類がきちんと整っているので、この建物は空き家ではなく住人がいるらしい。
だが人の姿がなく、現在は留守のようだ。
――それにしても、汚くない?
下位とはいえ、もしかしたら皇帝が来るかもしれない場所なのに、なんだか全体的に埃っぽい。
それに天井に蜘蛛の巣が見えるのだが。
今まで誰か掃除していたのだろうか。
とてもそうは思えないが。
「一人でこれを掃除しろと」
一人残されたというのは、そういうことなのだろう。
しかし現在時刻は昼をとうに過ぎているため、夕食までの時間はあまりない。
この国は基本一日二食だ。
なにせ暮らしは夜明けと共に起きて日暮と共に寝るのが普通。
夜を照らすのに電気の明かりなどなく、行灯やろうそくの明かりで夜を過ごすのが精々である。
だから一日の活動時間が現代日本よりも格段に短く、二食で事足りるのだ。
だから日本人的には、少し遅い午後のおやつくらいの時間に夕食を食べるので、昼を過ぎると夕食へのカウントダウンが始まっているというわけである。
なので、雨妹に与えられた掃除時間は短い。
「ようし、やってやろうじゃないの」
雨妹は困難に直面すると燃えるタイプであった。
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