*紐解き作業・二
「はあ~。だるい」
男が首を回し、よれた暗いスーツを煩わしく整えながら警察署内を歩く。
四十も過ぎてそろそろ薄くなってきた頭髪を、どうしたもんかと悩む日々に若かりし日はナイスバディであった面影も今や皆無な嫁は完全スルーして久しい。
ふと、受付にいる男二人をいぶかしげに感じ眉を寄せた。
「なんだ、あいつら」
「ああ。昔の事件を知りたいとかで」
それを通りすがりに聞いていた後輩が立ち止まって説明する。
「なんの事件だ?」
「ほら。十四、五年くらい前にあった強盗殺人ですよ」
「ああ。そういや、あったな」
それをなんで、外国人なんかが知りたがっているのか。あれは悲惨ではあったが、注目するような事件でもない。
「ていうかだ」
捜査内容を部外者に教えられる訳がない。そんなことは関係者でも難しい。追い返されて終わりだろう。
そう思っていた男の目に奥に通される二人が映り、そんな馬鹿なと信じられない気持ちで思わずあとを追った。
──長机とパイプイスが並ぶ、そっけない部屋に通されたラクベスたちは腰を掛けることもなく、要求したものが届けられるのを待っている。
データにも起こしてはいるが他の捜査資料を見られないためだと言われ、署員が紙の資料を探しに行ったのだ。
別の署員が二人にコーヒーとお茶菓子を届け、古い事件なのでもうしばらくかかると聞いて仕方なく腰を落とす。
処分されていないだけましだと、二人は紙コップに入れられたインスタントコーヒーを傾ける。
「おい。なんだって、あいつらに捜査資料を見せるんだよ」
男は二人のいる部屋の扉を睨みつけ、コーヒーを運んで出てきた後輩を呼び止める。
「俺にも解りませんよ。ただ──」
上からの命令だって。
「うえ? 署長がなんで」
「署長なら署長からだって言いますよ。そうじゃなくて、さらに上からだそうです」
それを聞いてますます男は目を見張った。あいつらは何者なんだ。ただの外国人じゃないのか。
捜査資料が入っている段ボール箱を抱えた署員がやってきたのを見た男は、しれっと後ろについて一緒に部屋に入る。
「お待たせしてすいません。これが資料です」
「ありがとうございます」
感じの良い口調に署員は笑みを見せる。
「見終わったら受付に渡してください──うわなに!?」
振り返った先に男がいて署員は思わず声を上げた。
ラクベスとパーシヴァルは、てっきり二人で来たのだと思っていたがどうやら違うらしい。
「ちょっと夢木さん。何してるんですか」
「いいからいいから」
「何がいいんです。ちょっと──」
署員を追い出して二人に向き直る。
すると、いち連のやり取りにどうかしたのかと二人がこちらを無言で見つめていた。
「あ。あ~」
ちょっと恥ずかしくなって視線を外す。
「なんでしょうか」
「あんたら。何を調べているんだ」
丁寧な物言いの青年に男はいささか緊張したのか若干、声がうわずる。彼らが日本人ではない事も理由の一つだろう。
「
「調べてどうする。あんたらは関係者か」
「いえ」
「だったら、捜査資料を見せる義務はねえよな」
「名前は」
「あ?」
「俺はパーシヴァル・アルバート。こっちはジョン・ラクベス」
名乗ったからそっちも早く名乗れとパーシヴァルは視線で威圧する。
「
「刑事課だよな。強行犯捜査係?」
「そうだ」
なんだこいつ。パーシヴァルとか言ったか。日本の警察について割と詳しいような素振りをしていやがる。
ハッタリじゃないよなと夢木は警戒するように目を眇めた。
「悪いが。課長クラス以下には俺たちについても、調べている内容についても、何も言えない」
事情があれば別だがなと付け加える。
「すいません。こちらにも規則があります」
「どこの国の機関だよ」
「我々は国に属す組織ではありません」
ぼろを出してはくれそうもない。しばらく黙ってもそれ以上の説明はなかった。
「どこぞの詐欺師か?」
「そう思ってくれても構わないぜ」
「そうかい」
俺がどう思おうと、こっちには捜査資料を見る権限があり、お前には阻止できないと暗に言われている。
むかつくが署長が許可したのなら実際にそうだ。
「犯人は死亡?」
ラクベスは資料を見て苦い表情を浮かべた。
「ああ。自殺だよ」
夢木は視線を向けずに仏頂面で答えた。
「何か知っていますか」
彼の口調からして、この件について記憶していることがあるようだ。
「被害者に報告に行ったのは俺だ」
「詳しく聞かせてもらえませんか」
「詳しくも何も。そいつが自殺したってだけだ」
「自殺するような奴なのか」
パーシヴァルの質問に夢木は眉を寄せた。それだけで、自殺に違和感を示していることがわかる。
「吉佐は模範囚だったことで十五年の刑期が縮まり、十年そこそこでムショから出た」
模範囚を通したのは凄いが、早く出るために継続させたに過ぎない。
「現にあいつはムショから出てすぐ、職探しをするでもなく。町をぶらついてカツアゲをやってた。喧嘩なんて日常茶飯事だ」
そんな奴が自殺? あり得ない。
「それでも、自殺以外には考えられなかった」
設置されていた防犯カメラがそれを物語っている。
「どんな風に死んだんだ」
「線路に入って電車にひかれたよ。何かに誘われるようにしてな」
それを聞いた二人は見合い、表情を険しくした。
「彼はそれを聞いてなんと?」
「あ? 特には何も──そりゃあ、口元が緩んではいたがよ」
家族を殺した奴が死ねば、ちょっとは喜ぶだろうし。
耳を傾けつつ箱の中身を探っていたラクベスの手が止まる。眉間に深いしわを刻み、手にしたものをゆっくりと持ち上げた。
ジップ付きの袋に入れられた血まみれの淡い水色のシャツは、吉佐が死んだときの状況をまざまざと見せつけていた。
しかし、ラクベスが眉を寄せたのはシャツに記された凄惨な跡ではなく、二人にしか見えない、どす黒い意識の残りカスだ。
「これに長いあいだ触れましたか」
「鑑識なら触ってたかもな」
なんでそんなことを聞くのかと夢木は顔をしかめる。
ラクベスはシャツをじっと見下ろすと、右手を前に出し目を閉じた。ほんの数秒、閉じていた目を開きシャツを戻す。
夢木はふと、微かではあるが彼が目を閉じたとき、耳の奥で何かが弾けるような音を聞いた気がした。
「ありがとうございます」
「もういいのか」
「はい。直接、話が聞けて良かったです」
資料を全て箱に戻すと、それを持ち上げて受付に向かう。夢木は一体、何だったのかと同じく部屋を出た。
「借りていた資料をお返しします。佐々木さんにもありがとうと伝えてください」
丁寧に箱を返し、出て行く二人の背中を夢木はしばらく見つめていた。
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