こはいみづみつきんぎよだまにみつ

田中目八

こはいみづみつきんぎよだまにみつ

「え?」

 背後に気配を感じる。

 居候が朝めしを食べて戻つてきたやうだが、どうやらその際に何か云つたやうなのだ。

「いま、何と云つたかね?」

 私は丁度金魚玉の掃除をして水を入れ替へてゐる最中だつたので、彼の方へ背中を向けたまま首だけを回して聞き返した。

 すると彼は、金魚玉をゆび差し「こはいみづみつきんぎよだまにみつ」と、恐らくさつきと同じことを云つた。

 普段からよく分からぬことを突然云ひ出す奴なので慣れてはいるのだが、今日はさつぱり分からぬ。この金魚玉に何か問題があると云ふのだらうか。


 そもそもこの金魚玉は彼が気に入り、どうしてもこれがよいと云ふので、かなり大きい上に職人の手作りで一つしか無いと云うもので随分な値段だつたのだが、大変丈夫で余程のことが無い限り割れる心配も無く、一生ものですよと店の者もすすめてくるので清水の舞台、で大奮発して購つたものだ。

 確かにもう何年も遣つてゐるので購つたときのままとは云はないが、かうやつて小まめに掃除をしてゐるし、どちらかと云へば綺麗な方だらうと思ふ。


「ふーむ」と私があまり気のないやうな、曖昧な返事をして水の入れ替へを仕舞ひまでやつつけて仕舞ふと、彼は「はう……」と腥ひため息を吐き、後じさりしながら「みづこはいみづこはい」つぶやくやうに繰り返すと、仕舞ひに甲羅を向けて出て行つて仕舞つた。


 何だつたのだ……と思ひつつ、一仕事終へたので珈琲でも淹れて一服つけやうと、薬缶に水を入れ火にかける。つひでに煙草を取り出し火をつけて一口吸ひ、ぷうかりと煙を吐くと、私は金魚玉を観察するやうに眺めた。

 ……やはり何も問題無いやうに見える。むしろ綺麗になつたのだから清々しい、気持ちのよい感じがするではないか。

 と、考へるのをやめてぼんやりしてゐると、ぴい、と薬缶が沸いたと知らせるので私は何時ものやうに、いや、何時もより心持ち丁寧に珈琲を淹れた。

 珈琲のよい香りが彼の残した腥ひため息を打ち払ふ。

 私はその香りを充分に楽しむと気に入りのマグカツプに注ぎ、少しとろり、とした液体を口に含んだ。

 気のせいか、いや、やはり一仕事の後だからだらう、何時もより格段に美味く感じる。ゆつたりと液体を喉に流し込み「ぬふう……」と鼻からため息を洩らすと、さつきの彼のため息を思ひだして、思はず苦笑ひをして仕舞つた。


 彼はまだ戻つて来ない。

 私は珈琲を飲み干し、マグカツプを置き、再び金魚玉に目をやると、やれやれ、どうやら金魚を購ひに行かねばならないやうだな、と独り言ちた。(了)

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こはいみづみつきんぎよだまにみつ 田中目八 @tamagozushi

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