第3話 澤田一成君


――あいつ、きもちわりーよ。


 思い起こされる光景がある。

 朝の強い日差しが霞むような、陰鬱な空気。

 机の前に立ち尽くす、黒いランドセルを背負った後ろ姿。

 聞こえるか聞こえないかの距離を置き、にも関わらず声を潜めることなく堂々と、そう言い捨てていた誰か。

 慣れもあって、自分もさんざん「あいつ」に向けて似たようなことを、その頃は面と向かって言っていたけど、その誰かがそう口にした瞬間、凄まじい嫌悪感がこみ上げてきた。


 それだけ。


 幼い僕は嘲笑に乗っかることもなかったけど、咎めることもしなかった。

 ありがちな、無意味な正義感と自己満足だ。

 これほど不誠実なことはないのに、そしてそれを「あいつ」はきっと知っていただろうに、それでもいつものように傍にいた。



「河田ァ、俺にアイスおごるゲームしないー?」

「うん。財布忘れたんなら忘れたって言おうな。うさみみ大福だっけ?」


 なんとかさんを澤田がフったその日の帰り。

 それまで、あんなショッキングな出来事があったにも関わらず、しれっとした態度でテスト範囲の話をしてた奴は、急にテンションが切り替わった。

 7がつくコンビニの前で立ち止まって、何かを企むような顔つきをする。

 いや、するだけなんだけど。

 一緒に帰ってた高木が「会話がおかしい」とつぶやいてた気がするが、取り合うスキもない。

 僕の返答に、ふるるるるっフウ!!なんて叫び声をあげながら、奴はコンビニに飛び込んでいく。


「マスター、いつものおでんを、客人に」

「アイスは!? あとお前も客人!!」

「お、で、ん!! お、で、ん!! ふるるるるっフウ!!」

「聞いてよ!!」

「うん、高木。たぶんコイツ、目に映ったもの適当に連呼してるだけだから。あと、澤田……澤田。嬉しいのはわかったけど、店員さんに飛び掛かるのやめような。うちの学校ちょっとアホだって思われる」


 顔をこわばらせてカラーボールと澤田を交互に見始めた、若い男性店員に、僕は頭を軽く下げると、店内にいた他の客の視線が突き刺さる中、興奮状態でレジカウンターになだれ込んだ澤田を捕獲。

 高木と一緒になって、澤田をアイスコーナーへと引きずって行った。


 高木もなんだかんだでアイスが食べたくなったらしく、ショーケースを覗いて、めぼしいものを取ると、うさぎ型のトレーに入ったアイスを指さして澤田に声をかける。



「うさみみ大福……ああ、あった。なあ、新発売のチョコミント味と普通のどっち?」

「は? 普通ではなく至高だろう。チョコミントのようなカオを晒すんじゃない土下座をしろ」

「黙れよイケメンッ!! 人の顔を勝手に腐乱させんな!! っていうかなんでアイスでそこまで!?」


 酷くない!?と涙声になる高木を無視して、僕は王道のバニラ味をカゴにバサッと放る。

 なんだかんだで高木も大分うるさい。

 こいつらまとめてうるさい。


 澤田は高木に飽きたらしく、再びおでんコールを始めたそうに、ぶつぶつと何か呟いている。

 いよいよ店員さんがプルプル震えながら、カラーボールが入った箱を自分の方へ寄せて、こちらを注視してきた。

 僕は二人に先に店から出るように言うと、二人の分のアイスも精算を終わらせて、後にした。



「澤田ってわりと普通?」


 店を出ると、コンビニの駐車場前にある、キャスターがついた小さな看板に、布団のように覆い被さっている澤田がいた。

 高木がヤンキー座りをしながら、それにそんなふうに話しかけていて、澤田はくぐもった声で「ん?」と応じる。僕は近寄りながら耳を傾けていたけど、その次に続いた高木の言葉に、思わずぎくりとして足を止めた。



「普通っていうか、我が強いっていうかさ、いじめに加担してるやつらも見てるだけの奴らもかたっぱし横ツラ叩いて回りそうなイメージなんだよな」

「はあ? ……あー、もしかしてなに? もう噂になってますー? これだからモブ女は嫌いなんだよ。高木みたいに」

「……そろそろ泣くよ」

「ははっ。やめろ不細工。お前の顔じゃ涙はアクセサリーに変えられない」

「オイ!!」

「というより、つまらない話はやめてもらえないか。俺は内面的な醜さが一番嫌いなんだ。あんな脇役美人が、その他大勢のモブと一緒になってグチグチ言ってくるのなんて、そりゃ屁でもないが、お前らみたいなのに変に心配されるのはイラつくんだよ。ほら泣け」

「意味わからないよ台無しだよ最後のいらないんじゃない!?」

「おお、河田おかえり」

「無視!?」


 僕に気がついた澤田に、すぐに言葉を返せなかった。

 それでも澤田は看板から降りて、高木とじゃれあいながら歩き出してしまう。


「……」


 空が染まりきる間際の彩りに、街が染まっていく。

 賑やかな二人の背中を見つめながらしばらく歩けば、いつの間にかずいぶん遠くまで歩いていたらしい。

 高木が別れを告げて、僕たちから離れていった。


「また傾いているな」


 高木の背中を見送っていると、澤田が急にそんなことを言い出した。

 てっきり僕と同じようにしていると思っていただけに、まっすぐ向けられた顔にぎくりとしてしまう。


「なにが?」

「お前が」


 何言ってんだこいつ。


「悩むとすぐにこうなる」

「ああ、物理的にってことな」

「そういうことだ」

「そっか」


 思わずいつも傾いてるのはお前だろって言いそうになって、黙った。

 沈黙が痛い。

 澤田もまるで普通の人みたいに大人しいから、何をいえばいつもの調子に戻るのか僕には分からなかった。


 そこでまた気づく。

 僕は今、澤田に怯えていた。

 だから


「河田、お前も知っているだろ」

 

 澤田の言葉に心臓の動きがぎこちなくなる。

 さっきのラブレターと、古い思い出のランドセルがぎちりと重なって、眉の間が疲れて、


「お前は愛すべきバカだ」


 一気に力が抜けた。


「……は? はぁ?」

「気色が悪いものにも触ろうとするし、まるで旅館の女将かホテルマンだ。けどそれは素顔であるから行き過ぎている。だから愛すべきバカだ」

「わけがわからないよ。なに、天然ってこと?」

「おう」

「わけがわからないよ」


 思わず笑ってしまうと、澤田がにやりとした。

 意味有りげなのに意味がなさそうに見せるのは、なんでだろうか。

 とにかくその顔つきで僕はなんだかどうでもよくなって、自然と口が動き出した。


「お前さ、いじめ嫌いじゃん?」

「ブスがきらいだ」

「あ、うん、そうなんだけど……。それって小学生のときにあった事も関係あるだろ?」

「……」

「覚えてない? 僕のクラスでいじめがあって、転校しちゃったやついたじゃん。お前が仲良くしてたやつ。今日のことで僕やっと思い出したけどさ、お前ずっと引きずってたんじゃないか? ていうか」


 そこで僕は言葉を区切って、途方に暮れた。


「……。河田?」


 澤田が不思議そうな顔で僕を見る。

 それでも続けられない。

 僕は僕の言葉を振り返りながら、その先の無意味さに気づいた。


 これは、自己満足だ。


「ごめん。用事あるから先に行くわ」


 思うが早いか、居たたまれない気持ちに押されて僕は澤田にそう言い捨てると、澤田の横をすり抜ける。


「高木はただのバカじゃないですか」


 その直後、澤田が静かに言葉を投げてよこした。

 ぴたりと足が止まる。


「でもいい奴です。あれも愛すべきバカに分類されるのです」

「……」

「自分を貫かなければ、ああはなれません。俺はああいう貫き方を大変好ましく思います」

「さわ……!?」

「お前があの時貫いたものはなんですか」


 さら、と風が吹く。

 夕焼けに照らされたそいつの顔は、妬ましいくらい良い顔で、すごく柔らかだった。




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