第40話 魅惑の香り
異臭騒ぎからの休日の昼下がり。
書庫から借りた本とお菓子を持って神殿の庭園に来ている。シュナンとビションフリーゼも一緒だ。木陰の芝生に寝転んでいると、だんだん睡魔が襲ってきた。
「早起きしたから眠くなってきたよ。」
「シュナンちゃんはぐっすり寝てるワよ。」
隣に寝転んでいたシュナンが体を丸めて寝息を立てていた。読書を一旦止めて空を仰ぐ。青い澄んだ空に白い雲がひとつ。またひとつ。モコモコした感じが羊に見えてくる。綿菓子にも似てて美味しそう。
眼鏡を額にずらして読みかけの本で顔を覆った。少しだけ眠ろう。
「・・・ロザリオ?」
気持ち的には数分位寝ていた感覚だったが、声をかけられて本の隙間から目だけを覗かせた。すぐ近くに紫色の瞳が見えた。シュナンとは違う涼しげな目元。
「・・・セイヴァル様?」
そういえば、セイヴァル様は朝からお城に戻ると言ってたっけ。
寝転んだままでは失礼なので、体を起こす。シュナンはまだ気持ち良さそうに私の隣で寝ていた。ビションフリーゼは・・・。
セイヴァル様の肩の上だ。
驚いた様に紫色の瞳を見開き、私の顔を凝視しているセイヴァル様。涎でも出てるかなと思って顔に手をやると、額にあった眼鏡が顔の方にずり落ちてきた。無言でそっと眼鏡を直した。
セイヴァル様はその様子を見てフッと笑った後、私の隣に座った。兄やシュナンにはない丁度良い感じのパーソナルスペースだ。
「お城のご様子はいかがでしたか?」
私はまだ判然としない頭で問いかけてみた。
「相変わらずと言ったところかな。スノーシュー国から呪術師を招いたりしてるけど、どうだろうね。
オレは今のキャルロットの状況を報告しに行っただけだから。」
呪術師・・・。
呪術の本で見た高名だと言われる呪術師の暗い目をし痩せた顔を思い出す。
「あ、そうだ。
コレ、皇都の限定スイーツだって。貰い物で悪いんだけど。」
セイヴァル様からピンク色のリボンのついた四角い箱を渡された。
「ありがとうございます。
開けてもいいですか?」
こ、これはまさか。
あの、幻の・・・。
「もちろん。」
ゴクリと唾を飲み込んでからピンク色のリボンを解いて箱を開けた。
やっぱり。
皇都で人気のお菓子屋さんの、限定10個、濃厚生クリームたっぷり☆イチゴと3種のベリーのカップケーキだ。開店後、数分で完売してしまうので一度も口にしたことがない。
「食べたら?」
「・・・いただきます。」
鼻腔をくすぐる甘い魅惑の香り。
この誘惑には勝てない。
たぶんセイヴァル様の目には涎を垂らして『待て』状態のワンコに見えたことだろう。お行儀悪いけど、フォークがないのでそのまま手掴みでかぶりついた。
「あ~幸せ~♡」
口いっぱいに広がるイチゴとベリーのほどよい酸味と濃厚生クリームの絶妙なハーモニー。
「ロザリオっ。アタシにも一口ちょうだいっ。」
今までセイヴァル様の肩の上でうっとりしていたビションフリーゼが、甘い物の香りで我に返ったようだ。イチゴに生クリームをつけてビションフリーゼの嘴に手を伸ばした。
「ロザリオの顔、生クリームまみれなんだけど。」
セイヴァル様が笑いながら、私の口についた生クリームを指で拭った。そのままその指を自分の唇に運んでペロッと舐める。
「甘いね。」
激甘なのはあなたの方ですよ。
ケーキの残りを口に入れてハンカチで口元を拭いた。視線に気付いてセイヴァル様の方を見る。何か話があるのかと待っていたら、無意識にセイヴァル様と見つめ合う形になっていた。
「その眼鏡が無かったらヤバイな。」
「え?」
「金色の瞳は人の心を惑わし、狂わせる。」
セイヴァル様の紫色の瞳が揺れる。
不意に、眠りから覚めたシュナンが、後ろから抱きついてきた。
「そうか、お前はもう魅了されたのか。
キャルロット。」
シュナンの表情は見えない。
セイヴァル様が何を言いたいのかわからない訳ではなかった。ラグドール皇国の長い歴史の影に神に仕える大神官の姿が見え隠れする。謎の多い金色の瞳の噂に、良くも悪くも尾ひれが付いただけにしか過ぎないと思うんだけど。数千年も前の初代女性大神官は当時の大皇様を誑かしたとかなんとかで、結果、大規模な戦争まで発展してしまったらしい。普通なら悪女として後世に伝わりそうだけど、その後の高い功績の為か歴史の中では有耶無耶にされたようだ。
「シュナンちゃんとロザリオって、本当に姉妹みたいに仲良しさんだワ。」
ビションフリーゼがセイヴァル様の肩の上で片羽根を広げて言った。
「そう?
キャルロットの目は完全に男の目になってるけど。」
シュナンの男の目?ちょっと見たいかも~っ。
振り返ってみたけど、私の背中にくっついてるので見えなかった。
「でも、確かにこればっかりはしょうがないよね。
金色の瞳に魅了されたら。」
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