第38話 父の涙
コラット神殿研修4日め。今日は休日。何となく早く目が覚めたので、一人で礼拝堂にやって来た。
静寂に包まれた凛とした空気。ステンドグラスから射し込む朝日が木漏れ日の様に優しく礼拝堂の中を包み込んでいる。
ふと、礼拝堂の長椅子の最前列に人影を見つけた。
こんなに朝早くから誰だろう。
人影が立ちあがりこちらを見ている。光に目が慣れてきて、その顔を捉えた。
「おっはよー。
リオちゃん♡久しぶりだねぇー♡」
「お父様?」
大神官で普段は皇都にあるラグドール神殿にいる父が、お忍びでコラット神殿に来ているのだ。
父は手を広げながら私の元に全速力で駆け寄ってきた。私の掛けた足払いを軽快なステップで飛び越える父。低い姿勢から軸足に力を込めて、父の懐に飛びこんだ。鳩尾を狙った右肘が止められる。左手で光の弾丸を作った所で諦めた。
礼拝堂の中なので魔法は使えない。
早朝だというのに、父に両脇を抱えられて高い高いされている。全然楽しくない。
「おっきくなったなぁー!リオちゃんっ!」
「お陰様で。」
高い高いされたままグルグル回されて気持ち悪くなってきた。全然楽しくない。
「ハハハハーッ!
たっのしいねーっ。」
何度も言うが、全っ然、楽しくない。
「お父様。
何かお話があったんじゃないですか?」
「うん。そう!」
やっと高い高い地獄から解放されて、手近な場所に腰を下ろした。父が私の隣にぴったり寄り添う。
「リオちゃん。あのさ、ワンちゃんのことなんだけど・・・。」
父がにっこり笑いながら言った。
「シュナン・・・いえ、セラフィエル様の事ですか?」
「ああ、うん。
それもなんだけど、小さい時にリオちゃんが拾ってきたワンちゃん。」
私が5歳位の時に拾ってきた黒い仔犬のことだ。シュナンと名付けて可愛がっていたのに、ある日、鉄の檻に入れられて連れていかれてしまったのだった。
「あのコね、『バーゲスト』だったんだよね。実は。」
父の言葉に愕然とする。
バーゲストとは邪悪な精霊や悪魔が犬の形で現れ、不吉の先触れとも言われるものだ。
「そうだったんですね。」
「そして、あのコを浄化した3日後に、先の大戦がはじまったんだ。」
先の大戦は6年続いたラグドール皇国対魔王軍との大規模な戦争。5年前に終戦したけど、幼かった私はあまり憶えていない。スパルタ教育の真っ只中ということもあったけど。
「リオちゃんさ、そういうの引き寄せ易いってのはわかってると思うんだけどね。」
「はい。」
私の金色の瞳は普通では見えないものも見えてしまう。助けを求めて死霊などが集まる事があるんだけど、有無を言わさず大抵は浄化させてしまう。
「リオちゃんのワンちゃんもキャルロットもとても優しくていい子だから、助けてあげて欲しいんだ。」
父の金色の瞳が私を見据えている。私も同じ様に父を見ている。
いつだって父は核心を話さない。
「お父様。私は神の
「流石、僕の娘だね。
勿体ないくらいだ。」
満足そうな父。
「そうだ!リオちゃん、もう大神官なっちゃいなよ。」
「ええ!?」
そんな簡単なもんなの?
「そしたらさ、次の大神官がラグドール国のどこかで誕生する。次の大神官さえ産まれれば、リオちゃんはある意味自由になれるんだよ。
恋愛を知ってしまった女性大神官は職を辞さなきゃいけないからね。そしたら自由だよ。」
「お父様?」
「次の大神官が大きくなるまではパパが代理の大神官になって・・・。」
何故か父が肩を震わせて俯いた。
泣いている。
「お父様、やめてください。
私は大神官になるためにラグドールに生を受け、神の配偶者として神を愛し、一生を捧げるのです。」
私の生きる上でそれが全てで、それ以外は存在しない。父が泣いている意味を理解できなかった。
「本当にリオが大神官になってくれた方が、俺は随分楽になるんだが。」
ジン=ファンデル副大神官が入り口に立っている。どうやら兄も連れ出されたようで、眠そうにジン様の隣で欠伸をした。
「年取ると妄想だけで泣けるんだな。」
ジン様が父にハンカチを渡した。すぐに鼻をかむ父。
「だってさ、よく考えたらさ、何で男の大神官は普通に恋愛して結婚できるのに、女の大神官はなんでそれができないのかな?おかしいよ、絶対。」
「父上。
リオが嫁に行ってもいいってことですか?」
「それは絶対ヤダ。
他の男とイチャイチャも禁止。」
「何なんですか。」
鼻と目を赤くしてグズグズする父に兄が呆れたように言った。
「それより、リオの貞操の危機を守るのに眼鏡とオウムだけじゃ一杯一杯ですよ。
リオがコラットを出たら、俺だってずっと一緒にいられる訳じゃないし。」
「貞操の危機って・・・。」
ナゼそんな話題に。
てか、この『悪魔から身を守る聖なる水晶から作られた眼鏡』って貞操を守るためだったの?
「そうだよね。金色の瞳は大人になるにつれ、異性を魅了する力が強くなるからね。心配だなぁ。」
また涙を浮かべる父。ハンカチは持ってるけど、絶対にこの人だけには渡したくない。
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