第1章 7話:午後7時の校庭で
その日の午後7時ごろ、私は独り懐中電灯を携えて学校の校庭に忍び込んでいた。
昼休みに先輩と別れたあと、教室で里崎さんと川野さんに謝られた。これが王子効果か、と感心するような腹立たしいような気持ちで、私はそれを受け入れた。
彼女たちによると、ネックレスは校庭に向かって放り投げたという。校庭の真ん中辺りまで飛んだのはわかるが正確な位置はわからないということだった。そもそも放課後に校庭で部活があったわけなので、元あった場所にあるとも限らないんだけど。
2人は今日は用事があるから明日一緒に探すとか言っていたけど、多分明日も同じことを言うと思う。一緒に探してほしいなんて思ってないから別にいいんだけど。
間接的にでもいい顔しときたいなんて、本当に先輩って人気者なんだなぁ、としみじみ思うだけだ。
でも私はあんな風になりたいとは思わない。私は今の私に満足している。
「どこから探そうかな……」
薄暗い校庭の地面を見下ろしてため息をつく。運動部のみなさんの心がけは立派なもので、使ったあとはちゃんととんぼでグラウンドを整備してくれている。ネックレスはとんぼくんとランデブーして遠くまで連れ去られているかもしれない。
さすがに校庭の端まで行っているということはないだろうから真ん中から探そうか。
でも真ん中から探すとどこから探し始めたかよくわからなくなるかな。印とかつけといても暗くなったらよく見えなくなるし……。
うん、地道に端から探していこう。
先生たちはしばらく残ってるだろうし、校舎の近くは暗くなっても室内から漏れる明かりで探しやすいかもしれない。私は校舎の反対側の校庭の端に移動して探し始めた。
地面を見つめつつ、蛇腹に折り返しながら校庭をしらみつぶしに踏破していく。
チャームだけならともかく、ネックレス自体は細いとはいえそんなに小さいものでもないし見落とすことは考えにくい。埋まってて見えなかったせいで素通りしちゃったのかも、と疑心暗鬼にならないで済む分、多少は精神的に楽だった。
ただ、ずっと同じ距離に焦点を合わせて同じ色の景色を見続けているというのは、思っていたよりも目と精神に疲労の溜まる作業だった。
校庭の四分の一くらいを探し終えたところで、そろそろ懐中電灯を点けないと見づらいくらいの暗さになっていた。
校舎の明かりはどうなっているかと、立ち止まり顔を上げてみると、それよりも手前に小さな灯りが1つあった。
逆光の中、足元の灰色の砂だけ見ていた目で遠くのものに焦点をあわせるのには少し時間がかかった。
しかし目を凝らしているうちに、それがよく見えなくても誰かわかるシルエットの持ち主であることに気づいた。
……甲斐先輩?
いや、まさか。こんな時間にこんなところにいるわけがない。
でもあの無駄に長い手足とすっと伸びた背筋と小さい顔で、この校庭をうろついている可能性がある人は甲斐先輩以外に思い当たらない。もしくは理科室の骨格標本。
うん、骨格標本だよあれ。だから気にしない、気にしない……わけあるかっ!
1人ノリツッコミを入れたおかしいテンションの私を校庭の地中深くに葬ったところで改めて頭を抱える。
なんで、どうして甲斐先輩がここに? なんで懐中電灯を?
……まさか、私のネックレスを探してる?
そんな馬鹿な。せっかく助けてもらっておきながら――いや、頼んでないけど、頼んでないから別に感謝とかはしないけど、向こうとしては助けてやったのにって思ってもおかしくないような状況で――あんな失礼なこと言って逃げたのに?
……ああ、いや、違う。私のためじゃない。多分自分のためだ。
彼はやっぱり私を馬鹿にしてるんだ。あのネックレスが見つからないことは私にとっての「よっぽどのこと」で、自暴自棄になった私がみんなを不幸にしようとすると思っているんだ。
そうだ。それなら辻褄が合う。
ああ、嫌だ。本当に嫌な人だ。ネックレスが見つからなかったからって先輩の動画をばらまいたりはしない。今すぐ近寄っていって帰らせよう。
――でも、私1人で真っ暗になる前に校庭全部を探しきれる?
踏み出そうとした脚が心の奥底で囁く声に押し止められた。
明日また校庭を体育とか部活とかで使ったら、どこかに行ってしまうかもしれない。そうでなくても誰かが拾ってどこかに捨てたりしてしまうかもしれない。絶対に今日探し尽くしてしまった方がいいに決まっている。
だけど、先輩の助力を受け入れることは私の弱さを受け入れることだ。そんなのは認められない。私は強い。弱くなんてないんだから。
――あれはそんな簡単にあきらめていいものなの?
よくない。よくないから探す。私の手で見つける。私が見つければ先輩に助けられたことにはならない。先輩が勝手に校庭をウロウロしてただけってことになる。
……だけど、だけどやっぱりあれが見つからないのは嫌だ。私はこの気持を捨てきれない。先輩にも手伝ってほしい。この気持ちは間違いなく私の弱さだ。
だから先輩にはこのまま探してもらう。もし、先輩が私の代わりに見つけてくれたのなら私は素直に先輩の前でその弱さを認めるしかない。どんなにみっともなく弱さをさらしてでも、きちんとお礼を言わないといけない。
……うん、そうするしかない。
大丈夫。私が見つける。そうすれば私は強いままでいられるんだ。
私はぐっと拳を握って決意を固め、懐中電灯の電源を入れた。
甲斐先輩って、どんな人なんだろう。
私はさっきよりも少し歩く速度を上げてネックレスを探していた。しかし暗くなって懐中電灯の灯りが届くところに視界が限定された分、捜索のペースは落ちていた。その分頭に考える余裕が生まれてしまい、そんなどうでもいいことが頭に浮かんでいた。
そういえば下の名前すら知らないな。
恋人はいないみたいだけど、友だちはちゃんといるんだろうか。……ちゃんとって言うと友だちのいない私が駄目人間みたいだから言い直そう。友だちはいるんだろうか。
クールな人って噂では聞いてるけど、あれだけ人気があるってことは冷たいっていうのとは違うんだろうな。
ああ、私が声かけられたときも落とし物拾ってたっけ。猫の肉球の刺繍が入ったハンカチ。
もしかしたら私のネックレスも猫のチャームがついてるから探してくれて……って、先輩は私のネックレスがどんなものかなんて知らないんだから関係ないか。
でも先輩は「王子」はキャラだと言っていた。人を遠ざけるための仮面だと。確かにその目的を達するという意味では、今の先輩は理想的な地位を築いてるんだと思う。
私のように嫌われるのではなく、みんなに好かれれるがゆえに不可侵の存在として祭り上げられ孤独を手に入れる。言ってみれば何もかもを手中に収めたようなものだ。
羨ましいとは思わない。私は別に人気なんていらない。愛されたいなんて思わない。
でもあれが先輩が自らの意思で作り上げた地位なのだとしたら、それはいくら容姿や頭脳や能力に恵まれているとはいえ並大抵のことではないと思う。その点については素直に敬意を表したい。
じゃあ猫と戯れているときの先輩は、私が昨日と今日見た先輩はなんなんだろう。あれが甲斐先輩の素なのかな……。
なぜか不意に、先輩のブレザーを羽織ったときに鼻をくすぐった香りを思い出した。
なんとなく、すごいお人好しなんだろうことはわかる。あれが素なら、素のまま学校生活を送っていたら先輩の周りはファンでごった返すことになりそうだ。
……ああ、そういうことか。
人気になりすぎて困ったから人を遠ざけるようにした。そういうことなのかもしれない。なんて贅沢な悩みなんだろう。なんてひどい人なんだろう。
やっぱり私はこの人が嫌いだ。自分が絶対的な強者だから、簡単に人の気持ちを踏みにじる。自分を慕う人たちの気持ちなんて構わずまるごと拒絶する。
私のような何も持たない人間に気まぐれに手を差し伸べて、自分が強者であることを確かめる。
甲斐先輩はそんな人に違いない。だから私はこんな人に頼ってはいけない。私は私の手で私のネックレスを見つけて、私の足で私の人生を歩んでいかなきゃ――。
「――いたっ」
心の中でそんな決意を固めた矢先、私の歩みは何かにぶつかって止められた。
「……大丈夫か?」
聞きたくない声に視線を上げると、見たくない顔がそこにあった。
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