第1章 6話:なんて嫌な人

 教室を出た私と甲斐先輩はそのまま体育館裏に逃げ込んでいた。

「で、なんですかさっきのは。そんなに動画をばらまいて欲しいんですか?」

「逆だ、逆! お前言ってただろ、『よっぽどのことがない限り』はばらまいたりしないって。俺にはさっきのお前がよっぽどのことになってるように見えた」

 ……それは間違ってない。ここ最近で一番追い詰められていたのは事実だ。絶対口に出して認めたりはしないけど。

「だから考えた。このまま放っておくと、いつ『よっぽどのこと」が起きるかわかったもんじゃない。だからお前へのいじめの問題を根本的に解決することにした」

「私はいじめられてません」

「いや、どう見ても……」

「いじめられてません。いじめっていうのは被害者がいじめだと言えばどんなに些細なものでもいじめなんです。その逆も同じ」

 私は弱くない。クラスの全員が私の敵に回っても私は1人でも負けずに渡り合える。つまり実質1対1なわけだから、それはただの喧嘩ということになる。Q.E.D.。

「そ、そうか。まあ呼び方はなんでもいいんだが……。じゃあ嫌がらせ? お前への嫌がらせの問題。これでいいか?」

「構いません」

「お前への嫌がらせを解決するための最善手が、お前を俺のしもべにすることだった」

 私はわけのわからないことを言い出す先輩を心底人を馬鹿にするような目で見つめた。先輩は心外そうに眉根を寄せ、首を傾げた。

「いや、なんかよくわからんが俺って人気があるんだろ? その俺と関わっておけば不用意なことをするやつも減る。違うか?」

「むしろ悪化する可能性も十二分にあります」

「そうだろうな。だからしもべなんだよ。例えばさ、もし俺とお前が友だちとか恋人だって言ったらどうなる?」

「私の家が燃えますね」

「そんなにか!?」

 自分で聞いておいて自分で驚いてるよ。なんなのこの人。

「そんなにです」

「……まあ、それはさすがにないとしても、まともな関係じゃ絶対嫉妬して暴れるやつが出てくる。だから全然羨ましくないような立場にする必要があった」

 なぜか甲斐先輩は誇らしげにそんなことを言っていた。名字の頭に「バ」をつけてやりたい。強力な接着剤で一生取れないようにしてやりたい。やーい、バカイせんぱーい。

「そんな立場を私が受け入れるとでも? それなら逆にするべきです。先輩が私のしもべ。主人を守る犬。その方がよっぽどうまくいきますよ」

 私が言うと、先輩はブンブンと力強く首を振った。

「それは無理だ。俺がなんのために苦労してあんなわけのわからないキャラで人を遠ざけてると思ってる。冴えない女子のしもべになんてなったら、イメージ崩壊して人が寄ってくるだろ」

「え、王子って人避けのためのキャラだったんですか? 面倒くさい人」

「お前にだけは言われたくないね!」

 びしっと私を指さして言う。それには私も同意する。面倒くささでは僅差で私の方が勝ってると思う。僅差だけど。本当に僅差だけどね。

 でも甲斐先輩がそんなことを考えていたとは思わなかった。昨日猫と戯れる姿を見るまでは、好きでああいうキャラをやってるんだと思っていた。どういう事情があるのかわからないけど、この人はこの人で苦労があるんだろう。

 うん、わりとどうでもいい。

「とにかく、俺の防壁を守りつつお前の学校内での立場をよくするには俺のしもべってことにするのが一番だった。だから別に本当に言うことを聞けと言ってるわけじゃない」

 そう言われて「じゃあ形だけでもしもべになります」なんて言うやつが世の中に何人いるというのか。……いや、甲斐先輩のしもべなら応募者わんさかいるのか。

「でもそもそも先輩だって人と関わりたくないんでしょ? それなら私を近くにいさせるのも嫌なはずですよね?」

「それはそうだが、背に腹は変えられないからな。お前が『よっぽどのこと』になれば全部が台無しだ。それを防ぐための最善手がこれなんだからやる以外にない」

 ……形だけでもしもべになることへの屈辱はあるけど、それが嫌がらせに対する武器になるんだとすれば差し引きはトントンと言ってもいいと思う。嫌がらせに傷ついたりはしないけど、あれこれ処理させられるのはやっぱり面倒くさい。

 でもなぜか、私の心の奥底がそんなのは絶対に許容できないと叫んでいた。

「うーん……」

 それから10秒ほど考えてようやく、私はどうしてこの提案がこれほどまでに受け入れがたいのかに気がついた。問題は、その前提だった。

 「よっぽどのこと」とはすなわち、私の心が折れたときで、私が何かに敗北を喫したときだ。この人はそれがいつか来ると考えている。私はその程度の人間だから守ってやると、この人はそう言っているのだ。

 それは、私にとってこの上ない侮辱だった。

 そんなことを前提にした関係を受け入れることなど、到底できない。

「『よっぽどのこと』なんて絶対に起きません。だから先輩は安心して独りで王子やっててください」

 私は吐き捨てるように言って踵を返した。

 なんだか無性にもやもやしていた。昨日のありがとうも、今の提案も、どうしてこの人は私の弱さをえぐり出そうとするようなことをしてくるんだろう。

 この人の前にいたくない。この人と関わりたくない。誰よりも強くてなんでも持ってるこの人の前では、私が弱く見える。私が弱くなってしまう。

 なんて、なんて嫌な人なんだろう、この人は。

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