幕間:思い出

 テレビの中の子供のきれいな服に憧れた。

 向かいの家に干されるふかふかの布団が羨ましかった。

 2日半何も食べなかったときは夏なのに少し寒かった。

 頭を蹴り飛ばされて1時間後くらいに目を覚ましたときは、今自分が本当に生きているのかどうか不安になった。

 でも今になっていろいろとニュースを見ていると、私はまだましな方だったんだなと実感せざるを得ない。だって私は生きている。死なない程度に眠り、死なない程度に食べ、死なない程度に暴力を振るわれた。

 きっと私は恵まれていた。

 やがて私は、親戚の中で浮きに浮いて疎まれていた祖母に引き取られた。祖母が言い出したことなのか、それともただ押し付けられただけなのかはわからない。

 ともかく私は6歳のとき、一度しか会ったことのなかった祖母と二人で暮らすことになった。

 祖母は実際、社会性のかけらもない人だった。偏屈で無愛想で人とは関わらない。まともな人が見れば変人もいいところなんだろうけど、私としては生きるのに必要なものを不足なく提供してくれるだけで御の字だった。

 明日の命を心配する必要がないことが、こんなに幸せなことだとは思わなかった。

 1日に3食も食べるのがテレビの中だけじゃないとは知らなかった。

 あざのない体というものが世の中に存在することを初めて知った。

 だから他の子供たちがお小遣いをもらったり何かを買ってもらったりするのを見ても、自分も、なんて贅沢を考えたことはなかった。羨ましいし、もらえるものならもらいたいけどそうでないなら別にいい。そういう意味で、私はとても満たされていた。

 小学校で私が周りに疎まれ始めたのはそれにも関係があるかもしれない。

 例えば誰かが「あれを買ってもらった」と言えば普通は「いいな」、「私にもやらせて」と応じるものだ。そうやって交流が深まっていく。

 そこで私は「そうなんだ」、「よかったね」と口にするだけだから何も始まらないし、自慢したい子にとっては面白くない。私は本気でその子の幸せを祝福していたんだけど、そう受け取ってもらえることはほとんどなかった。

 私がびしょ濡れになって帰ってこようと、裸足で帰ってこようと、顔にあざをつくって帰ってこようと、祖母がそれを気にしたことはなかった。そもそも1日に一言も言葉をかわさないことの方が当たり前だった。

 そんな日々を繰り返したことで、私は愛情というものが生きるために必要なものの中には入っていないのだということを学習した。

「いいかい、白音。決して人に弱みを見せてはいけないよ」

 ある日突然、生活に必要な情報を与える以外で開かれたことのない祖母の口からそんな訓言のような言葉が出てきた。

 生きるのに愛情は不要という結論に達していた私は、やっぱりそれも私が生きるのに必要な情報なのだとすんなり納得してうなずいた。

 そして祖母は私の手にネックレスを握らせた。座った猫のシルエットをモチーフにした小さなチャームがついた、安っぽい作りのネックレスだった。

 よくわからないけど、これもきっと生きるのに必要なものなんだと思う。これについてはなんの意味があるものなのかわからなかったけど、今も常に首から下げている。

 ただ、ネックレスをくれたころの祖母は他にも度々意味のわからない行動をとっていた。それらにもすべて意味があったのかどうかは、今となってはもうわからない。

 そして、私に金言とネックレスを授けてから3日後、祖母は死んだ。

 交通事故だった。パジャマのまま左足にスリッパを、右足に私のローファーを履いて、縁もゆかりもないはずの隣町で乗用車にはねられた。

 その行動にはなにか意味があったのか。それとも――。

 どこかで聞いたことがある。世の中には「猫は死に際を人に見せない」なんていう迷信が存在する、と。

 私は、きっと祖母は猫だったのだと思うことにした。

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