第1章 1話:爽やかな1日の始まり
教室への甲斐先輩襲来の前日――。
下駄箱を開けると、上履きの中に画鋲があった。
別に驚くようなことじゃない。この10年で最初のあいさつを画鋲に捧げた朝はもう数え切れない。そう考えると、もはや画鋲くんは幼なじみと言ってもいいのかもしれない。
幼なじみ……きゃ、ロマンチックな響き♪
私は頭の中のぶりっ子をこてんぱんに殴り倒してから画鋲をつまんでどけた。奥の方に手を突っ込んでみたけど、なんの手応えもなし。画鋲は左右のかかとのところに1つずつ入ってるだけだった。
どうせなら奥にだけ入れといた方がうっかり履いて刺さる可能性があるのに……と思ったけど、すぐに多分これは精神攻撃なんだということに思い至った。
自分に敵意を持っている人間がこの学校にいる。そんな警告が朝一番のあいさつになるのは、多分大半の人にとってそれなりに嫌なことなんだろうと思う。
ま、私には関係ないことだけど。
「あ、これでカレンダー貼れる」
私は2つの画鋲を右手に弄びながら、思いついた素敵なアイディアに胸を踊らせた。
この前電機屋さんでもらったカレンダーがなかなかおしゃれだったんだけど、家に画鋲がなかったせいでそれは今も部屋の隅に丸まっったままでいるのだった。
まあ学校の備品をくすねて私の上履きに入れたものだってことはわかりきってるから、それを持って帰るのもどうかと思うけど……。
なんて思っていたら、廊下の掲示板に、風になびくポスターを見つけてしまった。
他の掲示物はしっかり四隅を留められているし、なびいているポスターも下の角2つに小さな穴が空いている。
警部……ホシはここで画鋲を調達したに違いありません……!
私は脳内でアンパンと牛乳に舌鼓を打っている若手刑事をぎたぎたに伸しながら、親切にも手元の画鋲を掲示物くんに返してあげた。
1日の始めに上履き在住の画鋲くんに遭遇しても特に何も思わないんだから、一日の始めにいいことをしたからといって、いい気分になるというものでもない。
私はいつもと何一つ変わらない軽やかな足取りで教室へ向かった。
2時間目の授業後、日直としてクラス全員の提出ノートを運び、職員室を出た私は不意に後ろから肩を叩かれた。
振り向いてみると、そこには作り物のように均整の取れた顔立ちとスタイルの男子生徒が立っていた。
「落ちてたけど、これ君の?」
そう言って、猫の肉球の刺繍があしらわれた桃色のハンカチを私に差し出してくる。
その瞬間、周りの女子生徒からお化け屋敷並みの悲鳴が聞こえてきた。それで私は、目の前のイケメンが何者かを思い出した。
……甲斐先輩だ。
クラスの人の名字すら正解率赤点スレスレの私が、別の学年の生徒の名前を知っているという事実だけでもいかにこの人が校内の有名人かよくわかると思う。
いや、確かクラスの女子が雑誌だかに載ってる写真がどうとか言ってたから校外で有名かも。
特別天然記念物でも目の前にしたような気分で、一瞬だけ顔を見つめてみる。
切れ長の瞳は不思議な感じで、見下しているようにも、真剣に見つめているようにも、威圧しているようにも見えた。王様系、紳士系、俺様系。みんなこの目に自分の期待するかっこよさを勝手に見るんだろうなぁ。
そんな先輩なので、相手がこんな私であっても生物学上女子でありさえすれば、会話やボディタッチが発生しただけで近くにいた女子から悲鳴が上がる。
しかし特に興味のない私は浮足立つこともなく首を横に振った。
「いえ、違います」
そもそも私は寒色系のものしか身に着けない。
「あ、そう」
相槌はそれだけだった。甲斐先輩はハンカチを一瞬見つめてから、これまた画になる挙動で踵を返して職員室の方に向かった。職員室内にある落とし物保管用の場所に持っていくのだろう。
私も体の向きを戻して再び廊下を歩きだす。
背後では「そのハンカチ私のです!」という3人の女子の声がハモっていた。
……横領は犯罪ですよー。
授業は何事もなく過ぎていき、黄色い声の飛び交う昼休みになっていた。
3時間目の移動教室から戻ってくると、私の机の上に素敵なお花が生けてあるサプライズがあったけど、特に今日は誕生日とかではないのでやっぱり何事もなかったと言っていいと思う。
「えー、だめもとでも告ってみなよー」
「む、無理だよ。『は? 誰?』って言われて終わりだよ」
「まーねー、むしろそうじゃなきゃ王子のかっこよさ半減って感じ?」
お花のプレゼントは多分、いや間違いなく甲斐先輩に絡まれたせいだと思う。
まったく、私としてはいい迷惑以外の何物でもない。
嫌がらせそのものはどうでもいいけど、読書の邪魔をされるのは嬉しくないので先輩は死なない程度に呪っておこう。
私の三大欲求は読書、睡眠、そして食事であるからして、こういう日の昼休みは人気のないところでお弁当を広げることになる。
1年の私たちの教室は最上階の4階にある。つまりそのすぐ上は屋上なんだけど、常に鍵がかかっているから基本的に誰も近寄らない。その手前の踊り場の薄暗い隅っこが、私のセーフハウス的なスペースだった。
……だった、んだけど、いざひっそりと教室を抜け出して階段の手前まで来てみると、上から男女の密やかな話し声が聞こえてきた。
何食わぬ顔で乗り込んでいってお弁当を広げてみたらどうなるだろう。まあ十中八九場所を変えてくれるよね。でも万が一無視してイチャイチャし続けられたらご飯がまずくなること請け合いなのでやめておこう。
今日は春とは思えない肌寒さなのであんまり外には出たくないけど仕方ない。体育館裏に行って雑草の緑でもながめながらピクニック気分で卵焼きをつつこう。
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