私は猫王子なんかにいじめられない

明野れい

プロローグ:どうしてこうなった

「あのさ、こいつ俺のしもべなんだよね」

 先輩がそう言った瞬間、私と先輩を中心に教室が水を打ったように静まり返った。

 ――この人は一体何を言ってるんだろう。

 誰もが心の中でそうつぶやいたはずで、多分この瞬間、私とクラスの人たちの心が初めて1つになった。一瞬、ほんの一瞬だけだけどね。

 教室中の生徒、特に女子たちは往復ビンタのとどめに豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔をして、王子こと甲斐先輩の奇行を見つめていた。

 ここで私に憎悪の視線が向けられないのが、この状況がいかに意味不明で信じられないことであるかを示していると思う。

 例えば私がもっと可愛くて性格のいいクラスの人気者なら、そういう関係だったのかと嫉妬とかあれとかこれとかの醜い感情の針でブスブス刺されていたはずだ。

 あれ、理由がはっきりしてること以外いつもとそんなに変わらないぞ?

「だから俺以外のやつにいじめられると困るんだけど」

 そして甲斐先輩は、私が自分の所有物であると主張するように、私の机の上にドカッと腰を下ろした。長い脚を組んで膝の上で頬杖をつくと、不敵に笑って教室を見渡す。

 こんな状況じゃなきゃ黄色い歓声で鼓膜に危機が迫る仕草なんだと思う。

 ……じゃなくて、だ。もう一回言うけど何言ってんだ、こいつ。

 今度もやっぱりみんなが同じことを思っていただろうけど、こんな風に暴言を内心で吐き捨てたのは私だけだと思う。

 なぜ私は王子に対してこんなにきつく当たれるのかって? だってこの人、私にこんな態度を取れる立場じゃないはずなんですもの。

「鈴井、ちょっとジュース買ってきてよ」

 甲斐先輩は私に指で挟んだ千円札を差し出しながらそんなことを言う。

 私は目を丸くして野口英世と見つめあった。

 ……あの、だからあなた私にそんなこと命令できる立場じゃないでしょうが。

 私の気分を害して困るのはそっちのはずなのに。私の行動力を疑ってるとか? いや、そもそも本当はそんなに困らないと? 

 でもあれがどうでもいいものなら、それはそれで今こうして私なんかに絡んできてることの説明がつかなくなる。

 ……あーもう、なんなのこの人面倒くさい。

 なんて、胸の内で悪態をついてはいるけど、実はいけすかないクラスのやつらの間抜けな顔が見られたのが面白くて、お腹の底からこみ上げてくる笑いをこらえるのに必死だった。

 おかげで、こぼれそうになっていた涙なんてどこかに行ってしまった。

 学校中の女子にとっての、もしかしたら一部の男子にとっても、圧倒的カリスマとして君臨する王子様。恋人の存在が発覚した日には大災害級の死者が出るとまで言われる、恋する乙女の生きる希望。そんな人が、なぜか私をかばっていた。

 だから私は、先輩のきれいな二重まぶたを真っすぐに見つめて言った。

「え、絶対に嫌です」

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