障害物42 天使 レティシア

 俺たちはまたこの垂直世界に帰って来た。

 ヘーハチ、てんまるさんの生まれ故郷だ。


「勘太どの、ほのかどのが書き遺した『悪魔ロニ』とは一体何でござるか?」


 ヘーハチはメモを手にとって首をかしげる。

 俺は悪魔ロニと出会った時の事を思い出して語る。

 人間だった璃璃ちゃんの願いを叶えて人形にしてしまった事、視界にノイズが走って唐突に現れ、消えた事。



「なるほど、拙者にそれが見えなかったのはおそらく拙者が悪魔を知らぬからでござるな。拙者は生まれてから8年間、ずっと第七王女『イカ臭いパトリシア』様の下で隠密を生業としておりましたゆえ」

「8年間!? ヘーハチって8歳児なの?」

「そうでござるな。拙者は生まれてからずっとこの姿ゆえ、外見は変化しておりませぬが」


 ヘーハチは自身の肉質的な身体を見下ろして言う。

 サイボーグでクローンでナイスバディな8歳児の忍者か。設定盛りこみ過ぎだろう。

 俺は今まで旅してきたヘーハチの無邪気なリアクションを思い返しながら、なるほどと思った。

 ヘーハチは泣いたり笑ったり驚いたり、大人の女性らしからぬ素朴な反応をいつも返していた。

 それは外見が強制的に成人した姿になっていただけで、実年齢相応の好奇心旺盛な姿だったという訳だ。

 今さら分かった所で、彼女に何かしてあげられるわけでもないけれど。



「しかしその悪魔ロニとか言う者の神出鬼没さ、おそらくはこの垂直世界の魔術者と見て間違いないでござる」


 垂直世界というものは、俺が元いた無数の並行世界を真横から竹串で刺したように存在する物。並行世界から見ればほんの一瞬現れて唐突に消えてしまい、一切連続性がないように見られる物なのだそうだ。

 つまり悪魔ロニは俺たちと同じようにいくつもの並行世界を真横に横断しながら旅をしているのだろう。


「そしてこの垂直世界の魔術者の元締めは、階位魔法の創始者である『酒臭いレティシア』様なのでござる」


 ヘーハチは、どこかで聞いた事がある様な名前を挙げた。

 それは俺が『イカ臭いパトリシア』の屋敷に現れた王宮怪盗『歪』ちゃんから聞いた第三王女の名前だった。



「という訳で辿り着いたのがここでござる」


 俺はヘーハチの案内によって『酒臭いレティシア』の王宮へと辿り着いた。

 なんだか途中にいくつも障害があったような気がしたが、俺が手をかざすだけであらゆるバリアーも罠もはじけ飛んでしまった。


「勘太どのは並行世界からの客人、いわゆる天空人でござる。身分の高さが魔法の強さを決めるこの世界では最も位の高い存在なのでござるよ」


 なるほど。いつだか、怪盗ヒズミちゃんのバリアーを破ってヘーハチに連れ出された事があったっけ。

 俺はただのひきこもりだったのに、並行世界の住人だったというだけでこの世界では最強なのか。まさにチート性能だな。


「だから拙者も勘太どのには逆らえないのでござる。勘太どのが望めば、拙者がどんなに拒もうとも階位魔法で言いなりにする事ができるでござるよ」

「そ、そんなことしないぞ!」

「ハハハ、そこが勘太どのの優しい所でござるな。そんな勘太どのが相手なら、階位魔法がなくても拙者は……」


 ヘーハチは8歳児とは思えないほど色っぽい目をして俺を見た。



「拙者は……勘太どのが……」


 上ずって、熱を帯びた声を出すヘーハチ。

 背の高いヘーハチが俺の顔を覗きこむと、その豊満な胸がたわんで揺れるのが間近に見えてしまう。


「勘太どのが元の世界に戻ってしまう前に、せめて一度だけでも……」


 ヘーハチのうるんだ瞳が近づいてくる。


「こ、こんな所で何を……!」


 俺はのけぞるが、振り払う事は出来ない。


 これまで長い長い旅を続けて来れたのはヘーハチがいつもそばで俺を守ってくれたからだ。

 その恩返しをできるのは今しかないんじゃないのか?

 俺の様々な思考が交錯する。

 ヘーハチがそれで喜ぶのなら……。

 俺は意を決し、彼女の接近を許した。



「不届き者ども! ここを『酒臭いレティシア』の宮殿と知っての行いか!?」


 ヘーハチと俺の唇は重なることなく、上空からの声によって引き離された。


「だ、誰だ!」


 見上げた先には、一升瓶を抱えて神々しい翼を広げる天使がいた。

 光に包まれ降下しながら、天使は酒をラッパ飲みした。世界の終わりを記す黙示録が始まりそうな光景だった。


「勘太どの、あの御方こそがオルパス国第三王女『酒臭いレティシア』様でござる!」


 ヘーハチはすぐに気分を入れ替えて忍者刀を引き抜き構える。


「下がれ、下賤なクローン兵め!」


 レティシアの一喝で衝撃波が生じ、辺りの建物もろとも吹き飛ばした。

 ヘーハチはくずれたがれきの下敷きになる。

 だが、俺の周囲一帯にはバリアが生じた様に綺麗に衝撃波が避けて行った。


「むっ、貴様! 我が階位魔法を受け流すとは何奴!? 名を名乗れ!」


 レティシアが一升瓶を振り上げてこちらに向かってくる。

 俺は腕を前に突き出して、何となく叫んだ。


「破ァ!」


 それだけでレティシアは天使の翼がへし折れ、その身に纏っていた衣類が全てはじけ飛んだ。

 そして、全裸で両足をおっぴろげたまま気を失う妙齢のレティシアがそこに残った。


 俺は瓦礫の下からヘーハチを救い出すと、あられもない姿のレティシアの所まで連れて行った。


「さすがでござる。あの天使を一瞬で打ち倒すとは」


 ヘーハチは心底感心した様子で全裸のレティシアを矯めつ眇めつ観察する。


「レティシア様なら何か悪魔ロニに関する事を知っているかと思ったのでござるが……おや?」


 ヘーハチが見ている前でレティシアの体から黒色のモヤが浮き出て、空中で固まった。

 そして粘土の様に形を変えると、俺がかつて見た悪魔ロニの姿になった。


 因果律に一切影響を受けずに3つの願いをかなえる悪魔。

 一体、どんな代償を払えば俺の願いを叶えて貰えるのだろうか。

 まさか、魂……?

 身構える俺の前で、悪魔ロニはゆっくりと目を開くのだった。


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