障害物40 人形 璃璃(りり)

 俺がコンビニの自動扉に一歩踏み出した時、この世界で降ってきたのは隕石ではなく人形だった。

 ナイスキャッチ!

 俺は半歩下がって難なく受け止める。慣れたものだ。

 黒く長い髪で、ツンと澄ました顔をしている。赤い和服のミニチュアのようなものを着ているが、日本人形だろうか。

 着物の裾を捲り上げたり、上下ひっ繰り返したりしてみる。

 可動部分から察するに、それは球体関節人形に着物を着せた物の様だった。



「ちょっと、いつまでそうやって持っているつもり? 早く降ろして頂戴!」


 人形が喋った。目も口も動いていないが、その人形の頭の方から高飛車な少女の声がしたのだ。


「あぁ、ごめん。君が急に降って来たものだから」


 俺は人形を丁寧に持ち直し、コンビニの入り口から離れた場所でそっと地面に立たせた。

 人形は関節に力を込めることなく、立ったまま前に倒れた。


「いったーい! なんて事するのよ!」


 突っ伏したままで人形はプンプンと怒る。


「お父さん、ダメだよちゃんと座らせてあげないと」


 どうやらこの人形の声は俺の幻聴では無かったらしい。俺はほのかちゃんから注意を受けた。


 俺は人形の関節を折り曲げて、コンビニの壁にもたれ掛けさせるように人形を置き直した。


「これでいいかい?」


 俺はお人形様にお伺いを立てる。


「早くこうして欲しかったわ。もう!」


 お人形様はお怒りだ。


「ねえ、お人形ちゃん」

「リリよ! 浄瑠璃の璃をふたつ。璃璃と呼んで頂戴」

「ねえ璃璃」

「さんをつけなさい、レディーに対して失礼でしょ!」

「璃璃さん」

「何よ」

「どうして落ちて来たのかな?」

「それは……私が知りたいわよ! なんで私はこんな人形の中に入っているの?」


 璃璃さんは表情一つ変えずにカンカンに怒っている声を出す。


「中に? もしかして頭の中に小さな人でも入っているのかな?」


 璃璃さんの頭部は林檎ほどの大きさなので、入るとしたら相当な小ささだろう。


「違うわ、魂よ。この人形全体に宿っているの。……多分」


 なんともあやふやな言葉だった。

 きっと彼女自身、今の自分の状況が分かっていないようだ。



「参ったなぁ。君が覚えてないんじゃ、俺もどうしてやる事もできない。ひどい事を言うようだけど、そこでそうして誰かが助けてくれるのを待っていてくれないかな」


 手の施しようがないのだ、下手に安請け合いして希望を持たせない方が良い。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! こんな所に置いて行く気!? 人でなし!」

「俺に何ができる? 君は俺に何をして欲しいんだい璃璃さん」

「何よ、もう!」


 長い沈黙。

 まったく動かない璃璃さんを俺は見守った。


「……た、助けて、ください」


 璃璃さんが絶望の中からひねり出したような声で俺を引きとめる。


「どうすれば助かる?」

「わからない。でも私は……元はこんな姿じゃなかった。普通の、人間の、女の子だったのよ?」


 璃璃さんは動かない。自力では動けないのだろう。しかし声からは焦りと戸惑いがにじみ出ていた。もしも璃璃さんが動けたなら、膝を抱えて震えているだろう。

 人間が突然人形に?

 よく分からない現象だ。


「人間だった時からその姿になるまでに何があったの?」

「それは……その……」


 璃璃さんが口ごもる。

 人形の体は動かないので、彼女が言葉を発しないと本当に俺はただの人形に話しかけている様な気分になった。


「……私が頼んだの。お人形になりたいって。もうこんな生活は嫌、誰か助けてって。そうしたら急に……そう、悪魔が現れたの。お前の願いをかなえてやろうかって」

「それで、人形にしてもらったんだね?」

「よく覚えてないの。でも、多分そうだと思う。悪魔は3つの願いを叶えてやるって言ったわ」

「まるでランプの魔神みたいだね」

「そう、それで私は一気に言ったわ。『ここから抜け出したい』『私はお人形になりたい』そして……あっ、あっ……」


 記憶が堰を切ったようにあふれ出ているのだろうか。璃璃さんは声色だけでもわかる程に狼狽していた。


「ああああアアアア! 私は、私はなんて事を……!」


 俺に座らせられたままの姿で、表情も変えずに璃璃さんは絶叫した。

 一体、彼女は何を願ったのだろう。



「くふふ、教えてやるのじゃー」


 背後から突然の声。

 視界にノイズが走り、一瞬前まで誰もいなかった場所に急に黒い装束の少女が現れた。さも、ずっと前からそこにいたかの様に。


「璃璃! お前の最後の願い、このロニ様が叶えてやるのじゃー」


 ロニという少女。背中には黒い蝙蝠の翼、頭にはヤギのねじれた角が生えている。

 よくイメージされるオーソドックスな悪魔の姿をしていた。

 ロニ自身がそういう実体を持っているというよりも、俺が想像する悪魔の姿を借りているかのようだった。


「もうやめて! お願い、元に戻して!」

「ダメなのじゃー♪ お願いは3つまでなのじゃー。最後の願いは……」


 ロニが璃璃さんに向かって手を伸ばす。


「『物言わぬお人形になりたい』だったのじゃーーー!」

「イヤアアアア!」


 ロニの指がそっと璃璃さんの唇に触れる。


「……」


 璃理さんは絶叫の途中でピタリと無音になった。


「願いは叶ったのじゃ。嬉しいのう、愉快じゃのう♪」


 ロニは両手を叩いてはしゃぐ。

 俺にはもう璃璃さんの声が聞こえなかった。

 何も言っていないのか、それとも俺に聞こえない声で叫び続けているのか、それも分からなかった。


「ああ、良い事をするのは気持ち良いのじゃ。くふふふ」


 視界にノイズが走り、ロニの姿は再び消えた。さも、ずっと前からそこには何もなかったかの様に。



「な、何なのよあいつ……」


 ほのかちゃんにも見えていたのか、ロニがいた場所をほのかちゃんは睨み続けている。


「どうかしたでござるか?」


 ヘーハチには見えなかったのだろうか。ヘーハチは不思議そうな顔をしていた。


 本当に俺にはどうする事ともできなくなってしまった。

 俺はしばらく人形を眺めていたが、耐えきれなくなって次元ロケットの方へと走り出した。

 璃璃さんの最後の叫びがいつまでも耳に残っていた。




 

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