障害物25 メイド ノゾミ

 俺の意識は幾何学模様の海を漂っていた。

 天地がひっくりかえるような眩暈と吐き気はいつの間にか治まり、自分が今まさに心地の良い夢を見ているのだと感じる事ができた。

 次第に、自分の体を柔らかく優しい温もりが包み込んでいる感覚が伝わる。

 熱射病にやられて病院にでも担ぎ込まれたかなと楽観的な希望が脳裏をよぎる。

 さぁ、いつまでもこんな所で寝ていられないぞ。

 早くコンビニに行かないとな。

 俺がアイスを買って帰るのを妹のアリカが待っているのだから。


 唐突に意識が覚醒する。

 熱射病からの病み上がりとは思えないほどの非常にすっきりとした目覚めだった。

 それもそのはずだろう。

 今の俺の体を包んでいるのは病院のごわごわした毛布なんかではなく、サッパリした良い匂いのする非常に柔らかい羽毛布団だったのだ。

 自宅のベッドとも比べ物にならないほどの居ごこちの良さだった。

 きっと高級な物なのだろうと俺は推測した。

 何故って、俺の目の前に広がる天井に隅々まで緻密なペイントが施されていて、いかにも豪邸と言った様相を呈していたからだ。


 ちょっと首を傾けてあたりを見回せばそこはまるで別世界だった。

 病院ではなさそうだ。

 今寝ているベッドは四隅にアンティークな木彫りの彫刻が施された柱が立っていて、簡素な木枠の天蓋を支えている。

 ベッドの脇には籐のシェードで覆われたエスニックなランタンが置かれ、部屋の主のセンスを覗わせる。

 白い壁の高くに配置された窓からは環境光が取り入れられていて、照明がついていないのに充分に明るい。

 部屋の隅には三面鏡の化粧台と木目のはっきりした四つ足のタンスが置かれていて、ささやかな生活臭が感じられる。

 建物そのものは非常に上等な作りになっているが、この部屋の主はそれほど豪奢な生活をしていない様で好感が持てた。

 首だけを横に倒すと、耳が柔らかな枕に沈んだ。

 その視線の先で、白い扉に付けられた金色のドアノブが半回転した。



「気が付かれましたか?」


 キィ、と慎ましい音を立てて扉が開いた。

 そこから顔を覗かせて来たのは、頬にソバカスがある垢ぬけない感じの女の子だった。

 栗色の癖っ毛が帽子からはみ出ているのも御愛嬌と言ったところか。

 エプロンドレスの白と黒のコントラストが白い部屋の中で非常に映えていた。

 メイドさんだろうか。だとするとここは彼女の部屋なのかもしれない。

 横になったまま応対するのも失礼かと思い、俺は上半身を起こす。


「きゃっ」


 メイドさんは何故か慌てて手元の銀トレイで顔を覆って座り込んでしまった。

 そして気付く。

 俺、裸だ。



「わーっ!! な、何で!?」


 俺は大いに慌てた。急いで布団をかぶりなおして身を隠す。

 素肌がやけに気持ち良かったのは布団の中にじかに入っていたからだったのか。


「あ、あの。すみません。服は汚れていましたので洗濯させていただいています……すぐに代わりのお召物を用意しますので」

「えっ、もしかして……脱がしたの?」

「はい……ひどく汗をかいていらっしゃいましたので、意識のない方に大変失礼かとは思いましたがお身体も拭かせていただきました」


 カァァと顔を赤くしてもじもじとメイドさんが言った。

 なんてこった。全部見られたのか。ははは…。

 メイドさんはトレーで顔を隠しながらチラチラとこちらを覗っている。

 まぁ、意識がない内で良かった。

 意識がある時にこんな可愛いメイドさんに体中を拭かれたとあっては、ますます人前に見せられない状態になってしまっていただろうから。



「えと、君が助けてくれたのかな、ありがとう」


 状況が飲み込めないけれど、とりあえず悪い様にはされていないようなのでお礼を言っておく。

 きっと熱中症で倒れていた俺に応急処置を施してくれたのだろう。

 しかしあの寧寧とか言う女。目の前で人が熱中症で倒れているというのに最後までニヤニヤしていたな。嫌な奴だった。


「いえっ、あのっ! 突然降ってきた時にはびっくりしましたけれど、パトリシア様が不在でした為に止むを得ず宿舎に連れ込んでしまいまして」


 メイドさんはペコペコと頭を下げながら謝罪している。


 が。

 俺には何のことか分からない。

 降ってきた?

 なにが? 雨か?


「そ、そうか。良いよ良いよ、気にしないで。それよりさ、ここってどこなのかな」


 一番気になることを聞いてみる。

 先程一瞬起き上がった時に窓の外に見えた物が夢であって欲しいという思いもあったのだが。



「そうですね、空から降ってきた時にはもう意識を失っていらっしゃった様ですし……」


 ちょっと困った顔でメイドさんは言う。

 そうか、どうやら俺は空から降ってきたらしい。

 って、ええぇ!?


「ここはオルパス国第七王女パトリシア殿下の避暑地、『湖畔の離宮』の女中宿舎です。この部屋は私の……あっ、私はパトリシア様の献酌メイドで、ノゾミと申します」


 よく分からない回答を頂いた。

 だが、よく分かったことがある。

 俺は当分コンビニに行けそうにないな……。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る