障害物20 ナース 遠子
「はぁ……こんな調子でコンビニまでちゃんといけるのかな、俺」
俺は大きくため息をついた。
家からコンビニに向かう途中の線路にかかる歩道橋の上で。
時おり電車が上ったり下ったりするのを鉄柵越しに眺めていた。
……また何か障害物に阻まれたりしないだろうか。
と思っていたら。
「……っ、どーん!!」
「ぐほぉっ!?」
真横からタックルを食らった。
「ダメだぜぃ、少年!! 早まったりしたら……!」
そしてそのまま、タックルしてきた低身長のピンクナース少女が俺の上に馬乗りになった。
胸元に『常盤遠子』と名札がついている。
彼女は赤い十字の留め具がついた白い肩掛けカバンを斜めにかけているせいで肩ひもによって胸部の凹凸が強調されていた。
「少年っ、この世界には楽しー事がいっっっぱいあるんだぜぃ。えろいこととか!」
「はぁ、そうですか……」
「だからまだまだ諦めんのは早いぜぃ!?」
「はぁ、そうですか……」
別に俺は死ぬ気なんて無かったし、ヒキコモリだけどそれなりに人生を満喫しているので特に心に響かない。
とりあえず誤解だから早くどいてくれないかなぁ、なんて上の空で考えていた。
その態度がいけなかった。
遠子さんをさらに説得モードにさせてしまうのだった。
「少年っ、生きる希望を捨てちゃダメだぜぃ! 少年の中には1回に三億匹分ぐらいの無限の可能性が秘められているんだぜぃ!!」
遠子さんは俺の腰のあたりに座ったまま俺の手を強引に掴み、自身の胸元へと導いた。
……柔らかかった。
「って、なにしてるんですか、もう! どいてください!」
慌てて手を引っ込めて、俺は仰向けに寝そべったまま猛抗議する。
迫力が無いのは百も承知だ。
「おうふ、ウブな反応……もしかして少年はこういう経験は無いのだぜぃ?」
「そ、それが何ですか。今時の高校生なら、無くて当たり前だし……」
「ほほーう。無いのかぁ。……じゅるり」
「今じゅるりって言った!? 効果音じゃなくて口でいったよね!?」
「ふ、ふほほ、そんなことないぜぃ。それよりも少年……!」
遠子さんは頬を赤らめ、露骨にえろい視線を俺に向けたままゆっくりと前かがみになって顔を近づけて来た。
「どうせ死ぬんだったら、一回ぐらい食わせ……ゴホンゴホン、楽しい事を経験したいと思わないのだぜぃ?」
「いつの間にか死ぬ前提!? 無限の可能性は!? つか今、食わせろって言おうとした!?」
「にゃはは。少年の元気な腰がアタシの下で暴れてるぜぃ?」
「そういう意味でやってるんじゃなーい!」
俺は遠子さんをどかそうと必死に腰を上下させてもがく。
だが、ちょうど重心を取られてしまったのか、身軽そうな遠子さんさえも容易に押し戻せなかった。
すぐに体力が尽きてぐったりと諦めると、観念したと思われた様だった。
遠子さんは肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべて俺に重なってきた。
がぶ。
耳を噛まれた。
俺は迫りくる恐怖に身を固める。
だが、追撃は襲って来なかった。
気がつくと身が軽くなっていた。
寝そべったままあたりを見回すと、足をVの字に開いてひっくり返ったまま歩道橋の鉄柵にもたれかかって伸びている遠子さんの姿があった。
ピンク色のナース服のタイトスカートがめくれて、不相応な子どもっぽいプリント柄の中身が見えてしまっている。
更に見上げると、保健医のセレナ先生が分厚い医学書を両手で持って振り抜いた姿勢になっていた。
「まったく、来るのが遅いと思っていたらこんな所でウチの生徒をつまみ食いとは」
重そうな医学書を軽々と腋に抱えて、セレナ先生は俺に手を差し伸べてくれた。
ヤダ、セレナ先生ったら超イケメン……。
「てひひ。ごっめんねぇー、少年。でも楽しかったぜぃ」
「キミ、済まなかったね。ウチの後輩が迷惑をかけて」
セレナ先生は、ダブルピースをしている遠子さんにも無理やり頭を下げさせつつ、先生の後輩の非礼を深く詫びてくれた。
遠子さんはセレナ先生の大学時代の後輩で、カウンセラーとして俺の高校に配属予定だったのだとか。
ちなみに遠子さんのナース服は単なるコスプレらしい。
「まぁ、俺もあんな所で意味深に落ち込んでたりして、紛らわしかったですよね」
「アタシのおかげで元気が出たぜぃ? こっちの方もほら…ぶべらっ!」
遠子さんはまた俺に手を出そうとしてセレナ先生の医学書に叩き潰されるのであった。
その後、遠子さんはセレナ先生に耳を引っ張られつつ去って行った。
嵐のような人だったな。
俺は溜め息をつこうとして、やめた。
どんな障害が来たって、楽しく乗り越えてやろうじゃないか。
そう思えた。
さぁ、行こう。コンビニへ。
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