障害物19 きぐるみ てんまる
「おにいちゃん、あそこにくまさんいる!」
俺はコンビニに向かう道中で、いとこの織姫ちゃん一家に出会った。
そして気がついたら、コンビニへの道から遠く離れた公園で子守りをする事になっていた。
コンビニへの旅路がまた阻まれたのである。
織姫ちゃんが指さす先には、確かにくまさんがいた。
きぐるみって奴だ。
くまさんは斜めにタスキをかけて、俺たちが今まさに向かっている公園の入り口で風船を配っていた。
どこかのスーパーマーケットの宣伝らしい。
だがしかしこの寂れた公園には人通りも少ない。
日が暮れるまでに手に持った風船を配り終える事はできないだろう。
この直射日光が降り注ぐ中でご苦労様、と心の中でくまさんの中の人をねぎらった。
俺は織姫ちゃんを連れてくまさんのもとへ辿り着いた。
その時には、くまさんはでかい頭部をふらふらと揺らしてぎこちなく動いていた。
そしてくまさんは織姫ちゃんに水色の風船を手渡した所で、ついに力尽きた。
ぼふっ。やわらかい転倒音。
「……くまさん、死んじゃったぁ」
織姫ちゃんは泣き出さなかった。
えらい。若干、涙声だったが。
だがこれは確かにお茶の間の良い子も号泣するであろう衝撃的展開だった。
俺はとにかくうろたえた。
手元にあった500円玉を使って近くの自動販売機からスポーツドリンクを購入する。
そして織姫ちゃんの声援を受けながら、くまさんを日陰に引きずって行った。
織姫ちゃんの目の前で頭がもげないように気を使いながら。
その光景を、高い空からカラフルな風船たちが見下ろしていた。
俺は織姫ちゃんを公園で遊ばせつつ、くまさんの中の人を日陰で涼ませてあげる事にした。
織姫ちゃんに見られたら夢を壊していまうかもしれないが、人命も大事だ。
恐る恐る声をかけながらくまさんの背中のファスナーを開ける。
ものすごい熱が解き放たれ、やがて日陰の爽やかな風が熱を奪って行った。
ファスナーの中には、風呂にでも入ったのかというぐらい水浸しのTシャツを来た女性の体があった。
濡れて体に張り付いたTシャツにの下から黒いブラジャーが透けて見えていた。
俺がくまさんの頭を外してやろうとすると、中の人は意識を少し取り戻したのかくまの頭を押さえて上半身を起こした。
俺は体半分だけ脱皮した様なくまさんにスポーツドリンクを渡し、落ちていたでかい葉っぱであおいでやった。
しばらくあおいでいるとようやく意識が回復したようで、くまの頭をかぶったまま中の人はスポーツドリンクをゴキュゴキュと飲みほした。
「えー、と。君が助けてくれたのかな。ありがとう」
くまの頭の中から、意外と冷静な声が響く。
彼女は淡々と俺に礼を言うが、まだ体調は万全ではない様子だった。
頭を取るのを手伝おうかと申し出たが、丁重に断られてしまった。
「私はこれで良いんだ。すまない。取ると驚かせてしまうだろうからね」
彼女はそう言ったが、俺が不審がっていると小さく「しまった」と口にした。
「こんなことを助けてくれた人に言うのもおかしいが……実はね、私の顔には大きな傷跡があるんだ。きぐるみならそれを隠せるから、私はこの仕事をしている」
彼女は、きっとそんな身の上話をする相手も今までいなかったのだろうか。
それとも籠った熱のせいだろうか。
初対面の俺に対して訥々と語り始めた。
「私は以前AV女優をしていたんだ。名前をてんまると言ってね。下品にあえぐ専門の映像作品に出演していた」
俺はまじまじとてんまるさんを見つめる。
濡れたTシャツが張り付いた姿態が急に艶めかしく見えてくる。
「もともと演技が好きでね。素の私はこんな風だから、その時は自分を解き放つようでとても気持ち良かった」
ナイスバディのくまさんが木漏れ日の隙間から空を見上げる。
俺は黙って彼女の話を聞いていた。
「だが、撮影中の事故で顔に傷を負ってしまってね。そういう仕事では顔に大きな傷がある女では使い物に……商品にならないらしい」
空を見上げるくまさんの首の隙間から大きな手術痕のある顎が見えていたが、俺は見ない振りもせずにじっと見つめていた。
「そこで映像会社の社長さんから紹介してもらったのがコレさ」
てんまるさんはくまの頭をコツコツと叩いて示す。
「きぐるみなら顔が隠れるだろうってね」
てんまるさんが頭を振るとかぶりものの頭もぶわんぶわん左右に揺れる。
自分の膝の上で拳を握りしめる、てんまるさん。
俺はその拳をそっと手のひらで包み込み、撫でた。
「……ありがとう、少年。話を聞いてくれて。すまなかったな、こんな愚痴を」
てんまるさんはペットボトルを投げて5メートル先のゴミ籠に投げ入れると、スッと立ち上がった。
そして、まだ濡れたTシャツを再びきぐるみで包み隠す。
てんまるさんは再びくまさんとなった。
「今日はちょっと太陽がまぶしすぎただけで、この仕事を疎ましく思っているわけじゃないんだ。だって……」
くまさんは自分の荷物を漁って、中から薄いパッケージを取りだした。
「このきぐるみの中でなら、私は私でいられるから」
俺はくまさんから差し出されたそのパッケージを見た。
白昼の路上で持っていてはいけないようなあられもない姿の女性が写ったDVD映像作品だった。
そのパッケージ写っている女性がてんまるさんなのだと俺は分かった。
とても開放的で満たされた表情をしていたから。
俺は念の為にもう一本ペットボトルを差し出した。
くまさんは何も言わずに受け取り、ボディーランゲージで「ありがとう」と伝えてくれた。
そして、代金の小銭を渡される。
俺もニッコリ笑って大げさにお辞儀をした。
何事かと近づいてきた織姫ちゃんは、俺が手に持ったパッケージを見て表情を凍りつかせた。
やがて織姫ちゃんの両親が迎えに来た。
織姫ちゃんは全てを悟った聖女のような身のこなしで俺から離れて両親のもとに駆け寄った。
あぁ、神様。願わくは、なるべく早くに誤解が解けますように。
そして、俺が早くコンビニに行けますように……。
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