障害物14 保健医 セレナ
「キミは……病気なのか?」
俺の突然の叫び声に驚いたのか、線路沿いの道で俺の横を通り過ぎようとしていたセダンが急停止し、運転席側のパワーウィンドウを開けて運転手がこちらを見た。
その運転手には見覚えがあった。
俺が通っていた学校で保健医をしていた瀬川セレナ先生だった。
不登校になる前は保健室通いだったので、俺はセレナ先生には当時いつもお世話になっていた。
セレナ先生も俺の事は覚えていた様で、顔を見るなり「あぁ…」と怪訝な表情になった。
「なんだ、北島クンじゃないか。体調はもう良いのかい?」
軽く世間話でもするつもりになったのか、セレナ先生は車を路肩に停めて運転席から降りてきた。
「今日は、たまたまです。なんとなく、コンビニに行きたくなって」
「生徒から聞いた話では近頃は家の中でも自室から出ていなかったらしいじゃないか。そんな急に遠出をして大丈夫なのか?」
「はぁ、確かにほんのちょっと歩いただけでもう疲れ果ててますね」
……ほんのちょっと歩くたびに色々な障害物に絡まれてるからな。
「なるほど。まぁ、たまには歩いて日光を浴びた方が良い。運動不足では気分も落ち込みやすいからな。これを期に、たまには散歩などをしてみたまえ」
「あ、ありがとうございます」
「なんならコンビニまで車に乗せてやろうかとも思うのだが、どうかね?」
「いえ、自分の足で行きたいと思ってるので。せっかくですが」
「そうか。久しぶりの外出で転んで捻挫でもしないように気をつけろよ」
「は、はい」
セレナ先生は多少気位の高そうなもったいぶった喋り方をするが基本的には物わかりが良く優しいので、俺のコンビニへの道程の妨げにはならなさそうだと思った。
「ところで、セレナ先生はどこか行く途中でしたか? すみません、引き留めてしまったようで」
「何、気にする事はないよ。今日は休日だからというので呑んでいたコレを引き取りに行っていたところでね」
セレナ先生は助手席に座って寝込んでいる人物をあごで指して言った。
陰になってよく見えなかったので覗き込むと、そこには一升瓶を抱えたほぼ下着姿の成人女性……体育教師の園崎そら先生が耳まで真っ赤にして座りながら寝ていた。
「なんです、コレ」
学校の先生に向かってコレ呼ばわりも酷いかと思ったが、朝から飲んだくれている痴態にはあまり敬意を払えない。
「何って、園崎先生だよ。たしか君の元のクラスの担任じゃなかったかな」
「……そうですね。それで、何でこんな姿で?」
園崎先生は黒いタンクトップに黒いスパッツ、あとは裸足に白いスニーカーという軽装備だった。
学校にいるときはいつもジャージ姿だった園崎先生だが、こうしてみると腹などは筋肉が割れて引き締まっているのに太ももや胸は柔らかそうな肉がはちきれそうにムチムチと張っていた。
何だか見てはいけない物のような気もしたが、セレナ先生からも咎められないのと園崎先生のあまりのだらしなさから、欲情する程の物でもないと脳が判断したのか何の劣情も催さなかった。
「うむ……、何から話せば良いか悩むが。彼女なりにキミの事で責任を感じている様でね。近頃はいつもこんな感じなのだ。休日になるとこの姿で町内マラソンをして汗を流し、そのまま飲み屋で一杯やるのだそうだ。そして潰れて帰れなくなり、私が呼び出されるという訳だ」
セレナ先生は清潔そうなジャギーカットの頭を抱えて眉間にしわを寄せる。
だが、ふと思う所があったのか運転席のドアを開け、体半分を車に踏み入れて園崎先生を揺さぶり起こそうとした。
セレナ先生は高等学校の保健医でありながら、若くて美人だ。
保健医と言えば普通、トウが立ったおばちゃんや男性がやっているイメージがあるのだが、セレナ先生はそうではなかった。
おかげで保健室はいつもセレナ先生目当てで仮病の男子生徒が集まってくる。
その生徒からの視線を彼女自身も自覚しているのか、セレナ先生は妙にコケティッシュで色っぽい部分を前面に押し出そうとしているように見えた。
例えば今も、白衣の下のタイトスカートの隙間から黒いガーターベルトが見えている。片足を車にかけているので更にその奥の秘密の花園まで見えてしまいそうになっている。
この絶妙な角度を意識して演出しているのであれば、セレナ先生は相当な悪女だろう。
悪い人ではないのだが、男をその気にさせて振りまわしそうなイメージは常に付きまとっている。
「おい、起きたまえ。園崎先生、キミの例のひきこもり生徒がついに社会復帰しようとしているぞ」
なんというひどい掛け声だろう。まぁ、否定できないけれど。
セレナ先生は園崎先生から一升瓶を奪い取り、彼女の肩を揺さぶった。
「あ、あの、無理に起こさなくても」
俺は一応セレナ先生を止めてみる。俺としては学校から逃げ出して迷惑をかけた分、園崎先生には何となく合わせる顔が無いと感じていたのだ。
だが。
「何を言っている。彼女はキミのひきこもりを自分のせいだと気に病んでこんな姿になってしまったんだ。ここはひとつ、元気な姿でも見せてやってくれ」
あぁ、ああぁ……。
なんていうことだ。
セレナ先生は障害物ではなかった。
セレナ先生自体はまったく悪意なく、俺や園崎先生の為に良かれと思ってやってくれている。
だが……園崎先生という、俺にとってきっと最大の難関である障害物を連れてきてしまったのだ。
もう時すでに遅し、車の中から園崎先生の寝ぼけた声が聞こえてきた。
ここが山場だ。
きっとこの難関を越えて俺は、俺は……。
「あれー、北島くんじゃあないか……ふわぁ」
俺は、コンビニに行くぞ!
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