障害物11 図書委員 皐月


「あ、あのー。ちょっとよろしいでしょうか?」


 やっとの事で歩道橋を渡り終えて意気揚々とコンビニへ進もうとしていた俺は、まだ歩道橋から数歩も離れていないところで出鼻をくじかれた。


「やぁ、君は同じ高校で図書委員をしていた早乙女皐月(さおとめ さつき)ちゃんじゃないか! どうしたんだい?」


 半ば投げやりに登場人物の紹介をする俺。

 なぜ、こんなにも今日は人と出会うのだろう。

 やはりヒキコモリは家に居ろという神のお達しなのだろうか。


「は、はい! そ、そうです。早乙女です。えっと、そう言うあなたはずいぶん前から不登校になっているはずの北島勘太くん?」


 早乙女さんは俺に合わせてくれたのか、かしこまった説明口調で俺の事を簡潔に説明してくれた。


「そう、俺の名前は北島勘太。今から隣町のコンビニに行く所なんだ!」

「そ、そうだったんですね。え、えっと……お久しぶりです。今日は良いお天気ですね!」

「うん! 実に良い天気だ! 絶好の散歩日和だと思わないかい?」

「あ、えっと……そ、そうですね! わ、私もお散歩に来ていたところなんです! それで、その、見てしまいました……」

「う、うん?」

「北島くんが……伊集院このはさんと、その……キス、しているところを」


 早乙女さんは顔を真っ赤にして、とても恥ずかしい単語を無理やり言わされているかの様にボソリと「キス」と発音した。

 そして、自分が言った単語に更に羞恥心を抱いたのか俯いてしまう。

 確かにそうだろう。休日の真っ昼間に自分と同い年の男女が歩道橋の上なんていう目立つ所でキスをしている所に出くわしてしまったら、そりゃあ誰だって気まずくもなる。


「見ちゃったんだ?」

「は、はい。で、でも! 私、だ、誰にも言いませんから! お二人が、そ、そういう関係だなんて」

「わぁーっ! ち、違うよ早乙女さん! 俺とこのははそういう関係じゃないから!」

「えっ、でも、してましたよね……キ、キス」

「あれは、その、成り行きというか……」

「き、北島くんは好きじゃない人ともキス出来ちゃうんですか?」

「いやいやいや、アレは勝手に向こうから……!」

「じ、実はですね。私も、興味あるんです、キス。だけど誰も教えてくれなくて」

「そりゃ、普通は恋人同士でするものだから」

「でも、北島くんは伊集院さんとキスしてました!」


 ずいっと身体ごと迫ってくる早乙女さん。

 彼女が何度も恥ずかしそうにキスと呟くので、ぷっくりとした淡い桃色の彼女の唇につい目が行ってしまう。


「だからあれは事故なんだって!」

「あはぁ、恋人同士じゃなくてもキスしちゃう北島くん。私の唇まで奪う気なんですね」

「どうしてそうなる!」

「だって北島くん、さっきからずっと私の唇見てます。あぅ……こんなところでぇ、恥ずかしいですぅ」

「しないっての!」


 ダメだ。早乙女さんはもう自分の世界に没入してしまっている。


 早乙女さんってこういうタイプの人だったんだと俺は初めて知った。

 思い出してみても早乙女さんとの接点はあまりなかったので仕方ないが。

 俺は人と接するのが苦手で、中学の頃からよく図書館に籠っていた。

 その頃から早乙女さんは図書委員をしていたはずで、本を借りるときに何度か受付をしてもらったこともあるだろう。

 俺にとってはその程度の思い出しかない。

 だから早乙女さんにとっても俺はその程度だろうと思っていた。


「ねぇ、早乙女さん。キスとかそう言うのは、事故でとか興味本位でとかじゃなくて、したい相手とするのが良いと思うんだ」

「は、はい。だ、だから北島くんなんです。北島くんと、したいんです」

「え……えぇっ?」

「私、知ってます。北島くんがどんな本が好きかとか、月にどれぐらい本を読むのかとか」

「あぁ。そっか、図書委員だったもんな」

「それに、北島くんがほかの人からどんな風に思われているかも、知ってます」

「んっ? それって、どういう……」

「だって、楠木燻(くすのき くゆり)ちゃんに北島くんの名前を教えたのは私なんですよ」


 早乙女さんと俺の後輩のくゆりちゃんに接点があったなんて。

 意外と言えば意外だけれど、筋は通っているなと俺は感心した。

 なぜなら俺はあの日、図書館2階のベランダからくゆりちゃんを見ていたのだから。



「わ、私、あの日ちょうど図書委員で受付をしていて。

 北島くんの事は『よく見かける生徒だな』って思ってたぐらいで。

 だけど北島くんが慌てて図書館から出て行くのが見えて。

 ホラ、この学校の図書館って閲覧室が吹き抜けになってるでしょう?

 図書館の2階から走って出て行く生徒がいたら受付からでも自然に目がついちゃって。

 次に会ったら叱ってやろうと思ってたんだけど。

 一週間後ぐらいかな、くゆりちゃんが来てね、『あの日、図書館2階のベランダにいた人の事、知りませんか』って。

 その時は北島くんの事は貸出カードで顔と名前ぐらいは覚えていたから、名前だけ教えてあげたの。

 それでなんとなくだけどね、私、ピンと来ちゃって。

 きっと北島くんがこの子を助けてあげたんだろうなって。

 それからずっと気になって、受付をしてる時にはずっと北島くんの事を見てたんですよ」


 早乙女さんの長い独白。

 それは忘れかけていた俺とくゆりちゃんの出会いの一幕だった。

 そして、俺がいつの間にか早乙女さんに気に入られていたらしいという事。

 『見間違いじゃないの?』とはぐらかそうかとも思ったが、早乙女さんにはその後から図書館で俺とくゆりちゃんが一緒にいる所も見られているだろうと思って諦めた。

 自分が相手を気にも留めていなかったのに、一方的に見られていたというのはどうにもむず痒い気持ちしかしなかった。



「そう言えば、そんな事もあったっけね」


 当時の事への明言は避けて、俺はそっぽを向いた。

 早乙女さんがあまりにも近づきすぎていて、そのままでいたら顔と顔が接してしまいそうだったから。


「ねぇ、知っていますか? 恋人って片思いでも恋人なんですよ。だから北島くんは私にとっての恋人。恋人とキスしたいと思うのは、自然なことですよね?」

「そ、そうなんだ。……でも、ゴメン。俺の恋人は別にいるんだ」

「それって、くゆりちゃんのことですか?」

「さぁ、どうだろうね」


 俺は明言を避けた。

 不本意ながら今日は女性からの誘いをお断りしなければならない場面が多く、非常に心苦しかった。

 それでも誘惑に負けず(唇は奪われたが)心が奪われることもない自分を誉めてやりたかった。

 ヒキコモリにはモテ期なんて身分不相応なのさ、なんて自嘲しながら。



「私、諦めが悪い女ですよ?」

「奇遇だね、俺もだよ」

「……そうですか」


 早乙女さんはふてくされた表情をしながらも、名残惜しそうに俺から体を一歩引いてくれた。


「北島くん、これからコンビニに行くんでしたね。ごめんなさい、お邪魔してしまって」

「いや、いいさ。今日は何だか邪魔されるのにも慣れっこだ」

「ふふふっ、なんですか? それ」


 早乙女さんは静かに笑う。キスをねだる姿よりも、よっぽど似合っていた。


「じゃあ、またね」

「はい、御機嫌よう」


 小さく会釈を交わし、俺は早乙女さんと別れた。


 そして数十メートル先に人影を見つけて俺は溜め息を吐きつつ、コンビニへと向かうのだった。

 

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