障害物10 中2病少女 このは


「かんたーーッ!! なにデレッとしてるんだッ!! みっともないぞッ!!」


 幼馴染のいろはの声が急に聞こえて、俺は我に返った。

 ……見られた!?

 路上で行きずりの相手とキスをしてしまった所を見られてしまったんだろうか。

 慌ててあたりを見回す。誰もいない。

 そういえば先ほど、歩道橋の上に人影を見つけていたのだ。

 もしかしてアレはいろはだったのか?

 色々な所で足止めを食らっていたからいつの間にか追い抜かされていたのかもしれない。

 俺は慌てて歩道橋の階段を上った。



「……あれ、居ない」


 歩道橋の上には誰もいなかった。

 ただ、つまらなそうに文庫本を読んでいる少女が鉄柵に寄り掛かっているだけだった。


「フン、この程度の策にかかるとは。よっぽどお姉ちゃんに入れ込んでいるみたいだなぁ……人間風情が」


 文庫本から眼を逸らさずに、しかし俺に向けて少女は演技がかった口調で言った。


「貴様には警告を与えておこうと思ってな。これ以上お姉ちゃんをたぶらかすと……冥府の門を開く事になると」


 そして少女は片眼をつぶり、やれやれと言った表情でこちらを見た。


 俺にとっては見慣れた、意志の強そうな眉毛。

 先ほど聞こえた澄んだ声色をわざと喉を潰して低音にしたような、凄味があるけれどどこか愛嬌がある声。

 眼の前の文学少女の正体は、いろはの双子の妹このは。

 あの姉にしてこの妹ありと言ったところだろうか。

 髪も声も体型も顔立ちもいろはと瓜二つ。さすが一卵性双生児だ。

 だが性格はどうだろう。

 いろはは破天荒で体を動かしていないと落ち着かないようなタイプなのに、このははしっとりと身のこなしが重くまるで正反対だ。


 睨みつけるようなこのはの眼力に気おされて俺は居心地が悪くなる。


「たぶらかすって、そんな……俺は別に、いろはなんか」

「お姉ちゃんを『なんか』なんて言うなッ!!」


 叱られた。

 ガシャッ! とこのはは真横の金網を掴んでものすごい剣幕で怒鳴った。


「ご、ごめんごめん。俺なんかにいろはをどうこうする気はないよ」


 謝りながらも俺は、「あぁ、地声で喋るといろはと同じ声だってわかるなぁ」なんて呑気に考えていた。


「……フン。下衆な人間なんぞにお姉ちゃんの素晴らしさは分かるまい」

「このはちゃんは、いろはの事が大好きなんだね」

「なッ、何を言い出すのだッ! 不純な妄想をするんじゃない、この助平人間めがッ!」

「してないしてない」

「第一、貴様の方はどうなんだ。私のお姉ちゃんが好きじゃないのか?」

「別に……俺にとっていろはは、そういうのじゃないよ」

「なんだとッ! お姉ちゃんはあんなに格好良くて優しいのに、自分のモノにしたいとか思わないのかッ!?」

「そんなの、好きとか嫌いとか他人に言えるわけないだろ」

「クッ……ヘタレめ」


 このはちゃんはいろはとほとんど同じ顔なのに、いろはは絶対しないような表情をするので見ていて興味深い。


「だがなぁ、勘太。通りすがりの女性を追いかけてキスをするような奴にお姉ちゃんを譲るわけにはいかないぞ」

「あっ、アレは! ただ、道を教えてあげていただけだよ。それのお礼にってキスされたけど、ほっぺたにね」

「なんとまぁ、相変わらずのお節介焼きだな。貴様らしいと言えば貴様らしいが」

「そりゃ、どうも」

「それにしても、頬にキスされたぐらいでその動揺ぶり。貴様はキスもした事が無いのか」

「わ、悪いかよ……」

「私が教えてやろうか? 私の唇はいろはお姉ちゃんと全く同じ形だぞ、遺伝子レベルで」


 俺はその言葉にドキッとする。

 そして、このはのつややかな唇を見つめてしまう。


「そ、そういうのは、好きな人とするものだから……」

「ふぅん。でもお姉ちゃんはしたことあるぞ、キス」

「えっ……!」


 挑発的なこのはの言葉に、俺はサーッと血の気が引く音が聞こえた気がした。

 幼馴染のいろはが見知らぬ男に抱かれてキスをしている所を想像してしまったのだ。

 いろはが誰とキスしようと、俺には関係ない事のはずなのに。


 茫然と立ち尽くした俺の顔を、誰かが覗きこんだ。

 気がつくと、想像の中のいろはとまったく同じ顔が目の前にあった。

 そして……。

 その顔がゆっくりと近づき、そっと唇が重なってきた。

 わずかに湿った柔らかい肉が俺の唇をついばみ、サッと離れて行った。


「な、何を!」

「何って、キスさ。した事が無いっていうからさせてやったんじゃないか。それも、貴様が好きな女の顔でな」


 妖しく微笑むこのはが、先ほどの感触を確かめるかのように彼女自身の唇をそっと指でなぞっていた。

 その姿に見惚れてしまった俺は、情けない事に足の力が抜けてその場にぺたんと座り込んでしまう。



「ふふふ、どうだ? 一度してしまえば大したことないだろう?」


 勝ち誇ったように両手を腰に当てて胸を張り、このはが見下ろしてくる。

 一方の俺は、キスの衝撃でもまだいろはの事で頭が混乱していた。

 その様子が見て取れたのか、このはは少し申し訳なさそうな顔でうつむく。


「ちょっといじめすぎたかなぁ……おいっ、しっかりしろ勘太!」


 気つけのつもりか、手にしていた本の背表紙でコツコツと頭をノックされた。



「わ、悪かったよ、変な事を言って。そ、そうだ。良い事を教えてやろう」

「何さ……」

「さっきのキス、いろはお姉ちゃんとの間接キスだぞッ!! 良かったなッ!!」


 俺は間接キスぐらいで一喜一憂するようなヤツじゃない。

 だが、今の言葉についてちょっと考えると、聞き捨てならない事だと気付いた。


「間接キス!? おい、このは! い、いろはとキスしたのか!?」

「ふふん、だから言っただろう。『お姉ちゃんはしたことある』って。まぁ……寝てる隙にしちゃったからお姉ちゃんは気付いてないかもしれないし、卑怯だけど」

「お、おまえなぁ……」

「だからさっきのは、ほんのお裾分けだよ。言っておくけどな、お姉ちゃんと直接キスしたいだなんて私は許さないからな!」


 完全に立ち直った俺にビシッと指を突き付けてこのはは宣言した。


「勘太! 今日から貴様は、私のライバルだ!」


 ……。

 うん?



「私が言いたい事はそれだけだ! さらばだ!」


 このはは色々と有耶無耶にして去ろうとする。


「ちょ、ちょっと待って、このは!」

「んッ!? なんだ?」

「もしかして、それを言う為だけにココに居たの?」

「その通りだ。同級生の叶神菜とか言うストーカー女に教えてもらったのだよ」

「うへぇ」

「だから知っているぞ、勘太が今からコンビニに行こうとしている事も」

「あ、うん。そうだね。もう行ってもいいかな」

「邪魔するつもりはないさ、早くいろはお姉ちゃんの為にコーラを買って来い。カロリーハーフのやつが喜ばれるぞ」

「そうなんだ、ありがとう教えてくれて」

「フフフッ。お姉ちゃんの事は何でも私に聞くがいい。そして、私がどれだけお姉ちゃんについて詳しいかを思い知るが良い!」

「そりゃ、家族なら知ってるだろうね」

「では私は行くぞ。邪魔したな、勘太」

「うん、またね」


 このはと別れた俺は、ついに歩道橋を渡った。

 ようやく道半分と言ったところだろうか。

 ここから線路と垂直に伸びる道を行けば目的地だ。



 行こう、コンビニへ!

 

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