障害物8 後輩 くゆり
「ひっでぇなぁ、勘太センパイは。オンナを泣かせたまま逃げるだなんて」
線路沿いの道を走っていたら、後ろから声をかけられた。
日頃の運動不足が祟ってほんの数秒で息が切れていた俺は、それをきっかけに走るのをやめた。
急に速度を落とした俺を、原動機付き自転車がスルッと追い抜いて行った。
「わたたっ、急に歩くなよ、もぉ」
その原付は5メートルほど先で止まり、運転手の少女は俺が歩いて辿り着くのを待ってから低速で並走してくれた。
紹介しよう。
俺の後輩、楠木燻(くすのき くゆり)。
俺が通っている学校は中学・高校一貫の大学付属学校で、俺が高校1年の時に中学3年のくゆりと出会った。
その時のちょっとした手違いのせいでくゆりは俺に子犬のように懐くようになってしまったのだ。
当時は本当にただのあどけない少女だったのに。
むしろそのままの姿で俺に懐いてくれていたら良かったのに。
照れ屋で、おどおどしていつ見ても不安げな表情を浮かべていた少女だったのに。
「あん? なんスか勘太センパイ。アタシの顔になんかついてる? さっきからジーッと見て」
なんだろう。どこで間違えてしまったのだろう。
くゆりはどう見ても……不良少女になっていた。
染色のせいか痛んでバサバサになった金髪。
白黒の縞ニーソとチェックのミニスカートによる絶対領域。
襟元に十字架がデザインされた白いノースリーブ。
そしてドクロ柄の赤いネクタイ。
「ゴスロリ不良少女だ……」
「ち、が、う! ゴシックパンクだ。勘太センパイはもうちょっとファッションに対する観察眼を鍛えた方がいーと思うな」
「きみ、本当にくゆりちゃん? あの時の」
「そうだとも。……勘太センパイが学校に来なくなったって聞いて、思ったんだ。もう守って貰うばかりじゃいけないなって。これからはアタシ一人でも頑張らなきゃって、ね」
「そっか……」
どうやら俺の不登校が一人の少女のライフスタイルを変えてしまったらしい。
すまない、くゆりちゃん。
俺は心の中で謝った。
「なぁ、勘太センパイ。今日は出かけるのか? どこに行くんだ? アタシも付いてって良いか?」
くゆりは原付に乗ったまま顔をこちらに向けて矢継ぎ早に質問してくる。
「前見ないと危ないよ」
「ヘヘッ、こんなの平気平気! ようやく免許取れるトシになったからね、休日はこうしてずーっと乗ってるのさ。それより……」
「あぁ、付いてきなよ。っていっても、この先の歩道橋までになっちゃうけどね」
「歩道橋っ? ここからだと結構距離あるよ」
「えっ、そうなの?」
「もしかして、勘太センパイこの道は初めてッスか?」
「そうだね。隣町のコンビニに行こうと思ってたんだけど」
「オーッ、ノーッ! そんな遠くまで!? そりゃ無謀ですよ」
「あ、そうなんだ」
「でも大丈夫だよセンパイ! アタシがケツに乗せてやっから!」
くゆりは原付のシートをバンバンと叩いて目を輝かせた。
「あ、うん。くゆりが二種免許取ったらね……」
俺は法令を根拠に丁重にお断りした。
女の子の運転する二輪車に二人乗りなんてする度胸は俺には無かった。
その後、くゆりとのんびり話しながら歩いたおかげで長い道のりも気が紛れた。
俺がひきこもっている事、学校の事、これまでの事、いろいろ話した。
くゆりがボーイッシュな雰囲気になっていたからだろうか、まるで男の同級生と話す時のように異性を意識せず話ができてとても気楽だった。
やがて線路の先に歩道橋が見えた。
残念ながら自転車用のスロープがついていないので、くゆりとはここでお別れとなる。
「ありがとう、くゆり。短い間だけど久しぶりに話せて楽しかったよ」
俺が笑顔で別れを告げると、急にくゆりの顔が曇った。原付も止めて、俯いてしまっている。
「……大丈夫?」
何かあったのかと心配になり俺がくゆりの顔を覗き込むと、ヘルメットを外したくゆりが俺を抱き寄せ上半身の体重を預けてきた。
「くゆり?」
くゆりと頬を合わせる体勢となり、彼女の表情が見えなくなった。
「見ないで。勘太センパイ」
くゆりの頬の震えが伝わってくる。
「なぁ、センパイ。ひとつだけ、聞きたいんだ。どうしても、聞きたいんだ」
「どうした?」
「センパイはさ。あの時、どうしてアタシを助けたりしたんだ? こんなのアタシの勝手な勘違いかもしれないけどさ、もしかしたらセンパイにとってアタシは特別な存在なんじゃないかって、そう思っちまうよ」
「……」
俺はまた心の中で謝る。
ごめんな、くゆりちゃん。
そんなのは君の勝手な勘違いなんだよ。
俺は別に君の事を何とも思っちゃいなかったんだ。
第一、俺は君の名前さえ知らなかったんだぜ。
俺はただ、いじめられている君を憐れに思ったのさ。
くだらない好奇心と正義感でちょっかいを出しただけなんだ。
それに、俺は君を助けてなんていない。
全ては君の勘違いなんだよ、くゆりちゃん。
……女の子に抱きしめられて情に流されそうな俺は、心の中でくゆりちゃんに対して冷酷になる事で落ち着きを取り戻した。
だが。
だがしかしだ。
くゆりちゃんの心情が分からないわけではない。
求めてもいないのに誰かから手を差し伸べられると、もしかして相手は自分の事を好きなんじゃないのかなぁなんて『勘違い』をしてしまうものだという事を俺は良く知っているはずなのだ。
だから、そう。
悪いのは勘違いさせちまう奴の方なんだ。
好きでもないのに勘違いさせて、気を持たせて、ズッと心の中のわだかまりになっちまう奴が悪いんだ。
君は悪くない。
君は悪くないよ、くゆりちゃん……。
「くゆりちゃん、俺は」
俺は彼女の気持ちに対して誠実にこたえようと思った。
誠実に、決別させてあげるべきなんだと思った。
……本当に。
決して、体の柔らかさに心が揺らいだりなんてしていない。はずだ。
だが、俺の決心は遮られた。
「あーっ、アタシ何言ってんだろ。タンマッ、今のナシナシ。忘れてっ、お願い!」
バッと身体を離し、ハーフヘルメットをかぶり直すくゆりちゃん。ゴーグルに隠れて表情は見えなくなってしまった。
「それじゃあセンパイはコンビニ行くの頑張ってねぇん。たまには陽の光あびろよォ、このヒキコモリ!」
早口にまくし立て、くゆりは原付を再び押し始めた。
「勘太センパイにとってアタシがどうかなんて、どうでもいいや。アタシにとっては勘太センパイは特別なんだ。それだけっ!」
そしてくゆりは走り出す。原付を反転させて、今来た道を颯爽と駆けて行ってしまった。
取り残された俺は、ついに見えた歩道橋に向かって進んでいく。
来年、彼女の後ろに乗せてもらおう。
それまでに、ひきこもりも治しておかないとな。
俺は気持ちを新たに、コンビニへと向かうのだった。
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