障害物7 先輩 桐子

 しばらく真っ直ぐ歩いていると、カタンカタンという電車の音が聞こえてきた。

 線路が近い。そう気付いた。

 遠い正面、道路を挟んだ建物と建物の間を見れば、今まさに電車が左から右へと通過していくところだった。

 俺はついに線路につきあたる丁字路に辿り着いたのだ。


 線路は道路と同じ高さにあった。

 そして線路の両脇に沿って車道が続いている。

 線路自体が緩やかな内向きのカーブを描いていたため、俺が丁字の交差点に辿り着いた時には先程の電車はもう見えなくなってしまっていた。

 この場所からは踏切も歩道橋も見えなかった。

 交差点には信号もない。この辺り一帯は住宅街のため車の出入りも多くない。

 ここから右に行けば踏切と駅がある。

 この場所には中学生の頃であれば自転車で何度も来たことがある。その頃には歩道橋もなかったので右折しかしたことが無い。仮に歩道橋があったとしても、それがスロープ付きの物で無い限り自転車で通ることはできないだろう。

 俺が今から進もうとしているのは左だ。

 俺は初めて行く左側の道を見て少し緊張した。

 なんて小さな大冒険だろう。

 俺は、この先に歩道橋がある事を信じて左側の道を歩きだした。



「おや、北島くんじゃないか。どうしたんだい、こんな所で」


 歩きだせなかった。

 俺が左を向いた瞬間にばったりと人に出会ってしまったのだ。


「き、桐子先輩……」


 桐子先輩は俺が学校で所属していた映画研究会の部長だった人だ。俺が学校に行かなくなってからずっと会っていない。

 以前は学校の休みの時に映画研究会のメンバー全員で映画を見に行ったことなどもあり、桐子先輩の私服を見るのは初めてではない。相変わらず、ファッション誌の表紙モデルの服をそのまま集めた様なひと揃えの衣装を身にまとっている。

 特徴的なのは染色を疑う程の見事な赤色の癖っ毛で、最後に見た時には肩にかかる程度だったのが今では背中のあたりまで伸び放題になっていた。


「久しぶりだなぁ、北島くん。具合はもう良いのかい?」

「あぁ、ええ。まぁ」


 俺は対面上は体調不良で学校を休んでいる事になっている。

 詳しい説明はしたくなかったので曖昧に答えたら、桐子先輩も察してくれたようで深くはツッコまれなかった。


「北島くんはこれから暇かい? 私は今から駅ビルのレンタル店で映画を借りようと思っているんだが……良かったら最近の流行りを教えてくれないか? 受験の息抜きに休みの日ぐらい映画を見ようと思っていたんだが、その界隈から長らく遠ざかってしまっていてね、一緒に来て選んでくれたらと思うのだが、どうだろう?」


 簡潔に身の上を説明だけをした桐子先輩は俺の腕をぐいっと引っ張り、そのまま駅の方へ行こうとした。


 桐子先輩は以前と変わらない性格らしい。自分の都合に合わせて周りをグイグイと引っ張っていくタイプだ。

 だが俺はあの頃とはずいぶん変わってしまった。

 以前の俺ならば腕を引っ張られた時点でコンビニへ行く自分の都合は諦めて先輩について行っただろう。

 しかし今の俺はそれができない。

 他人に合わせる事に疲れてしまっていた。

 誰かに都合を合わせてその人に嫌われまいとしたところで、その人が自分を嫌いにならないわけではないという事を俺は自分の身に染みて学習してしまっていたのだ。

 俺は足を踏ん張り、引きずられるのを拒んだ。

 緩く掴まれていた腕はすんなりと桐子先輩の手から離れる。急に負荷を失いバランスを崩した先輩は前のめりになりバランスを崩した。


「おっとっ」


 桐子先輩は2、3歩よろめいて歩いた後に体勢を立て直した。

 そして、吃驚した様子で目を見開いて俺を見た。


「や、やだなぁ。もー、意地悪しないでくれよ。さ、行こう」


 先輩は明るく取り直すと、再び俺の腕を取ろうと近づいてくる。


「やめてください、先輩。俺は、あなたとは行けません」


 ぱしん、と乾いた音を立てて俺の手が先輩の手を振り払った。


「俺は今からコンビニに行きます。だから……すみません」


 もう、先輩の顔を見ていられなかった。

 俺は先輩に背を向け、歩道橋の方へ歩き出した。


 行こう、コンビニへ。


 ……とか思ったのだが。


「びええぇぇえええぇぇぇっ」


 なんだこれは。

 猛獣の鳴き声かっ!?


「わだしはただ……ずびっ、北島ぐんと一緒にビデオ屋さん行ぎたかっただけなのにいぃぃ! ふえぇぇぇぇ!」


 あ、桐子先輩の泣き声か。

 桐子先輩はぺたんと道路に座りこんでだだっ子の様に両手を振りまわしながら俺に訴えかけてきた。

 そうなんだよなぁ。

 桐子先輩がわがまま強引マイペースなのは別に本人に悪気があるわけじゃない。


「うううぅぅ、ふぐううぅぅぅ。いいじゃん!! ひさしぶりに北島くん゛に会えて嬉しかったん゛だからああ! 遊ぼうよおお!」


 わーわー泣き叫びながら両手を振りまわす桐子先輩。

 しまいには道路の小石など投げてくる。


「痛ッ、痛ッ! や、やめてくださいよ先輩! みっともない」


 あ、口がすべった。


「……びええええ! み゛っ゛と゛も゛な゛い゛っ゛て゛い゛っ゛た゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 桐子先輩は大人びた外見や普段の印象からは想像もできなかったが、堪え性のない人なのだ。

 はぁ。

 俺は溜め息をつかずには居られない。

 桐子先輩がこんなのだから、昔の俺は従わざるを得なかったんだよなぁ。

 泣き叫ばれるよりは素直に従って大人しくさせておいた方が良いと思っていたんだ。


 でもダメだ。

 今日の俺は違う。

 決心したんだ。

 何があっても、コンビニに行くって。

 その為にはどんな障害物も乗り越えなければならない!


「センパイ!!」


 俺は飛んでくる小石やらブーツやらを防ぎながら、だだっ子のような先輩の肩をしっかりと掴んだ。

 桐子先輩の瞳を真剣に見つめる。

 俺の眼差しに気付いた先輩が次第に落ち着いてくる。

 そして、立ち上がらせた。


「……北島くん。わかっ」

「御免ッ!」


 ダッ!


 逃げた。

 俺はそこに桐子先輩を置いて走り出した。

 あぁ、ちくしょう。太陽がまぶしいぜ!

 俺の旅は、始まったばかりだ!!

 いやっほーい!!


 ……遠く後方から、ひときわ大きな恨めしげな泣き声が聞こえた気がした。



 ゴメン、桐子先輩。俺はコンビニに行くよ。

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