障害物6 同級生 神菜

「あっ、北島くん。偶然ですね」


 俺は家を出て2.5秒で出会ってしまった。身内以外の異性に。

 俺を苗字で呼びながらニコッと笑う少女は、元同級生の叶神菜(かのう かな)さんだ。

 できれば会いたくない部類の相手だった。彼女は俺がまだ学校に通っていた頃に在籍していたクラスの学級委員だったのだ。

 成績優秀、容姿端麗。優等生を絵にかいたような人物であり、劣等生な俺のコンプレックスを刺激するには充分な相手だ。

 何事もソツなくこなしてきた叶さんのことだ、自分が学級委員を務めていたクラスでひきこもりが出て、しかもそれを解決できなかった事は彼女を大いに困らせている事だろう。

 そのせいだろうか?

 叶さんはどうも、俺を再度学校に行かせる事について熱心すぎる様な気がした。



「やあ、叶さん。おはよう」


 叶さんは俺の家の玄関を出てすぐ前の電信柱の陰から現れた。

 とんでもない偶然だ。


「あのね、今日は何だか天気がいいから散歩しようと思っていたんです。北島くんも一緒にどうですか? これからコンビニに行くんでしょう、そのついでで良いですから……」


 うん、とてもさりげなくて自然な提案を頂いた。

 彼女の笑顔につられて、一緒に散歩をしてしまいたくなる。

 だが。


「……どうして、コンビニに行くってわかったの?」


 素朴な疑問。

 出会い頭にこちらの事情を既に知っているなんて偶然があるだろうか。


「さぁ、どうしてでしょう。なんとなく、そんな気がしまして」


 叶さんは笑顔を崩さずにこちらの疑問を受け流した。

 数ヶ月も引き籠っていた俺の久しぶりの外出にちょうど出くわすような偶然なんてあるだろうか?

 なんだか、深く突っ込んではいけない闇の塊が目の前に淀んでいるかのようだった。


「あ、あぁ。そうなんだ。あはあはは……」

「じゃあ、行きましょうか」


 叶さんは俺の隣に並んで促してきた。

 コンビニに行くことを邪魔されるわけでもないので、断る理由なんてない。

 だがどうしても俺の脚は重くなってしまう。

 正直に言って俺は彼女の事があまり得意ではない。

 なんだか、全てを見透かされている気がして。



「北島くん、ちょっと痩せましたね。ちゃんと栄養ある物を食べてますか?」

「あぁ、大丈夫だよ。姉さんが全部作ってくれてるんだ」


 しかたなく俺は叶さんと並んで歩きながら、隣町のコンビニに向かった。

 休みの日だというのに彼女は学校指定のセーラー服を着ている。律義に生徒手帳の文面を守っているらしい。

 一方俺はユニク○で全身を固めた無難で平凡な服装をしている。引き籠っているうちに少し太って、以前の服は着られなくなってしまったのだ。

 ここ数カ月、このままでは着られる服が無くなってしまうと焦り食事の量を少し減らしていた。


「へぇ、お姉さん料理上手なんですか?」

「そうだね。俺が頼んだ物はたいてい作ってくれる」

「そうですか。でもダメですよ、好きなものばかり頼んでいたら。最近ずっとエビフライばかり食べているでしょう? 栄養が偏ってしまいますよ」

「そ、……そうだね、気をつけるよあはは」


 なんでそんなに俺の家庭の事情に詳しいんだ!

 エビフライばかり食べていたのはここ数日の事だぞ!?

 まさかこいつ、さっき電信柱の陰に居たのは俺の家のゴミ袋から個人情報を収集するためじゃ……。

 いや、それもあるかもしれないが。コンビニに行くことを知っていた事から察するに……家に盗聴器でも仕掛けてるんじゃないだろうな。

 ……家に帰ったら探してみるか。



「ねえ、北島くん。伊集院さんとは仲が良いんですか?」


 伊集院。幼馴染の伊集院いろはの事だ。

 俺はギクリとした。いろはは朝から俺の家に遊びに来ている。何か特別な関係だと疑われていろはに迷惑をかけたく無かった。


「な、なんでいろはの名前が出てくるのさ」

「あら、だって先ほど伊集院さんが北島くんの部屋に上がって行くのを偶然見かけたものですから」


 ……何時間前の話だよ!?

 あれから結構いろいろあって時間だいぶ経ってるんだぞ!?

 お前は偶然通りかかったんじゃなかったのかよ!?

 俺は言いたい事は山ほどあったけど、なんとか飲み込んだ。

 俺が黙っているのを誤解したらしい叶さんは、クスッと笑った。


「やっぱりそうだったんですね。今でも伊集院さんは学校で北島くんの話をよくしていますから」

「えっ、そうなの?」

「そうですよ。お二人とも、下の名前で呼び合うぐらいに親しいんですね。ちょっと、そういうの、羨ましいです」

「いやっ、それはその、幼稚園の頃から同じ学校だったから、なんとなくってだけで。深い意味じゃ……」


 俺は叶さんの言葉を慌てて否定しておく。


「そうなんですか? 伊集院さんもまんざらではない様ですけど」

「よしてくれよ……」


 俺は大げさに溜め息をついて、おどけてみせた。

 なんとか誤魔化しきらないと。


「すみません、私、ちょっと意地悪なもので」


 叶さんは優等生らしからぬ、いつもとは違うわざとらしい笑顔を浮かべてペロッと舌を出した。



「北島くん。私、お二人のこと応援します。もちろん、人に言いふらしたりなんてしません」


 わざとらしいニヤニヤ笑いのまま、叶さんはそう言った。

 もしかしたらこれが彼女の本当の笑顔なのかもしれない。どこか、吹っ切れたような雰囲気を感じた。


「ひとつだけ、今後のお二人の為にちょっとだけアドバイスしますね。あまり他人に見られたくないベッドの下の本やゴミ箱の中身は、ちゃんと片付けてから人を招いた方が良いですよ」


 ……?


「残念ながら……伊集院さん、もう見つけてしまったみたいです。あなたのコレクション」


 叶さんは片耳に手を当てながらクスクスと笑い始めた。

 そして俺の不審がる視線に気付き、ひときわ大きくニヤッと笑ってからその耳のイヤホンを外して見せた。

 ……!

 ま、まさか!


「伊集院さんは今、北島くんの妹さんとお勉強中みたいです。聞いてみますか?」


 そう言って叶さんは小さな機械と繋がったイヤホンを投げて寄越し、あははとかうふふとか笑いながら道の先の方へ走り去ってしまった。


「……どうすんだよコレ、マジモンかよ」


 イヤホンからはガサガサと音が漏れている。

 本当に盗聴器を仕掛けられていたとは。

 愕然としながらも、俺は手の中のイヤホンをまじまじと見つめた。

 これを耳につければ、普段は聞く事の出来ないいろはの声が聞こえるのだろうか。

 それとも、盗聴器なんて嘘でからかわれているのだろうか。


「……クソッ」


 俺はそのイヤホンをどうすることもできなくて、乱雑にズボンの尻ポケットに突っこんだ。

 今すぐ家に戻って確かめる事もできない。


 俺はまた、コンビニに向かって歩き出した。

 

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