障害物5 いとこ 織姫


 がちゃり。

 俺が玄関のドアノブに力を込める前に、扉は勝手に開いた。

 釣られて手だけが外へ引っ張られてしまった。


「な、何っ?」


 開いた扉の向こうに誰もいないので驚いた。

 でも、よく見ると小さな女の子が背伸びしてドアノブを掴んで後ろ向きに歩いていた。

 ちょうどギリギリの高さだったようで、ぶら下がっているようにも見える。



「やあ、織姫ちゃんじゃないか。こんな朝早くにどうしたんだい?」


 近所に住んでいるいとこの織姫ちゃんだ。

 よく遊びに来る。

 切り揃えられた前髪パッツンのショートカットが良く似合っていて可愛らしい。

 うんしょ、うんしょと身体全体で扉を開ける仕草は、まるで絵本の中から飛び出た妖精のようだ。

 織姫ちゃんは俺の顔を見るなりパアァッと顔を輝かせるように満面の笑みになった。

 俺は決してロリコンではない。

 同級生の憧れの女の子に勝手に恋をしてしまうような健全で一般的な男子だ。


「あのねー、おりひめねー、かんたおにいちゃんとけっこんしにきたの!」


 織姫ちゃんは乳歯が生え換わり始めた歯抜けのドヤ顔でそう言った。

 そして、『こんいんとどけ』と拙い字で書かれた紙を差し出してくる。

 ……うん。

 俺もうロリコンで良いや。



「ぱぱがゆってたの。おりひめしってるよ。いとこはけっこんできます」


 えへん。

 差し出した牛乳を口の周りにヒゲのようにつけたままで織姫ちゃんは得意げに語った。

 立ち話もなんだからと食卓まで誘って椅子に座らせてあげたのだ。


「そっかー。織姫ちゃん物知りだね」

「うん!」


 えへへと織姫ちゃんは笑った。

 6歳の女の子にとっては少し高すぎる食卓の椅子に座り、足をパタパタさせている。

 ミニスカートがひらひらと舞って、モコモコしたお子様用のプリントパンツがチラチラと見えてしまっている。

 さすがに幼女のぱんつを見て喜ぶ俺ではない。

 テーブル越しだと話しづらそうだったので隣の席に座って向き合っているだけだ。


「織姫ちゃんは勘太お兄ちゃんと結婚したいの?」

「うん! おにいちゃんだいすきだもん!」


 その真っ直ぐな言葉と瞳に俺は胸を射たれた気分になった。

 あぁ、好きなものを素直に好きと言える時代が俺にもあったけな、と。



「うーん。でもねえ、織姫ちゃん。残念だけど結婚はできないよ」

「えぇっ?」


 織姫ちゃんは急に泣き出しそうな顔になる。

 俺は慌ててフォローした。


「結婚できないのはね、ええと、日本では女の子は16歳にならないと結婚できないからなんだ。法律で決まっててね」

「ほうりつならしかたない……」


 存外聞き分けが良いぞ、この子。

 織姫ちゃんは涙目だった顔からスッと神妙な表情に切り替わった。


「じゃあ、10ねんごけっこんするって『こんやく』して」


 存外粘り強いぞ、この子。

 ポケットから取り出した紙の『こんいんとどけ』の文字を鉛筆でぐしゃぐしゃに掻き消して『こんやくとどけ』と新たに書き加えた。

 見れば既に二人分の名前は書き込まれていて、『おりひめ』と書かれた所にはご丁寧に拇印が捺されている。

 どう取り扱うべきか、この書類。


 俺は先程の織姫ちゃんの言葉を思い出した。

 だいすき、と彼女は言った。

 実にストレートだ。

 俺の心のキャッチャーミットに突き刺さった。

 どんな穿った選球眼も必要無いぐらいの勝負球だ。

 見逃し三振なんて失礼な事をこのピッチャーに対してしてはいけないのだ。

 バットが吸い寄せられる。

 振らずには居られなかった。



「ごめん、織姫ちゃん。俺は君と婚約できない」


 振ってしまった。

 恋人いない歴イコール年齢の童貞ひきこもりである所の俺が、人生初の逆告白を振り切ってしまった。

 サヨナラホームランだ。


「俺には、好きな人がいるんだ。俺は、一番好きな人と結婚したい。だから、ごめん」


 なんという事だろう。

 俺は本人不在の大告白をしてしまったぞ。

 しかも、俺を大好きと言ってくれた女の子の前で。

 自分が言った事を思い返して顔が熱くなるのを感じた。

 笑ってごまかしたくなる気持ちだったが、織姫ちゃんの前でそれはできない。

 しかも織姫ちゃんは俺が振った事に対して不満で泣きだしたりせず、真剣に受け止めてくれたようだった。


「じゃあ、しかたないね……」


 こんな例えをしていいものか分からないが、織姫ちゃんは女の顔をしていた。



「わかるわぁ」


 織姫ちゃんは昼メロに相槌を打つカーチャンのような表情をしていた。


「いちばんすきなひととけっこんするのがいちばんいいよね」


 うんうん、と独り言の様に織姫ちゃんは言いながら呟いた。


「ごめんね、織姫ちゃん。一番同士にはなれないけど、お兄ちゃんも織姫ちゃんのこと大好きだよ」


 彼女を気遣い、優しく頭を撫でながらそう言った。

 恋愛感情は無いけれど織姫ちゃんの事は嫌いじゃない。本当のことだ。


「いいの。ありがとう、おにいちゃん」


 織姫ちゃんは健気にそう笑顔で呟く。


「わたしがいちばんすきなのはパパだもん! おにいちゃんはよんばんめなの」


 ……。

 あ、そうすか。



「でね、パパったらおやこじゃけっこんできないなんていうの。ひどいでしょ」

「うーん、ひどいねー」

「だからね、ママとけっこんするっていったけど、ママはもうパパとけっこんしてるんだって!」

「そっかー、そうだよねー」

「おじいちゃんがね、さんばんめで、おじいちゃんのこともすきなのにだめってゆわれたの」

「うーん、残念だねー」

「でね、だれならいいのってきいたら、かんたおにいちゃんならイトコだからけっこんできるって!」

「そっかー、よかったねー」


 俺は今、男の顔をしているだろうか。

 鏡があっても、見たくない。



「あれッ!? かんた、まだコンビニ行ってなかったのかッ!! 一人で心細かったら、私もついて行くぞッ!!」


 織姫ちゃんのガールトークに付き合っていたところ、1階のトイレに来たと思われる幼馴染のいろはと顔を合わせてしまった。

 先程の俺の告白を聞かれていなかっただろうかと心配になるが、特に実名を出していなかった事に気付き平静を取り戻した。

 そして思い出した。

 そうだ、俺はコンビニに行かなくてはならないのだった。


「だ、大丈夫だよいろは。そうだ、織姫ちゃんと遊んでいてくれないかな。俺は今から出かけるし」

「んッ!! 任されたッ!! かんたは安心してコンビニに行ってくると良いッ!!」


 いろは得意のウィンク&サムズアップに見送られ、

 俺はついに、

 家の外に、


 ガチャリ、コツコツコツ……


 ……出た!


 

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