障害物2 幼馴染 いろは

「勘太っ! いろはちゃん来てくれたよっ! 布団から出ておいでっ!」


 カーチャンが自宅の1階から俺を呼ぶ声が聞こえた。

 勘太というのが俺の名前。いろはというのは俺の幼馴染の女の子の名前だ。

 幼馴染といっても近所に住んでるせいで幼稚園から高校まで偶然同じ学校だっただけ。

 同じクラスになることが何度かあり、お互い顔見知り程度というだけの関係だ。

 そもそも俺は高校に入ってから学校を休みがちになり今では絶賛ひきこもり中。

 いろはとも学校では暫く会っていないはずだ。

 ……学校では、ね。


 いろはは昔から何かと面倒見がよく、クラスで誰か困っていれば率先して手を差し伸べるような女の子だ。

 その上、誰に対しても分け隔て無く接する。例えば、俺のようなひきこもりであってもだ。

 俺はそんないろはに対して、困ったことに、好意を抱いてしまっている。

 いろはからすれば俺なんて同学年の知り合いの一人のはずだ。

 だけど昔から人づきあいが上手くない俺にとっては、いろはは家族以外で唯一気兼ねなく話せる異性だ。

 向こうにその気が無くても優しくされるだけで俺は向こうに好意を抱いてしまっているのだ。

 困った事だ。

 実に。


 それでも俺はいろはに対して恋愛的なアプローチをしたことは無い。

 俺が自分の感情についてただの勘違いだと言い聞かせているからというのもある。

 だけど一番の原因は、いろはがあまり色恋沙汰に向かない気質だからなのだろう。

 それに関してはいろはの言動や態度に感謝しなくてはならない。

 ひきこもり気質の俺にとっていろはのテンションは制御しがたいという事を教えてくれるからだ。



「勘太っ、いろはちゃんに上がってもらうけど、いいねっ?」

「今行くって、伝えといて!」


 カーチャンが再び呼びかけてきた。そうだ、いろは当の本人が今ウチに来ているんだ。

 いろはは待たせておいたら何をするかわからない。

 はやく着替えて迎えに行かなければ……。

 こんもりした布団の中から妹の視線を感じつつ、俺は手早くパジャマを脱ぎ捨てた。



「かんたーーーーッ!! 待ちくたびれたよーーーーッ!!」


 ガラッ

 窓が開いた。そして、

 バサッ

 カーテンが開かれた。

 強烈な朝日の逆光の中に浮かび上がるシルエットは、見間違えるはずもない。

 幼馴染のいろはが大の字になって窓枠に立っていた。



「キャーーーーーーッ!!」


 俺は思わず黄色い悲鳴を上げた。

 そりゃ、誰だって驚くだろう。ベランダもサッシもない2階の窓にいきなり人が現れたら。

 慌てて俺はベッドに潜……いや、できない。

 ベッドの布団の中には妹が半裸で収まっているのだ。

 仕方なく床に落ちた脱ぎたてのパジャマを拾い集めて前だけは隠す。

 下着をつけているとはいえ寝起きの状態を見られたくは無い。


「かんたッ!! 朝から元気だなぁッ!!」


 悪びれる様子もなくいろははニカッと豪快に笑った。

 ボリュームのある活発そうなポニーテールがゆさっと揺れた。

 ボリュームのある胸もゆさっと揺れた。


「お、おお、お前っ。な、何で、そんな」


 もうどこからツッコんで良いのかわからない。

 俺は朝日に照らされた部屋の中でただ錯乱するしかなかった。

 そんな様子を見ていろはの一言。


「んッ!! 女の子の前でいきなり裸になっちゃダメだぞッ!!」


 バチンとウィンクし、親指をグッと立てて急に真面目な事を言ういろは。


「出てってくれ!!!」


 彼女がそこにいては着替える事もできない。パジャマを抱えたままいろはの手を取り、部屋の中に引き倒した。

 もちろん、そこから部屋のドアの外へと連れ出すつもりだった。

 だが、ひきこもり生活の中でゲームやマンガが散乱した部屋があだとなった。

 いろはを部屋の中に着地させたところで俺はテレビのコードに足を引っ掛けてしまい、後ろに倒れ込んだ。

 その時にいろはの手を離せばよかったのだが、咄嗟のことで対処しきれない。

 結果的に、俺はいろはごと部屋の床に転がってしまった。


 大きな音を立ててマンガ雑誌の山が崩れる。ホコリが舞う。

 痛みが引いて落ち着いた時には、俺といろはが折り重なって倒れている事に気付いた。

 ちょうどパジャマが緩衝材となって背中や頭を守ってくれたが、尻は雑誌が食い込んでいたいし腹にはいろはの体重がのしかかっていた。

 視線を下にずらすと、ちょうど俺の腹のあたりにいろはの顔がくっついていた。

 ひきこもっている間に少したるんでしまったおかげで彼女にそれほどダメージは行っていないようだ。

 と、一安心するのもつかの間。

 いろはの頭が、俺の腹のあたりにある。ということは。

 そこから先は言わなくて良いだろうか。

 普段は触る事も出来ない憧れの人のふくよかな胸が、俺の緊張した部分をじつにしなやかに包みこんでいた。

 断っておくが、これは事故だ。

 だが。


「勘太っ、大きな音がしたけれどどうしたんだいっ!?」


 がちゃ。

 物音に気付いたカーチャンが慌てて部屋に駆け込んできた。

 半裸の俺。

 足元にうずくまるいろは。

 事故は、事件となった。



「いやー、ごめんごめんッ!! かばってくれてありがとなッ!!」

「いや……いい……俺も急に引っ張って悪かった……」


 結局俺は部屋でカーチャンにこっぴどく叱られ、すっかり意気消沈していた。


「それで、こんな朝から何でウチに来てくれたんだ?」


 ひと騒動のおかげで忘れかけていたけれど、いろはは俺に用がある様子だった。


「そうッ!! それなんだけどさッ!!」


 いろはは急に目を輝かせてグイッと俺に顔を近づけた。

 興奮した生温かい鼻息が顔にかかって気持ち良……気持ち悪い。


「今日は休みだからッ!! 最近、かんたと学校で会ってないからさッ!! 一緒に遊ぼうかと思ってッ!! かんたの好きなゲーム持ってきたよッ!!」

「……やめとく」

「えええーーーーッ!! なんでッッ!!」

「今日は、コンビニに行くんだ」

「…………なんだってッッ!! 同じ高校に入って折角同じクラスになれたと思ったらひきこもりがちになって以降ずっと部屋に籠っていたというかんたがッ!! 外へッ、それもコンビニだなんていう高難易度な場所にッ!?」

「そうだよ。妹とアイスを買う約束をしたからね」

「オーッ!! ノーッ!! ま、まさかッ!! かんたが買い物をするだなんてッ!! どうしたっていうんだッッ?! おぉ、神よッ!!」

「だから、また今度な」

「ううぅッ、そう言われては引きとめられないッ!! かんたの決意をッ、勇気と覚悟を無駄にはさせないッ!!」

「ああ。悪いね、来てくれたのに」

「大丈夫ッ!! 帰ってくるまで妹さんと一緒にゲームして待っているよッ!!」

「あ、そう? じゃあせっかくだからいろはの分も何か買ってくるけど」

「何とッ!! それではコーラをお願いしますッ!!」


 俺は財布を持って部屋を出た。

 いつもこんな調子だからいろはとの会話は……疲れるッ!!

 おかげでいろはに下心を見せる暇もない。


 アイスと、コーラね。

 俺は買うものを忘れないように復唱しながら、コンビニを目指すことにした。


 

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