障害物1 妹 アリカ


「いや、お兄には無理でしょ」


 めんどくさそうな間延びした低い少女の声が部屋の中に響いた。

 カーテンを開けていないので部屋はまだ薄暗い。

 声の主はどこだろうと床や天井を見回すが姿は無い。

 くそぅ、人がせっかく良い気持でコンビニ行きへの決意を宣言したというのに。


「だ、誰だッ!」


 俺は素早く身構える。

 この家がテロリストに占領された場合を想定してイメトレをしていた甲斐があった。

 自宅警備員の鑑だな、俺。



「もう……自分の妹の声ぐらい覚えておいてよ、お兄」


 声は、自分が先ほどまでいたベッドから聞こえた。

 ちょうどカーテンからの光を避けるように、何だか丸っこい物体が布団の上に横たわっていた。


「それとも、あんまりひきこもってばかりいるから忘れちゃったの? ばかお兄」


 そうだ。こいつは俺の妹のアリカだ。

 中学の頃の芋ジャージの上だけ羽織ってベッドに寝転がったまま、ジトっとした眼をこちらに向けていた。

 寝転がってめくれたのか、柔らかそうな太ももの付け根にある白い布地が見えてしまっている。

 ……実妹のぱんつなんて見たって何の感慨もないけどな。


 アリカはゆっくりとした動きで上半身を起こし、俺がさっきまでいた布団の中に潜り込んでしまった。

 こいつ、俺のことを布団あたため機ぐらいに思っているんじゃなかろうか。

 アリカは活発な奴ではない。

 そりゃそうだ。

 俺と血を分けた妹だもんな。

 こいつも俺と同じく根っからのヒキコモリ体質なのだ。


「あ、あはは。覚えているとも。可愛い妹のことだもんな。ちょっと寝ボケてただけさぁ…あははは」


 俺は部屋が薄暗いのを幸いとばかり、顔をひきつらせて笑った。

 さっきまで忘れてましたなんて言えない。


「……可愛いとか、言うな。思ってもないくせに」

「あ、ばれた?」

「むうぅ……!」


 アリカはムッとして、寝転がったまま俺の膝をめがけてキックをかましてきた。

 しかし悲しいかな。俺の妹様は運動神経がよろしくない。のろのろした足の動きなど亀でも避けられる。


 げしっ!


「ぬおおおおおお」


 モロに食らった。そういえば俺も運動神経は良くなかった。

 堪らず膝を抱えて床に崩れ落ち悶絶する俺。カッコ悪い。


「はぁー、ぬくい」


 アリカは俺の居場所を奪い、再び寝入ろうとしていた。



「おいこら、人の布団を取るんじゃない。俺の唯一の居場所だぞ」

「んあー? お兄はコンビニ行くんでしょー? いってらっさい」

「自分の部屋で寝ろよ……」

「やーっ。お姉が起きろってうっさいから逃げてきたのー」

「はぁ、左様ですか」


 アリカは普段、俺の姉と同じ部屋の二段ベッドで寝ている。

 姉はこの家では珍しく活動的な方で、ある一点を除けば割と常識人寄りの考え方をする人だった。

 俺やアリカとは違って朝はしっかり起きるタイプだ。

 姉と同じ部屋で寝起きしていたら……。

 しっかり者の姉のことだ、妹のアリカの二度寝を許したりはしないだろう。



「まったく。いいのか? 俺はともかくアリカは学校あるんだろ」

「はー? お兄は生粋のヒキコモリだねぇ。今日は休日だよ。休日。朝ぐらい寝かせてよね」


 アリカは頭から布団をかぶって愚痴を垂れる。

 俺は長きにわたるひきこもり生活のせいで曜日感覚を完全に失っていたらしい。


「はいはい。じゃあもうちょっと寝てていいから、俺がコンビニから帰って来たら起きるんだぞ」

「えー、お兄も一緒に二度寝しようよー」


 アリカはむっくりと背反りをするように上半身を起こした。

 そして布団の端を手で摘み、闘牛士が牛を誘いこむようなしぐさで広げて見せた。

 カーテンからの光がちょうど布団の中を照らし、アリカの姿が光の中で輝いて見えた。

 先程はしっかり見えなかった白い下着が、今度は尻の方ではなく前から見えてしまっている。

 寝苦しかったのかジッパーを胸元のはだけない程度の位置までおろしている。年相応の発育をしたなだらかな胸の中央がはっきりと見えた。

 さらに、布団の籠った吐息の熱で額に絡みついた短い前髪が妙に艶めかしい。


 だが、妹だ。

 どんなにぱんつを見たって「あぁ、半年前にしまむらで買ったやつか」ぐらいにしか思わない。


「見せんでいい。寝てろ」

「ちっ、オタクのくせに実妹に萌えないとか……」

「ねーよ」

「なんでよ! ばーかばかお兄。はやくコンビニでもどこでも行っちゃえ。ついでにアイス買ってきて」

「お、おう……?」

「あ、私ダッツさん以外食べられない星人だから。紅芋のやつお願いね」

「はいはい。帰ってくるまで布団あたためておけよ」

「らじゃー、りょーかーい」

「帰って来たらどけよ」

「けち!」


 アリカは布団をかぶって再び丸くなった。

 こうなってしまっては俺の体力では持ちあげることも転がす事もできない。

 ちょうどいい、これでコンビニに行かざるを得なくなった。


「ダッツさんかぁ、高ぇんだよなぁ」


 俺は財布の中を眺めて、溜め息をついた。


 さぁ、コンビニに行こう。

 

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