その2 AGNES ~その名はアグネス~
明けて三月三日。
学校から帰った三人は、ユーサクに連れられて、屋敷の地下へと降りていく。
家主・
体感的に長い時間をかけて辿り着いた先は、地下なのにシャッターの降りた広く大きな窓がある不思議な部屋。
窓の向こうからは、抑えられた低く重い機械の作動音が聞こえてくる。
たくさんのボタンやスイッチ類が並ぶコンソールデスクの前で、隆太郎は待っていた。
普段の抑えた感じからは信じられないほどに、ハッキリと高揚している様子が見て取れる。
どこか引き気味だった三人娘ではあるが、切り込み隊長を自称している麻里が、
「あ、あの~おじさん? 誕生日プレゼントの事なんですけどぉ……」
恐る恐るといった感じで切り出す。
麻里の言葉に隆太郎は嬉し気に顔をほころばしてうなずき、
「大塚くん、西尾くん、鈴木くん、十三歳の誕生日おめでとう。君たちが健やかに今日の日を迎えられた事を、とても嬉しく思うよ……」
感慨深げにそう口にし、
「私が君たちにしてあげられる事はそんなにはないけれど、君たちの事はとても大切に思っている」
珍しく饒舌な隆太郎に気圧され、口をはさむタイミングを失う三人娘。
「……だけど、いつまで私が君たちの事を支えてあげられているかはわからない。もしもの時、あらゆる事柄から君たちを、君たちの未来を守るために、私からの贈り物が、これだっ」
熱を帯びた言葉とともに、隆太郎がコンソールのボタンのいくつかに触れると、窓の外のシャッターが開き始め、眩い光が部屋へと差し込み、窓の向こうに広がる空間が見えてくる。
地下とは思えない広い空間、そこで三人娘が最初に目にしたものは、若い女の顔だった。
年のころは十代後半辺りだろう、肩のあたりで切りそろえられた黒くつややかな髪、瞳の大きい切れ長の眼、すっと通った鼻梁、ほんのりと桃色に染まるほほ、大きすぎず小さすぎずの口元に淡いピンクのリップカラー。
同性の三人娘から見ても可愛らしく、好きになれそうなタイプの美少女だった。
仮に彼女が隆太郎の細君になると言っても、おそらくは反対はしないだろう。
しかし、ひとつだけ、問題とせねばならない事があった。
サイズだ。
いくらかの距離はあるが、目の前の大きな窓と比較しても彼女の顔は大き過ぎた。
窓に近寄り外の空間をのぞき見た知華の頭に浮かんだ言葉は "格納庫"
そして、そこに立つ半裸の女性。
照らし出すライトが反射してフレッシュカラーが輝く、みずみずしい姿態。
胸と腰回りが、ベージュのスタンダードなデザインの下着で隠されているだけ。
どんな羞恥プレイだと思うだろう。
体長が二〇メートルに届く事を除けばだが。
いつの間にかそばにやって来ていて、同じように窓の外を眺めていた麻里と美恵も言葉を失っていた。
「気に入ってくれたかい?」
呆然とする三人に対して、朗らかな口調で隆太郎が言う。
「名前はアグネス。君たちの友達で、新しい家族だ」
「はじめまして大塚さん、西尾さん、鈴木さん。お会いできて嬉しいです」
隆太郎の言葉をきっかけに、目の前の巨大美少女が喋り出す。
柔らかなアルトの、彼女自身の声で、唇を動かして。
大気を震わせる音の圧力に押され、呆けていた三人娘の頭のねじがなんとか閉まる。
「お、お、おじさんおじさんっ。こ、こ、これはっ?」
が、動揺が抜けきらないまま、麻里が隆太郎に話しかける。
「これじゃなくてアグネス。君たちのために私が作ったアンドロイドだ」
"確かに人型ロボットの事をアンドロイドというけれど、これはサイズに問題が……" などと知華がぼーっと思っていると、
「それで……」
いくらか落ち着いた様子の美恵が口を開く。
「このアンドロイド……アグネスですか? わたしたちにどうしろと?」
少し険の含まれたその問いかけに、隆太郎は柔らかい笑みを崩さず、
「君たちへの贈り物だ。どう使おうとも君たちの自由だ」
「――お人形遊びでもしろ、と?」
うかがうように上目使いで言葉を投げかけてくる美恵。
拒むような思いが含まれたその視線を、まっすぐに受け止めて、
「君たちの思うままに、だよ」
それでも、うなづきながら優しく答える隆太郎。
"遊ぶにしてもスケールに問題が……" と、胸の内で突っ込む知華。
「いやいやいや、さすがにそれはないでしょぉ?」
立ち直った麻里が勢いよく口をはさむ。
「十三よ? 十三才の中学一年。来月になれば二年、もうお人形遊びって歳じゃないんですけどぉ?」
やれやれ困ったもんだって顔をしながら隆太郎を見やってまくしたてる。
「もうちょっとさ、現実的に考えてほしいんですけどもーー」
あーその気持ちはわかるなぁと、愚痴る麻里にうなづきたくなる知華である。
この流れは想定していなかったのか、少しばかり困惑気味になる隆太郎。
が、援護射撃は意外なところから来た。
「西尾さん、受け取りたくないなら、ハッキリそう言えばいいじゃないですか?」
美恵が突き放すような口調で麻里に言う。
「な……。鈴木さんだって嫌そうに……」
「わたしは、おじさんからの贈り物なら、どんなものだって、すっごく嬉しいです!」
言い返そうとする麻里に被せるように、美恵は思い切り芝居かがった仕草と口調で言い切り、そのまま格納庫へ乗り出すようにして、
「仲良くしましょうね、アグネス!」
と満面の笑みを浮かべて言葉を投げかけた。
鈴木美恵は世渡り上手。
場の空気を読み、それを壊さず波立てずで最適な対応をとる事が得意だ。
基本ウェットな浪花節体質ではあるが、早くから両親と死に別れ、邪魔者扱いされながら、親類宅を転々と渡り歩いた経歴がそういう計算高い一面を作り上げた。
人の顔色をうかがい生きてきた、悲しい処世術の現れでもある。
自分の存在に対してのやり取りを、沈んだ表情で見つめていたアグネスだったが、美恵の言葉に、
「はいっ、よろしくお願いします、鈴木さん!」
今にも泣きだしそうな、だけどとても嬉しげな微笑みを浮かべて答える。
ユーサクにしてもアグネスにしても、その自然な感情の示し方はすごいと、知華は思う。
二十一世紀が半分終わっている時代ではあるが、ここまで進んだ人工知能が他にあるのか、情報技術に詳しくない知華は知らない。
だけど、この技術を世界中いたるところが欲しがるであろう事は簡単に想像できた。
それほどの物を自分たちだけのために、惜しげもなく使ってくれている事実に、隆太郎から与えられている愛情の深さ大きさを感じとらずにはいられない。
まぁ、いくらか世間的にズレている事は否定しがたいけれど。
なぁんて事を思いながら、苦笑を浮かべる知華。
その足は自然と管制室の窓際へと向き、
「よろしくね、アグネス」
窓越しに見える大きな顔へ、軽い会釈とともに言葉を送る。
美恵に続く自身を受け入れる声に、アグネスは喜びを隠さず、
「ハイッ、大塚さんっ。私こそよろしくですっ」
たかぶった声音で答えてくる。
身体を震わせるほどの音圧を受けながら、知華は笑顔で応えた。
知華まで受け入れる姿勢をとった事で、ひとり風向きの悪くなった麻里であったが、周りを見渡してから、
「……ハイハイわかりましたよ」
と、バツの悪そうな顔で小さくこぼし、
「……えーっと、アグネス。その、まぁ、……よろしく、ね?」
両手を合わせ、頭を下げ、直前までの態度を謝りながら、受け入れる事を口にする。
そんな麻里の頭を、優しく笑いながら小さく小突く隆太郎。
ふたりのやり取りに柔らかく目を細めながら、
「ハイ、西尾さん。――仲良くしてくださいね?」
アグネスが微笑みとともに言葉を返す。
なんともまぁ、人間が出来たアンドロイドであります事か。
西尾麻里は現実的だ。シニカルと言っていいだろう。
美恵と同じような境遇ながら、彼女は周りに合わせる真似はせず、己を貫き通した。
結局その扱い悪さから、早くに施設に送られてしまったのであるが、幸い理解ある指導者と出会えた事で、周囲と折り合いをつける術を覚え、物事を割り切るやり方を身に着けた。
己の非を認められるようになった事で、視野が広がり、今を楽しむようになれた。
遠慮のない口を利く事でトラブルを招く事も多々あるが、ごめんなさいをちゃんと言える、良き娘である。
場が良い方向でまとまったところで、知華が疑問に思っていた事を口にする。
「ねえ、おじさん。どうしてアグネス半裸なの? もしかして……趣味?」
知華の問いに、アグネスがほほを赤く染める。
羞恥という感情も備えている事が知れるが、それを気に留める者はいない。
「う、ん。別に私の趣味とかではないよ。――アグネスは状況に応じて外装を換える事が出来るんだ。この姿は言わば基本形態ってところだよ」
外装を取り換えできる……。まるで着せ替え人形、鈴木さんがお人形遊びって言ったのも遠からずだったんだなと、妙なところで納得する知華である。
「それにしても、アグネスってスタイルいいですね。どなたか参考にされた方とかいるんですか?」
アグネスを上から下まで舐めるように見やってから、美恵が尋ねる。
「昔の恋人とか、そーゆーんじゃないのぉ、ね、おじさん?」
すっかり調子を取り戻した麻里が、からかうように隆太郎に言う。
ふたりの問いかけに、ハハッと苦笑しながら、
「君たち的には残念だろうけど、そういうのではないよ。知っての通り私にその手のセンスは皆無だからね、マスクやスタイルとかはユーサクに一任した」
言いながらユーサクの傍らに立ち、軽く頭に手を添える。
それは投げっぱなしって言うんじゃあ、と、三人娘が残念そうなまなざしを向けるが、隆太郎はどこ吹く風である。
「で、ユーサク。モデルにしたのって誰なの?」
隆太郎に何かを期待するのをやめ、身をかがめ、ユーサクの視線に合わせるようにして、知華が問いかける。
ユーサクは表情ディスプレィで、視線を右に左にと動かしてから瞼を閉じ、パッと開けるとコンソールへ手を伸ばし、キーボードをたたいて備え付けられていたモニターにある画像を表示させる。
四分割されたモニターの中に、アグネス頭部の3Dモデルが浮かび上がる。
分割された画面上で、様々な角度で表示されるアグネスの頭部。
それに見入る三人娘に対して、
「アグネスは、ぶっちゃけお三方の顔を合成して、一番バランスのいいものをチョイスしています。プロポーションに関しては、人のサイズに逆算してから理想の体型を組み上げて、実機になった時に破綻のないスタイルにしています」
スラスラと説明するユーサク。
「……って言う事はぁ、つまりアグネスってユーサクの理想像って訳?」
ニヤニヤと品のない笑みを浮かべて麻里がユーサクに詰め寄る。
「――まぁ、言われてみればそうですかね」
悪びれる事もなく、あっさりとそれを認めるユーサク。
「良いセンスしていますね、ユーサクは。わたし、見直しましたよぉ」
美恵からの称賛を、まんざらでもないって顔をして受け取るユーサク。
「じゃあさ、アグネスっていくつくらいなの?」
麻里の問いにユーサク。
「一応外見は、外装付けたときにおかしくならないくらいにしてありますけど……」
言いながら隆太郎へ、チラリと目を向ける。
やり取りから察するところ、外装を決めたのは隆太郎のようだ。
視線を追うようにして麻里。
「外装って、要するに服でしょ? どんなの用意してんの、おじさん?」
隆太郎は何も答えずに、コンソールのキーをいくつか叩く。
すると、格納庫の一部が金属音を響かせながら開き、そこからハンガーに吊るされた、三種類の外装が現れた。
それを見た三人娘のあごが落ちる。
吊るされた三つの衣装は、彼女たちにとって、実に見慣れたものだったからだ。
一番手前にえんじ色のブレザー。
続いて青を基調としたセーラー服。
そして最後は、グリーン系統でまとめられたジャンパースカート。
それぞれ、私立妻沼女子大付属中学、市立竹塚中学、県立本多中学の制服。
彼女たちが通う中学校の物であった
「……その、あまり女物と言うのは、わからなくて、ね」
申し訳なさそうに言うおじさん。
「なら、そーゆーのこそ、ユーサクに任せればいいでしょうが!」
「さすがに恥ずかしいですよ、これは」
「……」
麻里が叫び、美恵がためらい、知華が呆れる。
三者三様の反応に、 "参ったね。こりゃ" と顔を見合わす隆太郎とユーサク。
「……ボクも反対しませんでしたからねぇ、この件については謝ります」
共同責任だというように、助け舟を出すようにユーサク。
「まぁ、これから違う衣装も作るようにしますから、とりあえずはこれで我慢してくださいよ」
ユーサクたちに非難の目を向けるふたりをよそに、知華はアグネスに向き合って、
「あなた的にはどうなのかな、アグネス?」
「私は別に気にしていません。……最低限でも身に着けるものがあるだけで嬉しいですから」
笑顔を絶やさずに返すアグネスに、知華は改めて視線を飛ばし、その全身を見入る。
剥き出しの肌。胸と腰回りを覆う下着。ほほには羞じらいの朱が差し込んでいる。
知華は深いため息をひとつつくと、ゆっくり振り返って言った。
「ねえ、おじさん、ユーサク?」
「ん、なんだい大塚くん?」
ひとり非難の声をあげずにいた知華から声をかけられた事に、どこか慌てた風に答える隆太郎。
「制服の件、アグネスがいいって言うから、あたしは文句言いません。……けどね、早いとこガウンでもいいから拵えてあげて。このままのかっこじゃかわいそ過ぎる」
知華のもっともな言葉に、考えてもみなかったという顔で見合う、隆太郎とユーサク。
「あ……そ、そうだね、大塚くんの言うとおりだ。――ユーサクっ」
「は、はいっ、すぐに手を付けます!」
ふたりはあわてて管制室を出ていき、さらに下の方にある作業ベースの方へと姿を消した。
隆太郎たちの去って行ったドアを、腰に手を当てた仁王立ちで見やってから、もう一度深いため息をこぼす知華。
"やっぱり、この家の男どもは、どこか足りてない……"
そう思いながら部屋の内へと振り向き直り、
"――女でも、足りてないのがいたっけ" と、全然気が付かなかったって顔している美恵と麻里を見て、またため息。
そんなふたりの向こうで、アグネスが知華に向かって感謝の笑顔を向けていた。
アグネスの微笑みを素敵だなと思いつつも、そのスケールから、この先どうなるのだろうと、暗澹たる気持ちに包まれる知華であった。
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