第一話 加賀見家の人々

その1 誕生日、その前日。

 

「行ってきま~す。あ~ほらほら、鈴木すずきさん、急いで」

「わかってますよぉ、西尾にしおさん。――じゃ、大塚おおつかさん、お先に」

 西尾と呼ばれたセーラー服の少女が、三つ編みにしたポニーテールを揺らしながら、元気ハツラツと言った具合に玄関から駆け出して行く。

 年齢にそぐわぬ豊かな姿態をジャンパースカートに包んだツインテールの少女・鈴木が、急かされながらも振り返り、おっとりと一声かけてから扉をくぐって出ていく。

 かけられた声に応えるように小さく手を振って、それを見送るのは小柄で細身、性格を表しているようなおでこむき出しオールバックのヘアスタイルも決まっている、えんじ色のブレザージャケットを着た少女。

 大塚知華おおつかちかである。

 知華はちらりとリビングの壁に掛けてある時計を見やり、自分が家を出るまでの猶予を確かめる。

 家から最寄り駅まで無人コミューターで約十分、それから電車でだいたい二駅二十分。

 四駅越えて三十分以上かかるふたりよりも余裕がある。


「……そもそも、この家がもっと街中にあれば、毎朝こんなにバタバタしないのにね」

 通学行程を頭に浮かべていると、自分たちの住んでいる環境につい愚痴がこぼれる。

身寄りのない自分たちの衣食住が保証されている事に感謝しつつも、街外れの丘の上という辺鄙なところに建てられている我が家の立地に嘆きの声も出る。

「まぁ、養われている立場で強くは言えないんだけど……」


「――大塚くん、おはよう」


 ため息交じりのつぶやきをこぼしたところに突然声がかかり、驚きつつも声の方向に体を向ける知華。

「おはよう、おじさん。……もしかして昨夜ゆうべ研究室した?」

 朝の挨拶を返しながら、

「研究熱心なのはいいですけどね、身体の事考えて、ちゃんと寝室で眠るようにしてください」

 生活態度を改めるようにと、小言交じりに声をかける。

「……うん、気を付けよう」

 たしなめられた事に苦笑しながら返事をするおじさんこと、家主・加賀見隆太郎かがみりゅうたろうである。

 起き抜けなのでぼんやりしているが、なかなかに整った顔立ちをした長身痩躯の壮年。

 職業は研究者。受光から電力発生まで光発電の効率を革新的に変えるシステムを発明し、世界にエネルギー革命を起こした研究機関の中心人物なのだが、表舞台に出る事を由としなかった事から、名のみが "カガミシステム" として 広く知られている。

 かつては某大学で教壇に立って細々禄を稼いでいたが、現在は各種パテント収入で得た財で、自宅にて左うちわの研究三昧な生活を営んでいる。――表向きには、だが。


 一緒に暮らし始めてそろそろ三年近くたつが、大塚知華にはいまだ隆太郎の人物像がつかみ切れてはいなかった。

 孤児から身を立てた立身出世の人物で、一応お金持ち。

 年齢の割に見た目も悪くなく、性格は多少浮世離れしているところもあるが、いたって温厚。

 五十も近いというのに浮いた話もないところに、自分を含めて三人ものローティーンの少女を引取って養育しているから、もしかしてその手の趣味の人なのかとも思った事もあったが、そういう訳でもないらしい。

 聞いた話によれば昔大恋愛をしたが、結局うまくいかなくて、それきり色恋沙汰には背を向けているのだとか。

 知らない事の多い人物ではあるが、自分たちに与えてくれる家族的な愛情は本物だ。

 養女にしないで後見人でいる理由も、それぞれ元の家族の名前で嫁いでもらいたいからだという。

 いろんな事をひっくるめて、大塚知華たちは加賀見隆太郎を信頼し、家族として生活していた。


「――何か急がなきゃいけない事でもあるの?」

 以前にもまして研究室にこもりっきりの生活をしている事を心配してか、知華がそんな風に声をかけると、

「んー、まぁ、ね……。けどもう終わりかな」

 居間のテーブルに腰掛けながら、柔らかい笑みとともに言葉を返す隆太郎。

 知華はそこにやり遂げた人間の顔を見る。

「ふ、うぅん……。じゃ今夜からは寝室でちゃんと着替えて寝るようにしてね」

 隆太郎のやっている事について知華たちが口をはさむ事はないので、彼が終わった言えばそこまでだ。

 だから、着替えもせずに普段着のままで、寝入ったりする行儀の悪い事はしないでと、だらしない家主を小言で諭す。

「ん、わかった」

 苦笑いで知華に答える隆太郎。

 加賀見家の日常がそこにあった。


「あれ、大塚さん。時間大丈夫ですか?」

 知華と隆太郎がまったりとしているリビングに、キッチン側から声かけながら入ってくる存在。

 端的に言えば、酒樽に手足が付いたような物体だ。

「あ、もう時間? じゃ行ってきますおじさん。ユーサクあとよろしくね 」

 慌てながら鞄を手に取ると、知華は声をかけつつ玄関へと向かう。

「行ってらっしゃーい」

「――行ってらっしゃい」

 駆け出していく後ろ姿へと、ユーサクと隆太郎の声が投げかけられた。

 やがて玄関から扉の開閉音が聞こえ、知華が登校していった事が伝わる。


「センセイ、食事は?」

 ユーサクの問いかけに、

「んー、飲み物だけでいいよ。新聞読んだらひと眠りするから」

 縮こまった体を伸ばすようにして返事をする隆太郎である。

「わかりました~」

 前面上部に据え付けられた液晶パネルに表情を映しながら、ナチュラルな合成音で返事をすると、ユーサクはキッチンへと戻っていく。


 ユーサク。

 高さ一メートル二十センチ、直径六十センチほどの胴体に、フレシキブルジョイントの手足を持ち、スクエアな液晶ディスプレイを顔に当たる前面上部に備え付けてある、自律型ロボット。

 一昔前のホームコメディ型特撮番組に出ていたキャラクターロボットをイメージしてもらえばわかりやすいだろう。

 三年ほど前に大塚知華を引き取った際、家庭人としては落第な事を自覚している隆太郎が、家事全般を任せるために作り上げた存在である。

 大雑把な外観に反して繊細で器用な作業を行え、ネット環境から様々な知識を蓄え日々情報のアップデートを欠かさない、なかなかに優秀なロボットだったりする。



 通勤や通学客があふれる電車の中、運良く座れた席の車窓から流れていく街並みをぼんやりと眺めながら、大塚知華は思いを巡らせる。

 両親を亡くし、隆太郎に引き取られてからもう三年近くが経ち、小学生だった自分は今中学一年で、明日十三才の誕生日を迎える。

 ハッキリ言って赤の他人で年齢差もあったから、引取られた当初はぎくしゃくとして、おっかなびっくりで互いの様子をうかがっていたりしていた。

 けど、不器用ながらも暖かく接し、必要以上に子ども扱いせず、対等の立場であろうとしてくれる隆太郎との生活は、いつの間にか知華にとって当たり前のものになっていた。

 自分と隆太郎とユーサク、三人の空間に新しく騒がしい風が舞い込んできたのがちょうど一年前。

 冬が終わろうとしていたころに、隆太郎がふたりの女の子を連れてきた。

 西尾麻里にしおまり鈴木美恵すずきみえ

 ふたりとも隆太郎が昔世話になった人物の忘れ形見で、知華と同じように天涯孤独なのだと。

 そして、今日から一緒に暮らすようになると。

 事前に相談のひとつもして欲しかったとか、いろいろと思う事はあったが、家長の決定ではあるし、何より自分と同じような身の上ならば、打ち解ける事もできるだろうと、受け入れる事を承知した知華であったが、それが甘い考えだったとすぐに思い知らされた。

 西尾と鈴木はその不幸な生い立ちを少しも感じさせないほどにパワーがあった。

 やってきた当初から我が物顔で、あっという間に加賀見家における自分たちのポジションをつかんでしまった。

 それまでの生活ペースをかき回されてしまったけれど、ふたりがやって来てから、加賀見家で笑いが絶える事はなくなった。


「……静かすぎるよりはいいとは思うけど」

 傍若無人というか天衣無縫というか、我が道を行くふたりに巻き込まれて、バタバタする日常に対してため息がこぼれたりもする。

 でも、嫌いにはなれない。

 ひとりっ子だった自分に姉妹が出来た喜びに、ほほが緩むのは許されるだろう。

 次着駅のアナウンスが流れるのを耳にし、席を立ち降りる用意をする。


 薄い笑みを口元に残したまま、知華は電車を降り、学び舎へと足を進める。




「おーつか、さんっ」

 通っている私立妻沼女子大学附属中学校での一日を終え、地元駅から出てきたところで、突然後ろから声をかけられた大塚知華が振り返ると、

「珍しいよね~。帰りが一緒になるなんて」

 満面の笑みを浮かべて西尾麻里が駆け寄ってくる。

 並んで歩きだすふたり。

「あたしはあまりないけど、鈴木さんとはけっこう一緒に帰ってるよね?」

「うん。ほら、アタシら学校近いじゃん? 終わるのも似た様な時間になるしね」

 ケタケタと笑い顔で言葉を紡ぐ麻里。

「待ち合わせして、互いの友達と一緒に遊んで帰る事なんかもあるよ」

「……たまに遅くなる日があると思ったら、そういう事かぁ」 

 あっけらかんと話す麻里にややあきれながら返す知華。

「遊ぶなとは言わないけど、そういう時は連絡入れときなさいよ?」

「わかってますって」

 話しながら進み、駅前ロータリーに待機してあるシティコミューターに乗り込む。

 知華がカードキーをスリットに差し込むと、コミューターはモーターを静かにうならせ動き出し、丘の上にある加賀見家へのルートを走り出していく。

 うちに着くまでの間、知華と麻里との間でお喋りが止まる事はなかった。


「あ、お帰りなさぁい」

 知華と麻里がうちについた時、迎えたのは第三の娘、鈴木美恵であった。

「おふたり一緒というのは珍しいですねぇ」

 にこやかに告げる美恵に、

「偶然、ね」

「たまにはそんな事もあるって」  

 知華は苦笑気味に、麻里はカラカラと言葉を返しながら、互いの部屋へと足を向ける。

 


 着替えを済ませた知華と麻里がリビングで合流するなり、

「明日のわたしたちの誕生日、おじさんがなにかすごいプレゼントをくれるそうですよぉ」

 美恵が瞳を輝かせながら、芝居がかった調子で切り出した。

 どういう偶然か? 三人娘の誕生日は同じなのである。

 揃いも揃いって早生まれなのに、成長度合いが違う。

 年齢に似合わぬ早熟な肉体を誇る美恵に対し、知華はひそかにコンプレックスを抱いていたりするのだが、それはそれ。

「去年はここに来た記念と一緒くたになってプレゼントらしいプレゼント無かったもんな~」

 麻里がちょっと愚痴る。

 知華的にはふたりという存在が大切なプレゼントだったりするのだが、さすがに気恥ずかしいので、面向かって言ったりはしていない。

「で、大塚さん、今までどんな贈り物されましたか? 参考までに聞かせてもらえると嬉しいのですけど」

 身を乗り出しながら訊ねてくる美恵。

「あ、アタシも聞きたい聞きたい。服とか、アクセサリー? ううん、思い切って現金とかっ」

 同じく乗ってくる麻里。

「ま、西尾さんたら、大胆ですねぇ」

 キャイキャイとはしゃぐふたりを乾いた笑いで眺めながら、知華は思い返す。


"一度目は、おじさん手作りのケーキだったっけ。レシピ通りで、ものすごく美味しくもないけど、食べられないほど不味くもなかったのよね……。二度目は、ふたりがそうだったみたいなものだし……"


 なんとなくだが、ろくな贈り物になりなさそうな気がする知華である。



 その日の夕食終了後のまったりタイム。

「おじさん、明日どんなものをくれるんですか?」

 美恵がズバッと切り出す。

 しかし隆太郎、いつもの穏やかな笑みを浮かべるだけ。

「ね、ね、高いもの? 宝石とか? うーん、純金?」

 麻里の突っ込みにも、フフッとした笑顔でかわし、

「……そうだね、高いものと言えば、高価なものかな?」

 ぼそりとそう口にすると、麻里と美恵は顔を見合わせ、やったという表情を浮かべる。

「だけど、……お金では換算できない、そういう類のものだよ」

 続けて言った隆太郎の言葉に、浮かれ気分だった麻里が上目遣いの怪訝な顔で、

「それって……どういう意味ぃ?」

 と問うが、隆太郎は涼しい顔をして、

「明日なればわかるよ。楽しみにしてなさい」

 そう言い残すと席を立ち、リビングから去って行った。

「……いったい、どんなものなんなんでしょうねぇ?」

「ま、果報は寝て待てだっけ? じらされてやろうじゃないの」

 待ち遠しくてたまらないといった感じのふたりをよそに、ひとり静かにユーサクに入れてもらったお茶を飲む知華。

 たぶん、きっと、とんでもないものを贈られるのだろうと、ふたりよりも少しだけ長い、隆太郎との付き合いから察するのであった。


 


 明日、少女たちのこれからを大きく変える贈り物が、三人の元へ。 

 


  

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