第118話 さて、それでは次話から桜祭(文化祭)です。


 胃に穴が開きそうな勉強会がお開きになると、各自帰宅の途についた。


 終始目をそらし続けていた二人に関しては、二人とも駅に向かうという都合上、二人隣り合って帰って行った。のだが、村田君が詰めた距離を、三好さんがあからさまに遠ざけるのが地味に目頭を熱くさせた。


 午前授業後、学祭準備と勉強会を終えての帰宅は、だから結局四時を回っていた。


 弓削さんの家に行くのは五時過ぎということになり、ちょうど帰ろうという話をしていたときに俺達のいた教室に顔を見せた由利亜先輩と連れ立って帰路を歩いていた。


「そういえば」


 そんな風に由利亜先輩が口を開いた。


「里奈ちゃんと綾音ちゃんのほかに一人男の子がいたけど、あの子は何者?」


 心地の良い秋の風が、由利亜先輩の栗色の髪の毛をさらいふわりと舞うのを見てから、「確か村田君です。クラスメイトですよ」そんな風に適当に答えて、知っている情報を隠すこともなくぺらぺらと話していく。


「弓削さんと机とか運んで教室戻ったら、三好さんにでっかい声で告白してたんですよね」


「それはまた、無謀なことを」


 即答で無謀とか言う由利亜先輩に少し疑問を感じたものの、聞いても教えてもらえなさそうだったので話を続ける。


「で、三好さんは断ったらしいんですけど、勉強会に参加してたんですよ。自分をふった女の子とその数分後には一緒に勉強してるなんて、恐ろしい胆力ですよね」


 マジすげえと思うわ。と、村田君をよいしょしまくる俺。


 由利亜先輩はといえば、「はっは~ん、なるほど、そういうことか。太一くんも大変だねぇ」とかぶつぶつ呟いていて、俺は確かに現状結構大変なのだが、その感心のされ方はなんとなく違和感があるというか?


「まあ私は、告白の返事もくれない好きな人と一緒に暮らしてるけどね」


「え、由利亜先輩って先輩のことが好きだったんですか?」


「…………」


 刺すように睨まれた。


 ぞわっと背筋が凍り、驚いて向けた顔を勢いよく逸らして明後日の方角を見ながら、「さよなら明日の俺」とか頭の中で未来と惜別していると、ため息が聞こえた。


「そういえば今日用事あるっていってたよね? 夕飯はどうするの、家で食べる?」


 さっきのため息で気持ちを切り換えてくれたのだろう。転換された話題に食いつくように、しかしその食いつきがバレない程度に食いついた。


「用事といっても多分すぐ終わるんで、帰って家で食べます。待っててもらってもいいですか?」


 ツンとしていた由利亜先輩の表情にふわりと喜色が浮かぶ。本人は隠しているようだが、気づいてしまうとこっちも少し気恥ずかしい。


「そっか。じゃあちゃんと用意しといてあげるね」


 口元を手で隠すようにするが、目元が笑っているのは隠し切れていない。俺の観察眼を舐めないで貰いたい。


 スーパーよってって良い? 少し跳ねるように歩く由利亜先輩は振り向くようにそう問いかける。


「学祭中は買い物も億劫になるかもしれませんし、買い込んどきますか」


「荷物持ちは任せた!!」


 笑顔の由利亜先輩を見つめて、ほっとする。これが平常じゃないことはわかっていても、なんとなく。


 俺の日常はやっぱりこっちだ。


 身をおいていて、落ち着く。


「任されました」


 そういって俺も笑う。


 これが日常。平凡でもなんでもない、かなり歪いびつな俺の毎日。


 学校で、同級生たちとわいわいするよりずっと正常で、異常な日常。


 だから多分、この異質さは、歪ひずみだ。いつでも誰の手によってでも壊せるそういうもの。でもだからこそ、俺はこのいつもをただ惰性のように生きている。


 異常とか、非日常とか、そういうものを忌避する俺が、どうしてもその魔の手につかまれてしまったときの、ささやかな抵抗というやつだった。


「というか、あの勉強に使ってた机は運ばなくてよかったの?」


「あれは受付用とパンフレット置き場用として使うやつなんですよ」


「あー、なるほどね」


 大丈夫。抜かりはない。はず。


 多分。


 こんな感じで、非日常な毎日を生きる俺は、日常の日々に翻弄されながら毎日を生きる。


 それはそれで、平凡な毎日と言えるのかも知れない、そんな風に思いながら。








 大きな買い物袋をえいこらえいこら運びアパートに到着すると、買ってきた物を由利亜先輩と二人で手分けして冷蔵庫やら洗面所やらに片付けると、制服から普段着パーカーとジーパンに着替えて家を出た。


 出がけ、由利亜先輩に一声掛けると玄関までとてとてやってきて、


『おいしいの作って待ってるからね!』


 そんな風に釘を刺された。


 俺は笑って受け流して、よしよしとふわふわの髪をなでつけると、「じゃあ行ってきます」と言い直して弓削家へと向かった。








 例えば、悪を為す。


 それなりの人間であれば、善を行う。


 何事に置いても、表裏一体。


 どちらだろうとかまわないけれど、正直、俺にはどちらをすることも出来ないだろう。


 善悪の差を、俺は決めかねているから。


 ある人は、一方から見た善は、もう一方から見たとき悪となると言った。


 俺はその通りだと思ったし、事実、悪を憎むとき、それは人に善の意識が芽生えた時だと思う。


 であるなら、善を絶対的善として語る人間ほど、悪を絶対的に肯定していると言うことになる。


 いじめた側が悪いとか、いじめられた奴にもいじめられるだけの理由があっただとか。守るために戦うとか、殺したくないけど殺すとか、死にたくないから死なせるとか。


 矛盾なんていくらでもあって、それをどうこうすることは一般人には不可能で。


 だから考えるだけなのだが、その思考さえ、俺には大それた物にしか思えない。


 俺程度が考えたところで、と、思考が止まる。


 だからもう少し話を小さくしてみる。


 やって良いことと悪いこと。


 やらなければ死んでしまうのだけれど、してはいけないこと。


 これがなんなのかと言えば、正当防衛が一番近い。


 殺さなければ殺されていた。


 その状況で、人は自分の死を受け入れるだろうか?


 もし、あらがったとして、その人はその人物を殺している。


 人が人を殺して、社会で生きていけるだろうか?


 してはいけないことをすると言うことは、他人から忌避されることにも繋がる。


 あの人は━━━をしたから人でなし。


 やらなければ、やられる。


 それがどんな状況下も分からない人間からしてみれば、人が人を殺すところなど想像も出来ないだろうし、きっと現場に遭遇したときは目を回して倒れることだろう。そして、都合の良いことにその際の記憶だけが脳から隔離されて、その人物は自分を善だと思い込むのだろう。


 俺にとって、先輩の両親を先輩の中で殺すと言うことは、そういうことだった。


 一人を殺すだけでも罪深いというのに、俺は二人を消した。


 しかも、自分の大切な人の心から。


 ただひたすらに絶望して、自分という生き物を殺したくなった。


 今もまだ、先輩と会うときは自分の卑怯さを痛感するが、記憶力の悪さは折り紙付きで、自責の念も、一晩寝れば綺麗な物だった。


 だからこそ、そんな自分が尚更嫌だった。


 先輩の両親が、確かにこの世から消えた。


 その報せをくれたのは、杉田医師だった。


 さながら生活のサイクルであるかのように、眠りについたそうだ。


 別れの挨拶くらい、させてあげた方が良いんじゃないか。そんな風に思う弱い己を握りつぶし、杉田医師に一つだけ聞いた。


 返ってきた答えは、投身による全身打撲、脊椎、頸椎、腰椎の損傷、脳挫傷、脳鬱血、etc...etc...のような外傷の数々。


 おわかりいただけたと思うが、俺が聞いたのはただ一つ━━━


「二人の死因」


 無傷。定期的な検査において、何の異常も見られなかった健康体が、綺麗だった体が、二日を経るに従い段々とあざと傷を発祥し、最後には血まみれの状態で、見るも無惨な姿でベッドに横になっていたと言う。


 監視カメラの映像で、段々と姿が変わる二人が映し出されていた。




 

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