第108話 解決、というかネタばらし。


「あくまでも、俺が立てた仮説として聞いてほしいんだけど」


 そう前ふりして、俺はことの顛末を話し始めた。


 ベッドの上で体を起こしてその話に耳を傾ける男は、俺に今回のことを依頼してきた張本人であり、つい先日目を覚ましたばかりの病人であった。


 とはいえ、意識ははっきりしているらしい。


「まず、一番最初に目を覚ましたのは長谷川夫妻だ。裏技、というかウルトラC的な神の御言葉としての助言を聞いた俺が、一番最初に思いついた方法は、他人に血を飲ませる吸血行為だった」


 生命力を吸っている。


 正直、生命力の定義もあいまいだったし、吸うという行為も明確ではなかった。


 だから、一番最初にそこを考えて、


「人間の生命力の源であるところの血液。今回はオカルトが本線だったからこそ思いついた方法だったけど、その血液、しかも神と接触したことのある人間のものともなればそれなりの役割を果たすんじゃないかと思って、まあ失敗しても誰も損をしないからと思って試してみたらドンピシャだった」


 先輩の両親、長谷川夫婦両人は、目を覚ました。


「夫妻は俺に一言お礼を言って、この紙切れを渡して去っていった。もう何年も体を動かすことすらしていなかった人間が、平然と立ち上がり、歩いてどこかに」


 そのあとを俺は追わなかった。


 俺が依頼されたのは二人の目を覚まさせることだったから、それ以降二人に何があったところで責任は負いかねる。


 とはいえ病院関係者、殊に杉田医師には一応報告しておいたので、たぶんどこかの病室にいるだろうとは思う。


 先輩に会わせる顔はない。夫妻はそう言っていた。俺としては、その言葉は至極まっとうな気もしたし、明らかに自分本位な気もした。


 とはいえ、俺たちは最初から最後まで一貫して、先輩が先輩の両親から生命力を吸い上げているのだと勘違いしていたので、その願いを叶えるために、先輩に二人が死んだことによって先輩の体が正常になったと思わせるのは容易だった。


「この場合、かなり多く突っ込みどことというか穴があるけれど、まあ別に、その穴を埋めるのは俺の仕事じゃないし、そもそも、俺がこの仕事を請け負ってる時点で抜け穴みたいなところがあるし、だからまあ、その辺のぼこぼこ空いてる穴を埋めるのは兄さんに任せるよ」


 事後処理よろしく、と一つ目の報告を終える。


 俺が話している間、すっとこちらを眺めていた兄の目が少し揺れ、久々に口を開いた。


「お前は結局、長谷川真琴の美しさの秘密は何だったんだと思う?」


 想定していなかったわけではない質問だった。だからあらかじめ用意していた答えを言った。


「さあ、知らね」




「次に目を覚ましたのは先輩。なぜ目を覚ましたのかはさっきの説明通り、吸い取られていた生命力が吸い取られなくなったから」


 美しさの源は生命力だろう。


 生命力に満ち溢れている人間は美しく見える。


 少なくとも、生きる気力のなさそうな人間や、どこからどう見ても不摂生で汚らしい人間よりは、絶対的、相対的に美しく見えるだろう。


 ではなぜ、生命力が一般より枯渇しているはずの先輩が美しく見えたのか。


「『かたはらの 秋草の花語るらく 滅びしものは 美しきかな』どっかの歌人がそんな風に歌ってるけど、まあ端的に言えば、消えるものほど美しい、美しいものは消えゆくものってのが日本の考え方なんだよな」


 儚いから、美しい。


 俺には、ただ美しい風に見えたけれど。


「じゃあやっぱり太一は、長谷川真琴の美人さは千差万別のものだったと思ってるのか」


「は?」


「ああいや、なんでもない」


 口ごもる兄からそれ以上の言葉はなかった。




「三人目、というべきか三番目というべきかはわからないけれど、さっき弓削さんから報告があって、弓削さんのお母さん目を覚ましたって」


 つい三十分ほど前の、涙ながらの感謝の言葉を思い出す。


 湿った声が、いまだに耳から離れていない。


「六人全員同じことで眠っているなら、たぶん同じ方法で残りの五人も目覚めるはずだ。以上報告終わり」


「待て待て待て待て、意図的に情報を隠すな、依頼主だぞ、報告の義務くらい果たせ」


「兄貴なら弟の平穏無事な人生の一役でも買って出てみせろ」


 義務とかなんとか、そもそも高校生の身分の俺にはほとんど縁のない言葉だろそれ。


「まあいいや、仕方ないから教えてやろう。どうせ俺も、古めかしい本からの受け売りだしなーーーー」






「ーーー神事の際、神を下すのは人の体じゃない。これはまず大前提だ、それは知ってるだろ?」


「それくらいはな。憑坐よりましとかいう人形を使うんだろ」


 俺の質問に難なく答える兄。こんなこと、どう考えても一般人は知らなくてもいい情報なので、素直に感心してしまう。


 俺そのことを知ったのは、つい一昨日のことなのだ。


「その憑坐を使わずに、自分の体に直接神を堕ろすからこそ、弓削綾音という人間は稀少だと世界的にも言える」


 稀少で貴重。だが別段尊ばれる存在ではない。


 神を下すときに使う「憑坐」とはそのまま人形のようなものだ。ようなもの、というのは、別段人形型が多いわけではないからだ。憑坐に使われるものとして人形は多いが、今時分はもっぱらお札が主流だ。


 だから、神を身に堕ろすことができるそれはある意味ではすごいことなのだ。


 だが、誇れることではない。


 人形の役目を生身でできると言いうことは、逆説的に、生身の体で人形のようなものであるということになるからだ。


 人間なのに人形。人形として生きる人間。


 中身のない人間と、蔑まれることをこそ真髄としてきたのだ。


 だがまあ、現在ではそもそも、弓削さんのように本当の意味で神を堕ろすことのできる巫女や神職は本当に極々少数なのだ。


「あまり神力のない者が舞を踊り、祝詞を上げたところで神は何の反応も示さないだろ。すなわち、今回眠りについている宮司の六人、この六人は真に神と会話していたのだろうと俺は考えてる」


 何をもって。別に証拠はない。


 だが、そう考えることで俺は一つの解決策を提示した。


「弓削さんには、お母さん、弓削司さんにお祓いと祈祷をしてもらった」


 少し兄の表情が強張るのが分かったが、俺はそのまま説明をつづけた。


「憑坐というのは、神社では神を下すものとして使われているけれど、仏教の世界では、悪霊に取りつかせるものとして使われることがあるんだよ」


 仏教というか、密教だが。その辺の細かい話は、俺よりもこの男のほうが詳しいだろう。これと言って説明も不要そうだ。


「お前は何か、神を堕ろす儀式の最中に、悪霊に憑りつかれたから眠っていたと、そういうのか?」


「ご明察」


 えてして奇妙なものである。


 人ならざる者との交信には成功していると言って良いものの、それでも、失敗は失敗だろう。自分が死にかけている。いや、失敗というか、何だろう、誤爆?


「いや、でもあいつらは、神に捕らえられているとか、そういう言い方をしていたんだぞ?」


 体が少し前のめりになり、俺は兄から焦りのようなものを感じた。


 そう。この言葉。


 神様の虜囚。


 最も難解なこのフレーズ。


 あいつらというのは、以前話に聞いた呪術師とキリスト教徒のことだろう。


 かなり強烈な言葉なので覚えていたが、これは少し捉え方が違うのだ。


「彼ら彼女らは神に祝福されている宮司、神職だ。毎日のように世話をし、敬うように尽くしている。そんな人間に、祝福がないのはおかしいと思わないか?」


 神棚の水を、毎日変える人がどれほどいるだろう?


 毎日のように礼拝し、礼を尽くして仕えている人間が、悪霊によって食い散らされるのを見て見ぬふりする神を、どれだけの人間が神と呼ぶだろう?


 俺としては、どっちでもいいことなのだが、どちらでも同じことなのだが、まあだから、要は、


「死なないように、神が守っている状態があの睡眠何だろう」


 悪霊に憑りつかれた体を、死に絶えさせないための応急処置。衰弱していく体に放り込まれた一粒の祝福。奇跡。


「だから、その悪霊を払えば人は目を覚ます。まあ悪霊を祓うのは巫女じゃなく、修験道者の役回りだけどね。というわけでこれで本当に俺からの説明は以上なんだけど、なんか質問ある?」


 言って椅子から立ち上がり、兄を見下ろす。


「いや、俺からは何もない。依頼完遂、だな。ありがとな」


「はぁ…? 感謝の気持ちとかいらないから、報酬、忘れないでね」


 素直な感謝の言葉とか、普通にキモいな……。


「わかってる。そこの引き出しの封筒をもってけ」


 言われた通りに取り出すと、パンパンに膨れた大判の封筒は重すぎて破けそうだった。


「これいくら入ってんの?」


「二千万くらい」


 やだ、ATMには入れられなさそう!


「って、何考えてんだよ! 高校生にこんな大金持たせんなよ! 馬鹿なのか!!?」


「いや、依頼内容的にはもう一ケタ増やしてもいいくらいなんだけどな」


「こんなことでサラリーマンの生涯年収あっさり超えたくない、もっと頑張ってる人を尊重してやってほしい……」


 全身の力が一気に抜けて、もうなんか全部がどうでもういい。


「あ、そのお金はマジでお前のだから。この話はこれで終わりね。で、もう一個の報酬のほうなんだけど」


「斉藤さんなら俺がもらってくよ、俺のお嫁さんになってもらう」


「正気か」


「冗談に決まってんだろ」


 やめろ、そんな真剣な顔で弟のボケを追及するな。


「俺思うんだよね、漫画とかによくある三角関係の男同士が、『俺が勝ったらその女は俺のものだ!』みたいなシチュエーションて、本気のマジで、人権無視だよなって」


「いや、最初に報酬とか言い出したのお前だよな?」


 あきれ交じりにそう反応する兄だが、似たようなことは思っていたようで、「その通りなんだけど釈然としないは」などとブツブツ漏らしている。


「あれやる男って、どうしてそんなこと言う男と女が付き合いたがると思ってんだろうね」


「急に辛辣しんらつだな。納得できる主張ではあるけど、助けるためにとか、そういうシチュエーションだろ、そういうこと言うのって」


「いやいや、そもそも賭けの報酬になってる時点で女は喜ばんでしょ。これから先一緒に生きていく中で、どういう流れで付き合いだしたのか聞かれて、『賭けに勝ったからです!』とか、胸張って言えないじゃん」


「ははは…」


 なぜか苦笑いの兄だった。


「まあいいや、とりあえず報酬は受け取るとして、食費と服代とあとちょっとお菓子代抜いて」


 万札しか入っていない封筒から五枚ほど紙を抜き取ると、封筒を引き出しに戻す。


「じゃあこれは父さんにでも渡しといて、兄さんからのお年玉ってことにして」


 何やら大仰にあきれたそぶりをした後に、溜息を吐くと、


「わかった」


 その続きを聞くことなく、俺は病室を後にした。


 すべてが終わった開放感に浸りながら、白い廊下を軽やかに歩く。ポケットの中の財布は、急に重くなったけれど、今の俺の気持ちは軽やかだ。


 十月七日の夜。


 奇しくもこの日は、あの双子の誕生日だったそうだ。


 そして、由利亜先輩の「おかえり」を、三日ぶりに聞いた日でもあった。





~後書き~


 十月四日




 弓削さんに伝えるべきことを伝えると、今日のお礼を言いにミナちゃんとユウちゃんが晩御飯中の広間に上がらせてもらった。


 一通りのことを伝え終えると、思い出したようにミナちゃんが聞いてきた。


「そういえばお兄さん、書庫の本読んだってホント?」


 質問するときの癖なのか、人差し指を顎に当て、不思議そうな顔をする。


 そういえば、あそこを掃除しているのはこの二人なのだと思い出し、一つカマをかけてみることにした。


「読んだよ。全部読んだ」


「「全部!!?」」


 驚く二人に縦にうなづき肯定を示すと、「ミナちゃんとユウちゃんは、どれくらい読んだ?」と質問する。


「私たちはそんなに読んでないの」


「古語がミミズだから眺めててもつまらなかったんだって」


「「だから、全然読んでない」」


 慌てふためきながら、急いで言葉を畳みかけるさまは、何かをひた隠しにするペットのようにも見えた。


「でもすごいよね、あそこの本、一冊残らずいつ来てもちゃんとほこりがとってあって、感心しちゃったよ」


 だが、そんな二人も褒められればうれしいのか、そんなことを言えば、


「でしょでしょ!! 二人で二日に一回頑張ってるの!!」


「ちゃんと本一冊ずつ拭いて、チリ一つ残さず頑張ってるんだって!!」


 そしてちゃんとぼろを出した。こういうところ、本当に、俺の周りにいる人たちはちょろいよなあ。詐欺とかに会わないかほとほと心配になる。


「じゃあ、ほんの後ろにあった本もちゃんと磨いてるんだね」


 俺のこの一言で、二人の目からは生気が消え、止まっていた食事をする手が動き出した。


 やっぱりあの本見て知ってたんだな。でもたぶんこの反応だと全部を見たわけではなさそうだな。


 知らぬが花とは言うけれど、しかし。


 先ほどからわれ関せずを貫く弓削さんに視線を移し、言葉を選びながら告げた。


「あの春画の中に、一冊だけ家系図があったよ。弓削家と由井家の因縁と、あと、まあいろいろ書いてあるのが」


「え?」


 端に持っていたものをポロリとこぼし、俺はそれを小皿でキャッチする。ボケっとした顔の弓削さんは、俺を見たまま「それどこにあった本?」と問う。


「それは、まあ、ね」


「え、ウソでしょ? 教えてくれるよね?」


 縋りつくような目で見つめてくる弓削さんを文字通り横目に立ち上がると、羽織ってきたアウターを手に取り席を辞す。


「じゃあ、明後日だっけ、結果が出るの楽しみにしてる」


「そんな取り繕ったお世辞言うのいいから、お願いだから家系図の場所を教えてえ!!!」




 実のところ、春画に見せかけた書物というのが五冊ほどあったのだが、そもそもこの神社、系統から女性神主が源流で、男性神主がいないのになぜあんなにも春画がいっぱいあったのだろうという疑問が先に立った。


 そしてちなみに、全部は読んでいない。全体の三分の二くらいだ。知りたい情報は知れたからというのもあったが、絶対的に時間が足りないというのが大きかった。

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