第77話 波乱盤上。



 コトリと目の前に置かれた湯飲みを睨み付けながら、俺はひたすらに、


(は、恥ずかしい……!!!)


 先ほどまでの自分の所行に、打ちのめされていた。


 いつもなら寝ている時間帯だが、今日に限っては由利亜先輩も起きていてくれている。


 ほんわかと微笑み、慈しむように俺を見つめ、お茶を飲みいつもとは違い俺の対面に座っていた。


 本当に優しくて可愛くていい人なのだが、今ばっかりはその長所が俺を傷つけている。そのことに気付いていながらも、そこに座っているのだろう。ここで席を立てば、明日から気まずくなる、だからしこりを早めに取っておきたいと、そういうことなのだろうが。


(でもやっぱはずかしいんだよなあああ!!!)


 両腕を机に載せ、そこに顔を覆うようにして伏せたまま精神統一を測る俺の心中は、穏やかさのかけらもない。


 目線だけで時計を見ると、そろそろ日付が変わりそうだった。明日も学校だ、あまり遅くまで由利亜先輩を付き合わせるわけにも行かない。この人、寝ないとテンションおかしくてパーティー料理作り始めたりするから……


 俺は覚悟を決め、顔を上げる。


「話しがあります。聞いて貰っても良いですか?」


 絶対に、関わらせたくないと思っていた。


 花街先生の件の時、この人に全てを話してしまったことを俺は今でも後悔している。


 知らなくても良いことを、無理矢理に知覚させてしまうことの罪深さは、強欲で戦争を始めることに近い。


 だから俺本人は、話したくない。


 でも。


 こんな風に優しくされて、嘘をつくことは俺には出来ない。そんな不誠実は、犯してはならないと思う。


 理由はどうあれ知りたいと、俺の言葉に耳を傾けてくれるのならば、全てをつまびらかにしようと決めたのだ。


 俺の質問に、由利亜先輩は顔色を変えず答えた。


「私は太一くんの与太話、大好きなんだよ?」


 軽い、それでいて柔らかいその返答に、


「いや、これ与太話じゃないんですけどね……」


 いつも通り過ぎて、空回りしているのが自分だとようやく気付いたのだった。






 大体のことを説明し終えると、由利亜先輩は一息入れるために俺のと自分の湯飲みにお茶を注いで、それを飲むように促した。


「なんっとなく、全体の十五パーセント位は理解できたと思う」


 俺の話の不明瞭さは自分でも承知の上なので、理解が追いついていないという宣言には特に違和感も、折角説明したのにと言う苛立ちもなかった。


 むしろ、これをパッと理解できると言われたら、逆に胡散臭く思っていたところだ。


「ですよね…… でも、本当なんです」


 俺は由利亜先輩を見据えたままに断言する。


 今、兄から受けている依頼は病気の治療で、その病気にかかっているのは先輩含め九人。しかし先輩一家に関してはほぼ例外。


 科学的根拠の発見は現状不可能となり、目下の最有力候補となった原因の一つが、『怪奇現象』神のいたずらである。


 これをかみ砕いて説明した。


 どこまで行っても意味不明なこの内容を、由利亜先輩は眠ることなく最後まで聞いてくれた。


 目を伏せ、黙考する由利亜先輩を見つめ、俺は最後の審判を待つ。


 不意に顔が上がり、目の前の聖母は口を開く。


「その話しとか、そう言うのはよく分からないけどさ、さっきも言ったじゃん?」


「?」


 俺がきょとんと首を傾げると、少しふくれたように目をしかめ、ふっと笑って囁いた。


 俺の心に染み入って、虜にしてしまいそうなそんな愛に満ちた一言を。


「私は、太一くんを信じてるんだよ」


 言葉が、出なかった。


 ありがとうございますだとか、そんな簡単に信頼されても困るとか、そういういつも通りの軽口すら、声として発することが出来なかった。


 まさしく、ぐうの音も出ないという奴だろう。


 そんな、硬直した俺の顔をのぞき込むように顔を近づけてくる由利亜先輩から仰け反ることで距離を取ると、


「ち、ちかい……」


 顔を背けて抗議した。


 ふふ、と笑うと由利亜先輩は椅子に座り直し、いたずらが成功した子どものように、俺を見ていた。


「ドキドキした?」


 決まり文句、と言うほどでもないが、時折こういうことを聞いてくる。


 いつもなら適当にあしらうのだが、さっきのことを思い出してしまい言葉に詰まる。


「そ… そりゃ……」


 目線が完全に胸に言っているのは自分でも解っている。が、外すことは出来なかった。さっきまで俺を辱めていた物を、睨むことをやめられなかったと考えて貰いたい。


「ふ~ん」


 ツーンとした顔でおざなりに相槌を打つと、


「ロリコン」


 そんな、とんでも発言が飛んできた。


「はっ、はあ!!? 由利亜先輩今、自分の子とロリって言いましたね!! あれだけ自分は高校生だと言っておきながら、今自分のことをロリって!!」


 椅子をはじくように立ち上がって言う俺に、動揺に慌てた様子で抗議を始める由利亜先輩。


「ちっ…! 違うもん! 今のは太一くんの性癖を読み上げただけで、私自身には何の関係もないことだもん!! 大体、私のことをロリだって思ってるからそういう風に勘違いされると思ってるんでしょ? だったら自分が悪い! 私の体は高校生だから気にせず高校生みたいなことが出来る!! なのに太一くんは!!!」


 なのに太一くんはロリコンになるのが嫌で私に手を出さない。とでも言いたげだ。


 断じて違う。


 俺はロリコンじゃないし、ロリコンと疑われるのが嫌で由利亜先輩とそういう関係になっていない訳じゃあない。


 そんなこと、この人が一番解ってくれてると思っていたのに……


「俺はロリコンじゃないです!! 由利亜先輩をロリだと思ったこともないです! 大体、先輩のことをロリ認定するって、それどう言う状況になるんですか、自分の立場とか!? 由利亜先輩のことは好きだけど、ロリだからじゃないし、全然全くこれっぽっちも勘違いされるのが嫌で手を出してないわけじゃない!!!!」


 言葉に出してはっきりと、俺は言った。


 無用なことも、含めて。


 はっとしたように口元を抑えた由利亜先輩から。


「…好…き……?」


 その、一部始終だけを目撃すれば勘違い必至な単語だけが飛び出し、


 いや、そうじゃなくて!!


 そう反論をしようとした丁度そのタイミングで、コンコンと扉が叩かれた。


 こんな時間に尋ねてくるものなど今度こそいない。


 二人目を見合わせ玄関を見ると、コンコンと二度目のノック。


「見てきます。由利亜先輩は奥にいてください」


「わかった、気を付けて?」


 赤く上気した顔のまま頷いて、由利亜先輩が奥の部屋に引っ込むのを見送ると、俺は玄関に近付いて魚眼レンズを除いた。


 そこには、マスクとサングラス、帽子をかぶった怪しげな人物がふらふらと立っていた。


 いぶかしむ俺の耳に、微かに聞こえて来たのは聞き覚えのある俺を呼ぶ声だった。


「太一君、開けて」


 弱々しくさえ感じるその声の主を、俺は知っていた。


 サングラスにマスク、帽子。その格好からも想像がついた。


 ガチャと開けると、ふらふらと戸を潜ってきた人物。いつも通りの服装に、いつも通りの身なりでも、今日は確実にいつもと違った。


「どうかしたんですか、先輩?」


 ふらふらと、俺の顔を見上げると、


「も…ダメ、みたい……」


 ドダンっ!! 激しい音とともに、その場に崩れ落ちたのだ。


「せん、ぱい…?」


 驚きのあまりしゃがむことも出来ず、見下ろしたまま話しかける。


 前にも、こんなことがあった。


 あの時は、俺は何も出来なくて、役立たずで、由利亜先輩に助けられた。


 だが、それよりも前に、空腹で卒倒したこともこの先輩には在るのだ。


 だから、少し肩に触れるくらい。


 そんな風に思ってしゃがもうとしても、体は金縛りから解けようともしない。


「先輩、先輩?」


 声だけ。


 届いているかも解らない声。震えて、掠れて、どこまで届いているかも解らない声。


 先輩は、ぴくりとも動かず、


「凄い音したけど、大じょう……」


 奥の部屋から現れた由利亜先輩も、現状を見て一瞬膠着する。


 しかし膠着は一瞬だった。本当に一瞬。


 一つ息を吐くと、動きは迅速だった。


「太一君くん、ちょっとどいてね」


 言いながら動かない俺の体を押しのけて先輩の前にしゃがみ込む。


 脈拍、息、外傷、さっと流し見て特別目立つ物がないと判断すると、電話を手に取りボタンを押す。


 俺は、その光景をただ見ていた。また。


 電話を終えると、その小さな体で先輩をフローリングに寝かせ、救急車を待った。


 立ち尽くす俺に、由利亜先輩は抱きついてきた。


 また、何もしてない。


 立ち尽くして、邪魔にしかなっていない。


 そんな俺を、慰めてくれている。


 この優しさに、俺は感謝しつつも、自分の能力の低さを痛感し、誰かを助けるなんてことは到底出来ないんだと言うことを肌身に感じていた。


 眠るように寝ている先輩の美貌は変わらぬまま、先輩を包んでいた輝きは、ほころび始めているように見えた。




 この時、由利亜先輩の口から漏れて聞こえた、


「太一くんは、やっぱり……」


 この言葉の意味は、今の俺には解らなかった。








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