第67話 記憶力の悪さが取り得。
食堂である。
時刻はもうすぐ八時半になろうとしている。いつもなら、教室で静かに読書している時間に、人気の少ない食堂で男と二人。何が悲しくてこんな所に来てしまったのか、考えてみれば理由はよく分からなかった。
「僕はこの学校で生徒会長をしている、由井幹晴。三年生。山野太一君、君に少し話があるんだ」
「そりゃ、なにもないのにこんな所に連れてこられてたら流石に先輩相手でも俺はキレますよ」
どうやら自己紹介は必要ないようなので、省いて通常運転で会話を始めた。
「ははは、そりゃそうだ。聞いてたとおり思ったことをはっきり言う性格のようだ」
「いえ、俺のはそれほどでもないですよ。俺以上に容赦ない人を俺はよく知っているんで」
美しすぎる先輩を思い出しながら、その毒舌について熱弁してやろうかと考えてやめる。
「それで、もうそんなに時間もないので、早めに本題に入ってくれると嬉しいんですが」
あまり与太話をしている時間はない。
話があると言うからには、それなりに長くなる話題があるのだろう、俺はまだ教室に行ってすら居ないし、今日に限って一時間目が体育なので話が早く終わるに超したことはない。
「そうだね、じゃあ、本題というのはね」
何を言われても、平然と揚げ足を取る準備は出来ていた。が、
「僕の許嫁を返して欲しいって事なんだ」
これは予想外だった。
「あの、あんまり問題増やすの辞めて貰って良いですか?」
「え、何の話?」
「あ、いや、何でもないです、こっちの話」
そうだ、この人が持ってきたのは今の問題で、そのほかのものに関しては俺だけの問題だ。この人に当たってもしょうがない。
目を瞑り一つ息を吐くと、俺は目の前に座るイケメンを見た。
「聞きましょう。許嫁って、なんの話ですか?」
まずはそこからだ、身に覚えのない問題までは抱えきれない。
「そうだね、まずは僕の身の上話になってしまうけど、僕の家は弓削さんの家とはかなり古いお付き合いでね、同世代に互いの方に男女が産まれれば許嫁にする取り決めになっているんだ」
「ハイストップー」
うん意味分かんないは。
「まず弓削さんて誰。あと言い忘れてたけどこのご時世で許嫁は制度的に古い」
人ん家の事だから黙っとこうと思ってたけどやっぱ無理だったわ~。
「え、君のクラスメイトの弓削綾音ちゃんだよ? 知らないの…?」
「俺の知ってるクラスメイトは三好里奈さんと村なんとか君って言う最近一緒に仕事してる男子生徒だけですよ。弓削って、そんな奇妙な名字の人、一回聞いたら忘れませんよ」
「え、じゃあ、僕が何か勘違いしてるのかな?」
笑顔からあまり表情の動かなかったイケメンの顔が、少し動揺しているように見える。
「そうじゃないですか? そもそも俺にはこの学校に知り合いは多くないですし。会長さん合わせても六人くらいですね」
声も出ない、そんな様子だ。
何だったんだ、この時間は……
「じゃあ、俺今度こそ本当に行きますね? 体育なんで着替えないとなんですよ」
「あ…ああ、うん…。時間を取らせてすまなかったね」
椅子から立ち上がり、
「いえいえ、良い暇つぶしになりました」
心臓に悪いことこの上ないが、たまにはこういう無駄な時間も悪くない。本気でそう思った。
食堂を出ると一時間目五分前の予鈴が鳴った。
「ヤベっ!?!」
廊下は走っちゃ駄目、絶対!!
「学校には来てて一時間目遅刻するなんて、器用なことしたね」
動かしていた箸を止め、呆れ半分な表情で三好さんは言う。
「いやあ、まさかね、あり得ないよねえ~」
俺は、箸を弄びながら斜め上を見上げた。
一時間目、体育着に着替えて走って体育館へ行くと、残念ながら校庭での授業で、きっちり遅刻が確定された。
いつもの授業態度は良い方で、教師もあまり説教はしてこなかったが、一時間も前に登校しておいて遅刻は明らかに馬鹿の所行だ。自分で言ってて悲しくなってくる。
「何かあったんですか?」
俺が自分を苛んでいると俺の前方に向かい合って座る三好さんの右隣から、質問が投げかけられた。質問主は、俺の事を不良だとは思っていないようで、遅刻の理由を何かがあったからだと確信しているらしい。
偏見と色眼鏡でしか人を見ない俺にはまねできない清い心の持ち主だ。こんな人物に嘘を言うのは忍びないと思い、俺は素直に本当の事を口にする。
「図書館に本を借りに行ったら変な人物に変な話をされちゃって、そうこうしてたら時間が来てたんですよね。あれさえなければ半には教室で読書してられる余裕があったんですが」
「また、敬語」
クスリと笑われた。
面識のない人物だったから、それなりの言葉遣いで話したのだが、どうやらそれがおかしかったらしい。
朝に訪れた食堂で、三好さんに誘われて一緒に昼食をとっている。いつも昼は食堂とは別で学校に来ている弁当販売のものを買って教室で食べているのだが、今日は珍しく弁当を忘れたらしい三好さんに誘われてここへやってきたのだ。
「ん… また?」
三好さんの横に座るその女子生徒は、黒い艶のあるストレートヘアをさらりと流しながら、首を傾げてみせる。
「山野君、まさかと思うけど、綾音のこと、解らない?」
げんなり、と言わんばかりの表情で持っていた箸を置いた三好さんは、俺にその穏やかな少女の名を教えてくれた。
「弓削綾音、隣の席でしょ?」
ゆげ……湯気?
……弓削?
弓削、綾音?
弓削って、どこかで聞いたことあるような……
「昨日も自己紹介してたもん、聞いたことあるのはそれでしょ?」
まじか。
「まじだ~」
口を開かないでいた弓削さんは、朗らかに笑って俺の言葉を肯定した。
俺はまさに、本人の前で「お前誰?」を演じてしまったらしい。本当に失礼の限度を知らない人間だ。自分の事ながら呆れを通り越して逆にすごいんじゃないかと思い始めるレベルだ。
「ご、ごめん、記憶力が悪いんだ、まさかこんなにかわいい女の子のことを覚えていないとは」
キザっぽい台詞で誤魔化そうとして、
「そんな、可愛いだなんて」
苦笑いで受け流された。
大失敗、その言葉が俺にはお似合いだ。
「綾音は言われ慣れちゃってるからそう言うのは効かないんだよ」
「俺が口説いてるみたいな事を言うのはやめて貰いたい」
俺と三好さんのやりとりを見て、ふふっと笑う弓削さんの顔は、やはり俺に何かを思い出させようとしていた。
なんなんだ、この感覚は………
~後書き~
悪気の無い人間ほど厄介なものもない。
悪気がないからと言って悪意や害意がないわけではないし、善意の有る無しに関わらず、それは他人に影響をもたらし、周りを巻き込んでは引っ張りまわし、誰かは笑い、誰かは泣く。
人によっては善意のとらえ方を見間違い、悪意に媚びる。
そんな現実に、飽き飽きしているのはきっと、眠気に抗うくらいの辛さを伴う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます