第60話 何事も起きない。


「はいはい! 唯さんは~ 彼氏とか居ないんですか~?」


 いつの間にか打ち解けたようで先輩が、後輩の女性社員にからむ酔っ払った男性上司みたいなノリで斉藤さんに質問をぶつける。


 駅の近くにあった全国チェーンのファミリーレストラン。斉藤さんを無理矢理に引っ張って入った店は、高校生にも優しいお値段のそこだ。


 本当はもう少し良いところはないものかと悩んだのだが、最近由利亜先輩にお小遣いを減らされてしまって、変に高いところには入れないのだった。…いや、なんで俺の金を由利亜先輩が管理してるんだ……気付いたら胃袋どころか通帳まで握られてるじゃん、俺……。


 と、ともかく。


 そんなわけで、ファミレスで夕食を食べながら歓談中。ピザやハンバーグ、ドリアや、エビフライ定食(?)が並ぶ机を挟んで窓際のテーブル席で、俺と先輩が並んで座った向かい側に座る斉藤さんは、唇の端にソースを付けたままその質問を受ける。


 アルミフレームの眼鏡の奥で、明らかに動揺している斉藤さんは、


「い、居ませ、んが、、な、にか、?」


 落ち着こうとした結果、通常では切らないようなところで言葉を切ったりして、動揺を露わにしていた。


「こんなに美人なのに、彼氏居ないなんてあり得ない! 隠してるでしょ~ ほら、言っちゃえ言っちゃえ~!!」


 その答えを聞いて、逆に追求の手を強めた先輩は、席を立って斉藤さんの横に座り直し、顔を近づけて斉藤さんの目をのぞき込むようにする。


 自分の事を棚に上げまくったその追求に、かなりたじろいだ様子の斉藤さん。


 なんだこの人、本当に酔っ払ってんのか? そう思ったが、マスクとサングラスは即座に着けている。つまりは素面。本気でふざけているらしい。これは、尚更厄介だな。


「先輩、斉藤さんには過去28年間そういう相手が居なかったらしいですよ? 兄の証言なので多分マジです」


「た、太一さん! それは言わない約束じゃ……!!」


 語気荒く顔を真っ赤にした斉藤さんがくってかかってくる。


「でも本当なんですか? あんなの兄さんのデマだと俺は思ってたんですけど、その感じだと、そのマジなんですか?」


 兄があんなことで嘘をつくとは思っていない。


 だからこれは誘導だ。本人からそんな人間はいないと、自分は彼氏募集中なのだと聞き出すための誘導尋問。


 そして、彼氏がいないのなら俺を引き取ってもらおう。そして一生面倒を見てもらおう。


「え、それ私も聞きたい! どうなんですか? 彼氏いたんですか? あ、あとその、け、経験は、あるんですか?」


 え、そんなことも聞くの? 聞いてないよ?


「ちょ、先輩」


 小声で先輩を呼び、「なになに?」と傾けられた耳元で言う。


「彼氏がいるか居ないかで十分でしょう、そこまでは聞き過ぎですよ」


「でも気になるし。それにこの流れに乗るしか聞く方法がないじゃんか」


 一理ある。そう思ってしまった。


「分かりました。今回は譲りましょう」


 握り拳で胸をたたいて先輩は言う。


「任せなさい」


 意気揚々と斉藤さんに解答を強要し始めた先輩を見て、「あ、失敗したかな」そう思ったときには店中に響き渡る声で、美形のアラサーキャリアウーマンが純情な乙女であるという情報が解禁されていた。


 これなんてエロゲー?


 心の中で叫ぶと、外からは聞き覚えのある男の爆笑が聞こえてきた。


 そういえば、あそこにはこの男もいたんだった。






 途中参加の届け出はなかったのだが、仕方がないから受け入れて、取りあえずポテトとウーロン茶を頼むと、「何の話だったの?」と兄が俺の横から机を挟んで向かいに座る先輩に話しかける。


 今は完全にプライベートだ。


 兄の立ち居振る舞いからそのことは見て取れた。以前、この男が由利亜先輩にしたこと、今なお継続している仕打ちはなんの解決も見ていないが、そのことは横に置いて今のこの状況を楽しもうとしている。そのことが、俺には簡単に見て取れたし、斉藤さんも仕事の話は出ないだろうと考えているのだろう、少し余裕のある表情をしている。


 そんな俺たちの中で、全く割り切れず、煮え切らない状況に意を唱えたい人が一人。そのお方こそ、我が先輩だった。


「えー、っと、どう言う状況?」


 聞いちゃうのかよ…… 状況説明から必要なの?


「例えるなら、みんなで楽しんでた席に、突然空気の読めない嫌われ者が来ちゃったってとこですかね」


「兄貴を嫌われ者扱いとか、酷い弟もいたもんだ」


「弟に仕事の尻ぬぐいされてるうちは半人前だろ、兄さん」


 頬杖ついて、俺は斉藤さんをにこやかに眺めながら、隣の男は多分同じ体勢で先輩をにこやかに眺めながら、お互い顔を見る事もなく皮肉り合う。


 多分、一番割り切れていないのは俺たち兄弟だった。




 俺は残り少なくなってきたコーラを名残惜しくもストローで吸う。


 各々の頼んだメニューが出揃い、最後のエビフライを兄さんが斉藤さんから奪い取ると、斉藤さんは兄さんのポテトを一息に半分ほど口に頬張ってしまう。その様子を驚き半分呆れ半分の顔で先輩が見ていて、俺は一人、明日以降の事を考えていた。


 明日からの方針というか、やるべき事の確認というか、今のうちにしておかなければならないあれやこれやを、考えて置いて、由利亜先輩にメールして忘れても大丈夫なようにしておこかなければ。こう言うところで頼るから、後に引けなくなっているんだろう事は理解しつつも、それでもあの明らかに年下な先輩に頼ってしまう。だって優しいんだもん!


 ……泥沼ですよね…知ってます……


 兎に角。一つ、明日は以前の隔離病棟で検査結果の精査に入ること、二つ、全ての検査結果が出るのは一週間後であること、それと、遅くなりましたが今日は夕飯はいりませんと言うこと…この三点を丁寧に、かついつも通りに、ナチュラルアンドビジネスリーに、いやそんな単語ないと思うけど、文面に起こして送信ボタンを押す。


 明後日以降は学校にも行かなければならないし、学校に行くと部活はともかくとして、学校祭の準備はしなければならない。三好さんの手前サボタージュというわけにも行かないだろうし、他にも、あれだけ連中を馬鹿にしておいて、そうするのは明らかに学校祭に支障が出るだろう。中途半端に知恵が働くとサボる理由を他人に押し付けてくるから本当に良い迷惑だ。迷惑すぎて泣きたくなる……


 心の中だけで号泣しながら、窓の外を見ると、流石に外の暗さが無視できないものになっていることに気付いた。


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