第61話 怒られる理由は結構理不尽だったりする。
ファミレスでの食事を終え、帰路についた。
この後まだ何か用があるとかで、兄は斉藤さんを連れて去って行った。今は二人きりになった先輩と連れだって、駅を目指して歩いている。
「改めて先輩、今日はお疲れ様でした」
俺は隣のマスクと濃いサングラスを着けて、いつも通りに制服姿の先輩に言う。よくよく目を見て話せなどという言葉が聞かれるが、この人の場合どこに目があるのかはサングラスで見えないし、マスクのせいで喋っている言葉もモゴモゴしていて聞き取りづらく、この状態の先輩と話すのは至難の業だったりする。
「うん、ありがとう。明日からは太一君の頑張る番だね」
「俺が頑張れることがあれば良いんですけど、あんまり自信ないです」
なんと言うこともなく、先輩の発言を流す。
当然だ、俺には医療知識も、関心もない。だからどうしたものかと悩んでいるのだ。俺に何が出来るのか、それが見つかる頃にはこの一件は終わっているかもしれないと思いながらも。
「そう、だよね」
そのことは先輩ももちろん分かっている。だからこうして、軽口でも叩いていないとやっていられないのだろう。まあ俺にはこの手の軽口を叩く才能はないのだが。
「ま、ともかく明日です。資料が集まらなければ検証は行えないので」
強がりでも何でもなく、これは本心だった。
「うん、そうだね」
そういう先輩の表情は微笑んでいるように見えた。いや、マスクとサングラスではっきりとはわかんないけどね……?
駅は帰宅ラッシュで混雑していた。
土曜日とはいえ、というか、土曜だからこそ、ここはかなり混んでいたようだ。
駅前に大型の商業施設を構え、北側はショッピング、南側はレジャーで楽しめる多面的な商業展開のこの、何駅だっけ、えーっと、わかんないけどまあとにかく、この駅は、土曜日という特性を大いに利用し、かなりの収益を上げていたらしい。
俺たちが研究所に引きこもっている間、休日を盛大に満喫してくたびれた人々が、駅に向かって進行していた。
「すごい人だね… こんな中電車に乗るのか……」
楽しんだわけでもなく、採血をぎりぎりまでされた先輩は多少の貧血気味でもあるはずだ、そんな人をこんな電車に乗せて良いものか少し迷う。「タクシーにしますか?」
帰ってくる答えを分かりきった質問だったが、
「ううん。私は大丈夫だよ。いこ?」
苦笑い気味で返ってきたのは予想通りの解答で、俺は「解りました」と返すことしか出来なかった。
ICカードで改札を通り、帰りの電車の入ってくるホームへ向かう。時間には余裕がある。そう思い、
「飲み物、欲しくないですか?」
隣で少し危なげにぼおっと歩いている先輩に声をかける。聞こえていないようなので、肩をトントンと叩く。すると、ようやく気付いたようでこちらを見て。
「ん?」
と首を傾げた。
「ノ・ミ・モ・ノ、欲しくないですか?」
全く同じ台詞を口にした。しかし、言い方は若干意地悪く、二度目であることを強調するようなものになってしまう。
「あ、ああ、うん。欲しい。買い行こっか」
そんな俺の言い方は気にも留めず、行き先の変更を足に命じた先輩は、進行方向が少し変わる。その方向は、駅構内によくあるこじんまりとしたコンビニへと向いている。
「いや、自販機で良いでしょ」
「え、自動販売機、どこかにあった?」
俺の言葉に足を止めた先輩は、振り向いて問う。
「そこに」
「まあ、本当ね…」
俺が指を指した方向を見た先輩の声は棒読みだ。
かなり意識が上の空なのだろう。真横に聳え立つ五台ほどの自動販売機が全く目に入っていないというのだから。
そしてそんなぼおっとしている先輩は、当たり前のように人にぶつかられ、華麗にサングラスを床に落っことし、ぶつかった人間に踏みつぶされてしまう。そのサングラスを拾うために伸ばした手は、辛くも届かなかった。
「おー……」
流れ作業過ぎてつい見入ってしまった…
「だ、大丈夫ですか?」
俺は慌てて声をかける。とはいえ先輩に外傷は見当たらない。軽くぶつかられ、身長差でサングラスが引っかかっただけなのは見ていて解っていた。が、当の本人はサングラスに向かって土下座していた。そして、ぶつかってきた誰かは、泡を吹いて倒れていた。
「先輩?」
背中に手を置き尋ねると、首だけをふるふると横に振った。顔を隠すために使われている両手は、土下座に巻き込まれる形で内側に入っているが、肩は震えていた。何かにおびえるように。
「サングラス、換えはないんですか?」
コクリと首が縦に動く。
そういえば、今日はいつもとは違うリュックサックを背負っている。必要以上のものは持ってきていなかったのだろう。
「じゃあ買いに行きましょうか。まだ店閉まってないですし」
この場にうずくまっていると、現状ですでにかなり邪魔なのだ。だから早く、早く立ち上がって!!
「これ…結構気に入ってたの……」
「あ、それでショック受けてたんですか。てっきり顔を隠してるのかと思ってたのに」
「……それもあった」
なんでさらりと嘘つくんだ、この人。完全におかしい間があっただろ、しかもそれもって何だよそれもって。
「ていうか、今ここ道の真ん中なんで、マジ邪魔なんですぐどいてください、急いで、早く」
「うう…」
立ち上がった先輩は、顔を覆ったまま俺にもたれかかってきて、俺の胸に顔を埋めてくる。
「これでどう歩けと」
「仕方ないでしょ、顔出したままじゃテロみたいになっちゃうし」
「いやいや、マスクはしてるじゃないですか」
「マスクの効力の薄さを君は知らないんだ」
「そんなもんですかね~」
そんな台詞は取り合う気にもならない。
俺の胸から見上げるように俺の目を見る先輩は、俺がその顔を見ていることを忘れているのだろうか。
先輩に抱きつかれたまま、壁際まで移動すると拾って置いたサングラスを見る。
耳にかける部分が完璧にひしゃげている。レンズの方は大丈夫そうだが、やはり買った方が早そうだ。
「同じものを買う、んじゃ面白くないですよねえ」
「いや、別にサングラスに面白みは求めてないんだけど……」
「取りあえずいったんホームを出ましょう。この体勢じゃ電車には乗れませんし、ていうか階段を上れないし」
「そんなこと言ったって、こんなに完全防備なのにまさか顔だけさらすなんて出来ないし」
確かに、一番隠さなければいけないところが丸見えとは、故事にもなさそうな間抜けっぷりだ。
「あ、買い物が難しいなら、あれですよ」
「ん?」
「先輩のスマホで由利亜先輩を呼べば良いんですよ」
「ああ、なるほど~」
そういうことになった。
やっぱ頼りになるなあ。いやほんと頼りになるなあ。そう連呼するものの、この状態を許してもらえるほどの言い訳は、俺の頭では思いつかないのだった。結局タクシーで帰ることにもなったし、最初からそうしておけばよかったよお!!
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