第37話 スペックの差は埋まらない。
~前書き~
あのロクでなしな後輩のせいで、むしゃくしゃする心を抑えるほどに眠気が襲ってきている。
父と母の見舞いは、太一君が来るまで毎日いっていた。
最近、日常が楽しくて、ついそちらにウカれてしまうけれど、私の人生はそちらではないのだと、あそこにいくと思い出す。
やはり、太一君のお母さんは、異常だ…
そんな風に思いながら、眠りに落ちた。
~本文~
三好さんが、待ちに待った球技大会の日がやって来た。
昨日の夜に、由利亜先輩とのバスケの練習をして予定をすべて消化しきった俺は、この時点で大体のやる気をなくし、仕事を終えた脱力感に浸りながら、予定通り先輩と部室で二人、お茶を飲みつつ誰が持ってきたのかわからないが、置かれ始めたオセロをやっていた。
黒と白を交互に盤に置いて行き、最後に自分の色が多い方が勝ちという単純なゲームだ。
俺が黒、先輩が白を持ち、何事もなくゲームは進行されていく。
久しぶりの静かな空間。
心置きなく堪能しながら、俺は負けて先輩に花を持たせるべきか、勝って闘志を燃やさせようか迷っていた。
ボードゲームには基本的に、必ず勝つ側と、必ず勝つ方法が存在するようだ。
囲碁やなんかでは、それを神の一手と呼んだりもするようだが、しかしそれは数千億と呼ばれる手数の中で必勝の一手を見つけられる人間にしか不可能な芸当だ。
それこそ、機械でもなければどこかで絶対間違える。
もちろんそんなのは俺も兄も、先輩だって同じな訳で、そう考えれば俺が絶対に勝てるというのも傲慢なのだが。
「先輩は、オセロ初めてですか?」
「初めてじゃないけど、ルール知ってるくらいかな…ここだ!」
まあ、どんなに傲慢でも、経験者が素人に負けることはほとんどないだろう。
「じゃあこれでラストですね…」
自分の取った分をひっくり返して白くする。
盤面を見ただけではどちらが勝ったのかは判然としない。
ガチャリと扉が開かれ、一人の女性が入ってくる。
「山野くん、ハァ、あ、やっぱりここにいた、ダメじゃないちゃんと参加しなきゃ」
女性は、数学の教師だった。名前はよく覚えていないが、たしか兄に因縁のある先生だ。
この学校の可愛い勢力の二分化を加速させている美少女系数学教師。由利亜先輩の対敵者。
「俺の出場競技はまだ先のはずですけど?」
「クラスの応援もするのよ!」
冗談を言いつつ歩み寄ってきた女教師は、俺の腕を掴むと引っ張り上げる。
促されるまま立ち上がるが、別にクラスに思い入れもないし、出来ればここから出る気もない。何せ外は暑いのだ。
今日の天気は快晴だった。
誰の行いがこんなにも悪かったのだろう、まさか外に一日いる日が、カンカン照りの猛暑になるとは。
見れば女教師の額にはうっすら汗がにじんでいて、外の暑さを思わせる。
この部室のなかは、冷房が効いていて最高な環境なのだ。
「まあ、先生もここで休んでいけば良いじゃないですか、先輩の勉強の手伝いを頼んだのは確かですし、そのために来てくれたんでしょう?」
俺の腕から手を離し、「ふう…」と一息つくと、女教師は、
「今日は長谷川さんの勉強は見ている暇がなさそうなのよ…だから、せめて君だけでも連れてこうと思って」
「まあ、大体の状況は分かってますけどね、それでも俺は、それだからこそここから出たくないんですけど」
言い訳がましく、というか普通に言い訳の種に状況を使って言いくるめにかかる。
「ほら、行くよ!」
「わかりました。取り敢えず一杯飲んでください」
差し出したコップには、麦茶。
「あ、ありがとう……」
少し大きめのコップに、多目に注いだそれを一息に飲み干した女教師は、
「ごちそうさま!」
元気一杯そういって、扉を開けた。
「じゃあ俺、一旦いきますね」
「う、うん…。帰ってきたら、またやろうね」
「はい」
後ろ手に微笑み、戸を閉めた。
「…引き…分け……?」
黒と白は、同数を数えた。
何を思ってお天道様はこんな日に、こんなにも暑さをくれたのか分からないが、お陰で我が校の球技大会は荒れ狂っていた。
天気が良いからみんなが楽しくソフトボールやサッカーなどの外競技に打ち込めている。
とか、そんな平和な理由ではなく、何かというと、今の状況は専ら、
「熱中症、ですよね」
「そうみたい、暑いから水分とるように言ってはいたんだけど」
「まあ、この炎天下の中激しい運動なんてしたり、ひたすら応援なんかしてたら、倒れますよね」
総勢五十人。
その人数の生徒が熱中症で倒れたらしい。
俺は今その救護のために人員として駆り出されているのだった。
「ごめんね山野くん」
氷を格技場で寝ている生徒を冷やすために運ぶ道中、急ぎ足ながらも走らず移動する女教師は俺にそう言った。
「何がです?」
俺はその言葉の真意を問うため聞き返す。
「手伝わせていることに対してさ、やっぱり面倒でしょ? いくら人が足りないとはいえ、これってやっぱり委員とか生徒会とかがやる仕事だし」
確かに、俺はただの一般生徒だ、そもそもならこんな風に使われることもない。
「仕方ないじゃないですか、俺しか医療知識のある人間が今この場にいないんですから」
何故か、保健の教員も熱中症で倒れたのだった。
「でもまさか、山野くんがあんなに博学だったとは…」
ついさっき、俺が職員室でした熱中症への対処法の講義を思い出しているのだろう。
地味に恥ずかしいからやめてほしい。
「あんなの、兄の受け売りですよ」
「そっか、山野先生の弟さんだったもんね、さすがだなぁ…」
恍惚と俺を見る女教師は、
「先生が、弟の方が凄いって言ってたのは本当だったんだねぇ」
などとこぼす。
「あの天才が俺より下だなんて、思ってたら言いませんよそんな事」
着いたとき格技場は、蒸し風呂だった。
「扉を開けてください! 患者は横寝で、吐いても良いように袋か何かを近くに用意しておいてください! 氷を持ってきたので首や足の裏などにあてて体を冷やすようにしてください!」
その場にいた全員が、言われた通りに動き、言った俺だけが、競技を中断され、校舎に戻った生徒たちの方へと向かった。
重軽症併せて五十二人。
最終的に病院へと向かった患者の数はそう報告された。
結局俺は良いように使われたあげく、疲れはてた状態で四時半を迎えた。
部室へ戻ると、先輩が勉強していて、由利亜先輩はスマホをいじっていた。
「あっ! 今日のヒーロー太一くん!!」
「何いってんですか、俺はいつもヒーローですよ」
「君が一番何いってんだ」
いつもの席に座って、明るい由利亜先輩、ボケる俺、ツッコム先輩。うん。安定だ。
「お疲れ様」
と、思ったらもう一人いた。
「お疲れ、三好さん。あんなに練習したのに残念だったね」
先輩のとなりで縮こまり、ガックリと肩を落とした三好さんが、俺に向かって小さく微笑む。
「うん。ちょっと残念…」
「来年は最後までやれると良いね」
はっとした顔で、今度はニッコリと笑って、
「その時は、山野くんも一緒に、ね?」
ボスンッと痛くならないギリギリの調節で、音をたてながら由利亜先輩が俺の膝に頭をのせた。
「寝すぎですよ?」
「頑張ったご褒美は、すぐに上げる質なのです」
栗色のフワッと広がるボブを、手で撫で付けて俺は言う。
「じゃあ俺も、何かご褒美を貰わないと」
顔を上に向け、俺を見る由利亜先輩は、腕を組んで「ムムぅ」と唸る。
「ね? 先輩?」
「私からのご褒美は無いよ?」
「さようで…」
まさか冗談をきっぱり断られてしまった。
のだが、「はい」と差し出されたお茶が、いつもとは違う味で、
「茶葉を変えましたか?」
「今日だけの特別茶葉です」
「静岡産煎茶、五千円ですか?」
「宇治産抹茶入り煎茶、一万五千円です」
にーーっこりと笑う先輩は、これでもかと笑顔だった。マスクしてるけど。
にしても、お茶ってのはわかんないなあ、今度効き煎茶とかやってみようかな。
そんな事を思いながら、先輩の淹れてくれたお茶を飲んで、一日の疲れが飛んでいくのを感じた。
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