第36話 疲労、怒り、蕩ける。

『…お願い……助けて………』




≪お前に出来ることは、突き放すことだけだ≫




『絶対に助ける』




『ありが…とう……』




≪無駄な努力だ、自己満足の域をでない≫




『助ければ、結果が出れば、俺の勝ちだ』




≪優しいんだな、お前は≫










嫌な夢を見た。


心に残った負の断片。


何も出来ないのだと言うことを思い知らせてくれた、地獄の日々のか細い記憶。


自分があの頃何を思って何をしたのか、そんな事はもう、覚えていない。忘れたくて、忘れてしまいたくて、記憶の底、心の隅に押し込んだ。


出てこないように、しっかり蓋をしたつもりだったのに、何気ない時に思い出す。ふとしたときに夢に見る。


二度と、俺はあんなことはしないのだと、心に決めたはずだったのに。




「それで太一君は、いつまでその子のことを抱き締めているつもりかな?」


頭上から、声がかかる。


この声は、先輩の声だ。そう思って顔をあげると仁王立ちの先輩が、入り口でこちらを睨み付けている。


その目線には、変態か、ロリコンかと問い詰めるような意思も混じっているように感じ、身の危険を感じる。


「何、いってんですか…」


取り敢えず、体を起こそうと腕を動かすと、意に反して動こうとしない。おかしいと思い見ると、小さな女の子が腕のなかにすっぽり収まって固まったまま俺に抱かれていた。


状況の把握が追い付かないうち、しかし体は反射的に動き、その少女をホールドを解いて布団に寝転ばした。


ん? 布団か、布団…




!!




「謎は全て解けた!」


「じゃあ言い訳を聞こうか」


仁王立ちの先輩は、もはやただの鬼だった。




「つっ! 疲れてたんですよ! それでうとうとしちゃって、でまあ寝てる間にあんなことに…」


言い訳の弁は、尻すぼみになり最後の方を先輩が聞き取れたかは微妙だった。


どんな言い訳をしても、この人には届かないだろうと確信していたから。


ついにやらかしたなぁという気持ちと、柔らかかったなあという感想が心を支配して、言い訳をないがしろにしているのも原因だが。


「太一君」


「は、はい」


神妙に名前を呼ばれ、何事かと体が強ばる。


既に俺は正座の姿勢。先輩は変わらず仁王立ちだ。


「鷲崎さんはね、ファッションビッチなの。」


「…………………………………は?」


「鷲崎さんは見せかけのビッチなのよ。覚悟を決めて、狙った相手に対して、狙ったタイミングでしかそういう事が出来ないの。だからね、そんな風に不意に抱かれたりすると…」


するっと俺の横を通り、寝転んだ少女の傍らにしゃがみこんだ先輩は、


「こんな風になっちゃうの」


ツンツンとつついて示し、カチカチに固まったファッションビッチ、ロリ巨乳、その他アダ名の多い可愛い系先輩、由利亜先輩を罵るようにそう言った。


「多分誰かと一緒じゃないと寝れないってのは本当なんだろうけど、こんなに接近しなきゃいけない訳じゃないと思うわ」


「いや、え、それはいったい?」


突然の推測、俺も薄々思っていたことだが他人に言われると信憑性が増してくる。


「方便ってことでしょ、君と寝るための」


結論まで一緒となると、自惚れを理由にすることも出来ないのだった。


「でも、嘘だと証明もできないわけで」


「それもそうね、じゃあ本人に聞きましょ?」


「え? は?」


久々の登場で、メチャクチャ言うなあこの人。


そして、ツンツンつつくのをやめた途端、肩を持ってガックンガックン揺らし始めた。


「いやっ! ちょっと!?」


「気付けには丁度良いでしょ!」


メチャクチャすぎる!?


「あう…あう…あう…」


由利亜先輩は逆らわずに揺らされ続け、喉から漏れる変な声を躊躇わずに発している。


「うっ、あぁ……ぅぅ……」


由利亜先輩は、自分で決めた時間に起きる時の寝起きは恐ろしく良い。目を覚ましてから料理を作り終える動作になんの歪みも生じない程に。


しかし、不当な睡眠の阻害には恐ろしく寝起きが悪くなる。


まあ突然起こされれば誰でも不機嫌になるだろうが、それ以上なのだ。取り敢えず、起こそうとした人間へは攻撃をし、布団に潜り込んでから足で抵抗をする。しかもその間の記憶は本人にはないと言う。


ある種の酔拳だった。末恐ろしい。


だが、今回はその抵抗なく目を覚ましてくれた。こんな時もあるのだなとホッとしてから、


「由利亜先輩、おはようございます」


「んん…おはよう…太一くん………」


眠そうな由利亜先輩は、寝起き特有の赤ら顔で体を起こし目をクシクシこすっている。


「ワザとらしいんだよ…」


憎々しそうに発せられた先輩の声に、ピクリと動きを止めたようにも見えたが、何事もなかったように顔をあげた。


先輩の方には向かず、俺の方を見てくる由利亜先輩は、目に眠気をためたような赤みを帯びていて本当に申し訳ない限りだ。


「太一くん、何かあったの?」


くぁっと欠伸を混ぜながら、俺にそういう由利亜先輩は、仲の悪い先輩には頑なに視線を向けようとしない。


起こしたのは俺ではないのに……


「何って言うほどのことじゃないんですけど…ねえ、先輩?」


「あんたがファッションビッチだって事を確かめるために起こしたのよ」


「はあ?」


先輩の発言に、露骨に苛立ちを示す由利亜先輩はただの可愛い小動物系の女の子ではなく、後輩の前で威厳を保とうとする先輩の顔だった。


現在時刻は深夜二時五十分。


こうして、「明日も授業なんだけどなあ…」という俺の心境をよそに先輩二人の醜い争いが火蓋を切った。




喧嘩しないんじゃなかったのか………。






「あんただって○○○がピーしてドッカーンだったじゃない!!」


「今はそんなこと関係ないでしょ! このピー○○○!!!」


「はあ!? ふざけんなよ、このポンピーン!!」


「ふっ、そんなんだからあんたはいつまで経ってもドキューンなのよ」




以上、醜すぎるがゆえに、カットせざるを得なかった喧嘩描写をモザイクと共に一部お送りいたしました………。


淑女としてはあるまじき下ネタのオンパレード、もはやツッコミすら諦め、俺は布団へと潜る。


次の日、先輩二人は揃って、


「「ごめんね………」」


謝ってくれたので、当然に許し、全員で由利亜先輩の朝御飯を食べて登校した。


由利亜先輩は、珍しく授業中に居眠りをし、教師から初めて本気で心配されたという。






余談だが、先輩は部室の秘密基地で布団を敷いて爆睡したらしい。


秘密基地は、砂だらけなものから板張りのものへと代わり、耐震強度もかなり向上して地下の本営みたいになってしまった。


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