第16話 知りたくなかったわ。

 トントントントン…。


 頭の真上にある窓から、朝日が差し込み俺の覚醒を促している。


 何の音だろう。キッチンのほうから聞こえるこの音は。


 布団から起きだして、ダイニングへ出る。そこにいたのは私服姿にエプロンを付けた子供、じゃなくて鷲崎先輩だった。


「あ、起きちゃった、うるさかったかな、ごめんね?」


 寝ぼけた頭で言葉を受け止め、椅子に座る。


「いえいえ、カーテン締め忘れただけです。珍しい音が聞こえたんで気になっただけで」


 時計は六時少し過ぎを示している。早起きには丁度良い時間ではなかろうか。


「まだご飯たけてないんだ、もう少し待っててね」


「先輩、寝てないんですか?」


 ちょこまか動いていつものように料理をこなす鷲崎先輩の後姿は、少し疲れているように見える。


「わ、わかる?」


「なんとなくですけど」


 手を止め、振り向いた顔にはうっすらクマが出来ている。


 料理の手際はそんじょそこらの主婦よりもいいんじゃないかと思わせる人だが、見た目は子供だし、中身もまだまだ俺と同い年くらいの人だろう。


 ならばこそ、こんなついこの間知り合った男の家に泊まらなければならない理由が、あるはずなのだ。理由が、にもかかわらず学校では明るく、この家でも明るくふるまっている。この人の心休まるところはどこなのだろう。


「一人で寝るの…寂しいの…、だから一昨日までは太一くんと寝てたのに、あいつが来たから…」


「先輩と、一緒に寝れば、って、駄目か…」


 申し訳なさそうな顔をして、弱弱しく首を縦に振る。


「安心できる人がね、いいの」


「俺は安心できるんですか? 知り合ったのもついこの間ですよ?」


「そんな私を真剣に受け入れてくれたのは、君だよ…」


 手には何も持たず、疲れた顔でふっと笑顔を見せた。


 その笑顔が、愛らしくて、でもどこか影があって、きっと俺の知らない苦労が、この人にはあるのだろうと確信させた。


「俺にできるのは、ここに泊めてあげるくらいのことです。そんなことは誰にでもできますよ」


「誰にでもできることを、自分からする人はあんまりいないんだよ?」


 クスッと笑う。鷲崎先輩の表情が、少しわかるようになってきたのかもしれない。


「少し、寝ますか」


「え?」


「裸で抱き合って寝るのは、俺が警察に引き渡されるんで、膝枕程度なら」


「ふふっ、男の子の膝枕なんて初めて聞いた」 


「いいじゃないですか、鷲崎先輩の休憩所になりますよ、俺」


「そんなこと言ったら、私、寄りかかるよ?」


「まあ、俺も寄りかかり気味なので、それで丁度いいのかも」


「ふふふ」


「あはは」


 少し笑いあってさっきまで俺の寝ていた布団に鷲崎先輩が寝転がる。


「では、どうぞ」


「うん、ありがと」


「どう、ですか?」


 正座した態勢の俺の太ももに頭を乗せた鷲崎先輩は、


「ちょっと、高いかな…」


 足を延ばして再チャレンジ。


「うん…いい感じ… ありがと」


 眠りに落ちていく鷲崎先輩のふわふわの髪を撫で、頬が緩む。


「太一くん…だい…好き…」


「はいはい、俺も好きですよ、由利亜先輩」








 八時ごろ、先輩が起きてきた。


「ドユコト?」


 かくかくしかじかまるかいてちょんと、説明すると、


「そっか、じゃあ寝かしとかなきゃね」


 と、まさかの発言で少し驚いた。


「これ、朝食?」


「多分、作り途中で寝かしちゃったんで中途半端になっちゃってると思うんですけど」


 一瞥することもなく膝枕してしまったので、どういう状況なのかはわからないが、多分飯と言えるものは出来ていない、はず。


「朝食にローストビーフとかシチューのパイ包みとか、これ、クリスマスメニューじゃない?」


「寝れなくて暴走した結果が豪華な料理って……」


 膝の上でスウスウと寝息をたてる小動物の毛を撫で付け、呆れ交じりに苦笑する。


「食べていいよね?」


「食べれるんですか?」


「もう後は取り分ける作業だけだよ」


「じゃあ、いいんじゃないですかね。俺も少し食べたいです」


 朝早くに起きたこともあり、小腹以上にお腹が減っていた。しかも膝枕を始めて結構な時間が経過していた。その間は文庫本を読んで過ごしていたが、正直足も痺れてきている。


 まだ二時間程度しか寝せられていないが、このまま布団に寝かすのもありかな。


 頭を優しく持ち上げ、枕に載せる。布団をかけようと体を浮かすとぐっと引っ張られる。


 見ると、服の端が由利亜先輩の手に握りこまれている。


「我がまま…」


 先輩は一言そう言って戸を閉めた。


「俺が握らせたわけじゃないですからね」


「当たり前じゃん。ザッキーは可愛いくて献身的なふりをしながら、少しのすきを見せることで取り入ろうとしてるんだよ」


「まあ、賢い人ではありますよね」


「そういうのはずる賢いとか小賢しいとか言うんだよ」


「ご機嫌斜めですね。朝は苦手ですか?」


「私が苦手なのは、君とザッキーの二人だけだよ」


「なんだそりゃ…」


 戸越しの会話は少し声が大きかったか。反省しつつ見ると、由利亜先輩は身じろぎ目を開けた。


「ん…いま、何時…?」


「まだ八時過ぎですよ、もう少し寝ますか?」


「んん、朝ご飯、まだ準備終わってない、から…」


 体を起こし、笑顔で言う。「んー…」と伸びをしたかと思うと、勢いよく、


「ありがとう、元気でた!」


「いえいえ。お安い御用ですよ」


「これからは毎日太一くんの膝枕、いや、一緒に寝るなら腕枕か…」


「え、あ…いや…」


 この人は本当に、いつまでここに住んでいるつもりなのだろうか。


「とは言え、今日は家に帰るわけだし、正式にお泊まり道具もってくるね?」


 冗談めかしているが、多分冗談じゃないほどの量が運び込まれるのだろう。昨日の買い物で俺は学習したのだ。


「これ以上の荷物があるんですか…」


「女の子にはいろいろあるの~」


 わははと笑ってダイニングの戸を開ける。


「あ、もう食べてるの?」


「うん美味しい。ご馳走様」


「いや、うん、それは良いんだけどね、もう少し、きれいに食べてくれると楽なんだけどね…」


 痺れた足を引きずって、ダイニングテーブルを見ると、昨日同様酷い有り様だった。


 学校ではそんなこともなかったような気がするんだけどなあ…。











「ところで、今日由利亜先輩の家に行くのはいいとして、先輩の話からすると、正直お母さんのほうもどうにかしてあげたい気にもなっちゃうんですよね」


「そういえば…そうだね、今も働いてるってことでしょ?」


「あ、いや、母親はとっくに蒸発したよ、優しい人を見つけたの~って言ってた」


「…なんか、ごめん…」


 何も言えない俺に代わり、先輩が謝るが、由利亜先輩はそれあっけらかんとをとりなす。


「いいのいいの。もうかなり前のことだし、私も実はお祖母ちゃんのところにずっと暮らしてたしね」


「そ、そうだったんですか。ちなみにどっちの?」


「お母さんのほう。お父さんのほうの祖父母は世界中を旅してまわってるの」


「なんて破天荒な…」


 ダイニングテーブルに、三人分のお茶と少しのお茶菓子を用意し、三人で勉強しながら喋っている。


朝ごはんの後片づけを引き受けてくれた先輩を置いて、コンビニに行き今机の上に並んでいるお菓子を買って帰ってくると、勉強している人がいたので便乗した。この人目を離すといつも勉強している気がする。


 何分昨日中間試験の話が持ち上がったこともあり、俺も由利亜先輩も教科書をめくる程度には勉強を開始した。そして繰り広げられているのが、今日行こうとしている由利亜先輩の家の話だ。


 どうも時系列がおかしいと思っていたのだが、実はお婆さんの家に住んでいたとは驚きだった。だったら俺に言っていた言い訳は嘘ということになる。もう何を信じればいいのやら、わからなくなってきた。


「別にずっとお祖母ちゃんの家にいたわけじゃなくてね、たまに家に帰るんだよ、二週間のうち一週間は家にいるの。お祖母ちゃんがそうしろっていうから」


「あ、じゃあそのうちの家にいる一週間が、今ってことですか?」


「その通りです…」


 沈み込むようなその声が、家に帰るのが本当に嫌なのだと語っているように感じられる。


 俺自身、正直そんなに嫌われている人に会いたいとは思えないのだが、道理は通すべきなのだ、しからばお婆さんにも事情は話しておいてもらわねば。まあお婆さんにいうのはそう難しくはないだろう。今までかくまう形で引き受けてくれていたのだ、会うことに抵抗はないはずだ、しかし、今度の父親というのは嫌悪の対象の張本人だ、だから俺と先輩がついていくのはやぶさかではない。


「よし! 切りのいいとこまで行った~」


「お疲れ様です」


「ありがと~ それにしても単元とばすなら言っといて貰いたいよね~、今回はたまたまザッキーのファインプレーだったけど、こんなことが毎回じゃ、私も困るっていうかさー」


 一息つくためお茶に口をつけると、愚痴がこぼれた。


 まあこれは俺も思っていたことなので反論はない。が、


「先輩も授業受ければいいじゃないですか」


 これだけは言っておきたいところだった。


「それができないから困ってるんじゃん?」


「昨日みたいにマスクとかすればいいんじゃないんですか?」


「……」


「え…?」


 目線を斜め下に落とし、俺のことを見ようとしない先輩。


「俺、何か間違ってますか?」


「ううん、間違ってないよ、私も前それを一回試したんだけどね…」


 教室にマスク姿の先輩が現れると、教室内の男子はそちらを横目でちらちら見るのだという。


 そしてまったく授業に集中しないのだ。


 こうしてマスク案は教師側によって棄却された。


「大変、なのね…」


「美人過ぎると大変なんて、知りたくなかったわあ…」


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