第17話 金曜日

「ねぇ、エレクトラ嬢。

今日はビスケットを焼こうと思うのだけれど、手伝って下さるかしら?」


エレクトラの部屋にやってきたメアリーが明るく提案したが、エレクトラは首を横に振った。


「ごめんなさい。まだ体調が優れないの。

今日は遠慮しておくわ」


それを聞いてメアリーは不安げな様子でそばに寄り添った。


「それは大変だわ。

私もディギンズ氏には回復のおまじないを教わったのよ。

必要なら言ってちょうだいね。特に今日はドリーが不在なんですもの。私を頼って下さいな。」


エレクトラは素直に頷いた。

カーライルが出発してから2日が経っていた。カーライルは予定通り水曜日の朝にこの屋敷を出発したが、エレクトラはカーライルの見送りに顔を出さなかった。というよりも出せなかったのだ。

あの夜からエレクトラの体調はとても悪かった。あの夜の後のことは正直あまり覚えていない。だが朝起きればベッドの中にいて、傍にはなんとカーライルがついていた。

まさか玄関ホールで自分は倒れてしまったのではと思ったが、そんなことはなく、自分でちゃんと部屋に戻っていたらしい。

彼がここにいるのは、部屋から出てこない彼女を心配してのようだった。

カーライルの顔を見ると、昨日の夜の出来事もありありと思い出され、気分が悪くなった。

それにハイディーのことも心配になった。部屋に入って来た時にばれやしなかっただろうかと不安になる。秘密で傍に置いているのが猫嫌いのカーライルに見つかっては大目玉だ。だがここで別の考えも浮かんだ。むしろここでハイディーが出てきてくれれば彼を追い出してくれのではないかと思ったのだ。

今はカーライルと話したくなかった。

そんなことを考えて黙っていると、寝起きで意識がはっきりしていないのだろうと思ったのか、カーライルがそっと彼女の頭を撫でて体の調子を尋ねてくれた。

彼の男らしい手が額に触れると、舞い上がってしまう自分が嫌だった。これは兄から妹への気遣いみたいなものだと思うと、気分が舞い上がった分、急降下するように深く沈むのだった。


「最悪よ。」


元気だとは言いたくなくてそう告げると、本当に頭が痛くなってきた。

カーライルは彼女の不調を察して優しく頭を撫でてくれる。


「それは心配だな。

今日の出発をやめておこう。」


その言葉にエレクトラは目を丸くした。

そうだ、今日は彼がここを発つ日だった。

それで彼は外行の恰好をしているのだ。

つまり彼は見送りに来ないエレクトラを心配してここに来たということだ。

そう思うと、見送りに寝坊した人間みたいで急に恥ずかしくなった。

正にその通りなのだが、カーライルはエレクトラの体調が悪いのだから仕方がないと思ってくれたようだ。それも本当のことだった。


「いいえ、大丈夫よ。

いつものことだもの。

家の大事な仕事があるのでしょう。」

「あなたのことも大事なんだよ。」


彼の言葉にエレクトラの胸がぎゅっと締め付けられる。

だがすぐに思い直した。

違う。私は彼にとって大事なというだけだ。父に雇われているのだから、優しくして当然なのだ。

彼の言葉に騙されてはいけない。


「本当に大丈夫よ。

何かあればドリーたちを頼るわ。

あなたがいるとのびのびできないじゃないの。」


エレクトラの発言にカーライルは苦笑を漏らす。


「そうですね…。ドリーがいれば安心だ。

自由を謳歌するのはよいですが、あまり羽目を外しすぎないように気を付けて下さいね。仕事が終わればすぐに戻ってきます。」


ドリーの名を口にした時の彼の甘やかな顔が、エレクトラの胸に針を刺す。

そういえば昨日はあの後どうなったのだろう。ドリーは何て返事をしたのだろうか。

気になるが、尋ねられるはずもなかった。


「気をつけてね。」

「ありがとうございます。

無理をしてはダメですよ。」


そう言って微笑みを返すとカーライルは本当に行ってしまった。




それが水曜日のカーライルとの別れだった。

あの後、ドリーの様子を見ていたが、特段いつもの違った様子はなかった。

浮かれた感じや笑顔が増えたということもなく、いつもの落ち着き払った様子にエレクトラの見たものは幻ではないのかと思う程だった。

だがハイディーを抱きしめるとその時の記憶が蘇り、またあの神経を圧迫するような頭痛と吐き気が押し寄せるのだ。

そのたびにドルイドが魔法で癒してくれるのだから皮肉な話である。

だが今日は金曜日で彼女はいない。エレクトラはメアリーの誘いも断り、できるだけ安静にしてようと再び眠りについたのだった。

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