第14話 金曜日のエレクトラ
ピクニックの次の日、エレクトラの希望で女性たちで集まってハンカチを作ることになった。集まると言ってもメンバーはエレクトラとメアリー、エイミとフィリック夫人の4人だけだが。
ことの発端はエレクトラがエイミとフィリック夫人の会話を盗み聞きしてしまったことだった。
2人は部屋の掃除をしながら世間話をしていたのだが、村のチャリティイベントに納めるものは何がよいかという話題になった時にエレクトラが会話に割り込んだのだ。
突然、令嬢が部屋に飛び込んできたものだからフィリック夫人は持っていた花瓶を取り落としそうになり、その場は一瞬パニックに陥った。
だがエレクトラは自分が
まさか伯爵令嬢といっしょにお針子に勤しむことになるとは思いもよらず、エイミやフィリック夫人はこわごわとその場に座したが、彼女が明るく気さくで、普通よりちょっぴり好奇心が強いだけなのだと理解したところで、2人もやっと目の前のハンカチに集中することができたのだった。
そして驚いたことにエレクトラは裁縫が上手であることが判明した。話によると趣味でいろいろなものを作っているらしい。メアリが屋敷に来た頃と比べると雲泥の差であったが、懸命にもフィリック夫人はそのことについては触れなかった。
しばらくは黙々と作業に集中していたが、手慣れて来るとぽつぽつと会話がはじまった。最初はメアリとエレクトラでたわいのないことを話し、エイミやフィリック夫人は相槌を打つ程度だったが、メアリが話題をふってくいくので4人はいつのまにか打ち解けていた。ここでエレクトラがずっと気になっていたことを尋ねた。
「ねぇドリーはどこにいったの?
どこかに出かけているの?」
「ドリーはいつも金曜日は屋敷をあけておりますの。どこに出かけているのかは私も知らされていないんですよ。」
メアリーは難しい顔で花びら1枚目と格闘しながら答えた。それを聞いてエレクトラは手元のハンカチを膝におくと、どこか遠くを見つめながら呟いた。
「ドリーって本当に謎に包まれているのね。
あまり感情を表に出さないし。
昔はお転婆だったのでしょう?
どうして今はあんな風なのかしら?」
「まぁドルイド様にそんな子ども時代が!」
フィリック夫人が驚きで顔をあげた。
「あの方はこの村にやってきた時からずっと落ち着いていらっしゃいましたわ。」
「彼女は今いくつなの?」
エレクトラが興味津々でフィリック夫人に尋ねると、夫人はさっと色を無くした。
「存じ上げません。」
「エレクトラ嬢…。」
メアリーはエレクトラ嬢を窘めた。
上流階級は年齢を尋ねるべきでないし、メイドを追い詰めてはいけない。
だが伯爵令嬢にそんな注意ができるのも2人がこの数日の間に信頼関係を築いてきたからだろう。エレクトラは眉根をあげたが、メアリに尋ねることもあきらめ再びフィリック夫人に向き直った。
「では質問を変えましょう。何年前に彼女はこの村にやってきたのかしら?」
「たしか10年程前です。
この屋敷は持ち主はいるとは聞いておりましたが、誰かが住んでいるところを見たことがありませんでした。
ですからドルイド様がいらっしゃった時は、村は大騒ぎでしたわ。」
フィリック夫人は優しい眼差しで昔の記憶を手繰り寄せ、まるで誰にも見えない日記をめくっているように楽し気だった。
「ドリーはどんな印象だったの?」
エレクトラも瞳を輝かせて尋ねた。だがこの質問にフィリック夫人は難しい顔をする。
それは難題だといわんばかりに眉間に皺を寄せて考え始めた。
「そうですね…。
なんだか不思議な感じがしましたわ。
まだ少女の顔をしているのに、私の知るどんな女の子とも違っていましたわ。
なんだか怖いくらいに落ち着いていて…。」
ここではっとしてフィリック夫人は口を閉じた。
「大丈夫よ、ドリーには言わないわ。」
メアリが安心させるように言葉を添える。
「ドリーは10年前からあんな感じだったのね…。」
フィリック夫人の失言など意に介さず、エレクトラは思案げに呟いた。しばらくして次の質問に移る。
「ハットフォード氏はいつ村にやってきたの?」
「それは私も興味があるわ。」
メアリもすかさず賛同する。それはメアリもずっと知りたかったことだが、レイモンドのことになると、この屋敷内はなぜか聞いてはいけないような雰囲気が漂う。だからこそ、このチャンスを逃すつもりは無かった。
2人の女性が乗り出して尋ねてくるのでフィリック夫人は思わずのけぞって、こわごわと答えた。
「…ハットフォード氏がこの村に来られたのは、ほんの1年前ですよ。」
「1年前!」
「それは本当のことなの?」
メアリにすごまれてフィリック夫人ももう1度、指で月日を数えだす。
「…間違いございません。
こんな小さな村にお医者様が来て下さると聞いてどれほど嬉しかったか。
ドルイド様が来られた時と同様、とても印象に残っていますもの。」
メアリは心の中で、フィリック夫人の言葉を否定する。そんなはずはない。
メアリがこの屋敷に来た時に、ドルイドは言っていた。
レイモンドがここに来た時は子供だったと。
しかも死にかけていたとも言っていた。
そしてしばらく屋敷に住まわせていたのだと。
フィリック夫人とドルイドの言葉があまりにもかけ離れていてメアリの頭の中に疑問符が飛びかう。しかし、もしこれがドルイドが隠したい事実ならば、あえてフィリック夫人に尋ねるべきではないだろう。
メアリは、そうなのね、と呟くにとどめた。
「でも1年にしては、お互いのことをよく知っているように見えたわ。」
「そうなのかもしれません。
昔からの知り合いなのかもしれません。」
まだこの話題は続くのかとフィリック夫人がそわそわし始めたところで、エレクトラはメアリの方を振り向き、彼女を解放した。
フィリック夫人がほっと肩を撫で下ろしところをメアリは見逃さなかったが、今度は自分の番なのだから、うかうかしてはいられない。
「ねぇメアリー?
ハットフォード氏は次はいつここに来て下さるの?」
「ええ…と確か仕事が忙しいみたいなんですの。しばらくいらっしゃらないんじゃないかしら。」
「まぁそうなの…。」
エレクトラが目に見えて落ち込むのでメアリも悲しい気持ちになる。だがドルイドの指示なのだから、覆すわけにはいかない。それでも何か慰めの言葉はないかと思案していると、突然何かが足をかすめてメアリは思わず叫んでしまった。
エレクトラたちもびくりと肩をこわばらせる。
「メアリー!どうしたの?
…あらまぁ可愛らしい猫ちゃんだこと!」
なんとどこから入ってきたのか黒猫がカウチの下から現れたのだ。
エレクトラは作りかけのハンカチを脇に置いて、臆することなくその猫を拾い上げた。すると黒猫はエレクトラの腕の中に慣れた様子でおさまった。
「なんて可愛らしいのかしら!人間なれしているわね。
どこからやってきたの?」
エレクトラはあっという間に突然の訪問者に魅了され、話題はそっちのけになった。
メアリはほっと胸を撫で下ろし、レイモンドに関する追求を逃れたことに安堵した。
「本当にどこから来たのでしょう。
この村で猫を飼ってるのはソーン夫人のお家だったはずですが、あそこの猫は灰色でしたわ。」
エイミも思わず笑みを作って黒猫を見つめる。
「では野生の猫ちゃんかもしれないわね。」
エレクトラは優しく黒猫を撫でながら、慈愛のこもった目で見つめて、メアリを振り向いた。
「ねぇメアリー?私がいる間はいっしょにいてはだめかしら?
そうすればきっとこの生活はもっと楽しくなるわ…。
ああ…ダメだわ。カーライルが猫が嫌いなの。」
エレクトラは天井にちらりと視線を向けて、落胆した。カーライルは今、二階の客間で自分の仕事を片付けているところだった。
「仕方ないわね。外に出してくるわ。」
エレクトラは猫を抱いて立ち上がる。
メアリも着いて行こうとハンカチをそばに置いたが、エレクトラは首を横に振った。
「すぐに置いてくるわ。大丈夫よ。」
そう言ってエレクトラは居間を出て、玄関ホールに向かった。だが扉に手をかけたところで一瞬立ち止まり、そっと当たりを見回してから腕の中の大きな目を覗き込んだ。
「お前はいい子にしていられて?」
そう尋ねると猫はじっとエレクトラの目を見つめてくる。
「そうよ。
その調子。そうやって静かにしていれば、ここに置いておいてあげるわ。」
エレクトラはにっこり笑って、靴を脱ぐとそっと階段を駆け上がり、カーライルに見つからないように自室に飛び込んだ。部屋に入って後ろ手に扉を閉めたところでエレクトラは喜びを隠しきれず、猫を持ち上げてくるりとまわる。
「大成功ね!
いい?これからはしっかり隠れているのよ?
そうだわ、お前の名前はハイディにしましょう。」
そう言って猫を床に下ろすと、そばにあったバスケットをひっくり返し、中にあった小物をぶちまけると、衣装箱からシューミーズドレスをとり出してバスケットの底にしく。これで簡易ベッドのできあがりだ。
部屋を歩き回っていたハイディを抱き上げ、バスケットの中に入れてやった。
「これがお前の寝床よ。
いい?これはゲームなの。
見つかったら、もうお前はおまんまの食い上げよ。外で生きなければならないの。
できるだけ見つからないように頑張るのよ。」
エレクトラが幼い子供に話しかけるように説明してやる。
気持ちが通じたのかハイディーが、にゃあと返事をしたのでよしよしと頭を撫でてやった。エレクトラは立ち上がって、ミルクを持ってきてあげましょうね、と言い置くと部屋を出てところで、なんとカーライルに出くわした。
エレクトラは突然のことにどぎまぎしたが、何も見られていないのだから大丈夫だと自分に言い聞かせた。
だが明らかに落ち着かなげなエレクトラを見て、カーライルは訝しんだ。
「どうしたんだい、エレクトラ。」
「いいえ!いいえ…何もないわ!
そろそろお茶にしようと思っていたの!
あなたもいかが?お疲れでしょう?」
この言葉にカーライルはため息をついた。
「ああ、そうするとしよう。
一気に手紙を10通ほど書いたものだからひどく疲れた。
女性はあんなものを、さらさらとよく書けるものだ。」
うんざりした様子で階段を降りて行ったカーライルの後ろ姿を見ながら、ハイディーのことがばれなくてよかったと内心安堵した。魔法使いも案外万能ではないのだと心の中で笑みをつくった。
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