第15話 血の刺青 ※残酷描写


「怖いだろうから目を閉じておくんだ。」


夜の帳が下りてから結構な時間が経っていた。

屋敷のほとんどの人間が寝静まった頃、2人は密やかな時間を共有していた。

カーライルの言葉にドルイドがまぶたを下ろすと、彼は無防備な彼女に近づいてあごをとり、ゆっくりと上向かせる。

2人は暖炉の前にしていたのだった。

暖炉の火が彼女の滑らかな肌を官能的に照らし、罪深い唇が暴かれるのを待っているかのように美しい弧を描いて閉ざされている。

この奥を知りたいと思えば、大きな代償を払うことになるだろう。

そんなことを考えていると、心を読まれてしまったのか彼女の眉間に皺が寄る。


「早くして、カーライル。」


心を読まれたわけではないようだ。

内心ほっと溜息をついてから、自分が今からしようとしている行為に意識を集中させた。右手に握った針を握り直し、彼女の瞼に近づけていく。


「いくぞ。」


その言葉に彼女の瞼は痙攣するように震えた。まずは目尻に針を刺すために左手を添える。先程は耳に4か所針を刺したので、どれくらい深くに刺さなければならないか、感覚ではわかっていた。

できるだけ痛みを伴わないことを願いながら、目尻に短く、しかし確実に針を刺した。仕上がりを確認してから添える手を目頭に移動させると、ドルイドも次の心の準備に移っているようだった。

その要領で、目頭、上瞼、下瞼と慣れたように墨を刺すと、施術はなんとか終了した。

カーライルは腕を下ろして、そっと息を吐いた。


「大丈夫か?」


ドルイドはパッと目を開いた。


「ええ、大丈夫よ。」


日常の会話のように告げる彼女にカーライルは苦笑をもらした。


どうしてこのようなことになったのかと言えば、全てはドルイドの提案だった。

明日にはカーライルは、ここを発つことになっている。

きたる晩餐会の準備を進めるために一足先にロンドンのタウンハウスに戻るためだ。

ドルイドはここを出発する前にカーライルにあるまじないをほどこしたいと告げた。その呪いとは、ドルイドとカーライルの目と耳にきずなをつくるというものだった。ランカシャーは遠く、何かあっても駆けつけるどころか、手紙のやりとりすら間に合わない。だからこそドルイドは早くて確実な連絡手段を提案したのだ。

もちろんその案自体にはカーライルも賛成だったが、しかしその方法は受け入れ難いものだった。

最初に説明を受けた時は耳を疑った。


「血の刺青いれずみ?」

「ええ。」


ドルイドは何でもないことのように頷く。


「相手と共有したい個所に相手の血を混ぜた刺青いれずみを打つのよ。

今回は耳と目だから、あなたの血を混ぜた墨を私の耳と目に打つわ。

そうすればあなたが見たもの聞いたものが私に伝わるわ。それぞれ片方だけでいいから左目と左耳にしておきましょう。」

「そんな…。ご婦人の肌を傷つけるようなことは…。」

「それぞれ4か所に刺すだけだから、目立たないわ。」

「だが…。」

「これ以上に即効性のある方法はないの。

私たち若い魔女と魔法使いが、あの場所でできることは限られているわ。

何のコネクションも、重ねられた経験や知恵もないのだから。

犯人を見つけたいのでしょう。

そのためにはあなたは向こうであなどられてはいけないのよ。」


言い募るドルイドにカーライルは首を縦に振るしかなかった。カーライル1人ではあの場所で戦えそうにないのだから。

この話をするためにドルイドは皆が寝静まった頃に彼を居間に呼び出したのだった。カーライルの承諾を得た後のドルイドの動きは早かった。彼女はカーライルから血をもらうと、すぐに術の準備を整えてしまった。

ここまではよかったのだが、カーライルが針を持って彼女に向き合った時、この術がもたらす危険な感覚に後悔することになった。

ご婦人の肌を傷つけることもそうだが、それ以外にもこの術が与える倒錯的な感覚が、彼の理性に揺さぶりをかけてきたのだ。

確かに施術を終えた両手には親密な感覚が残っている。そして目の前の女性の肌には、間違いなく己の血が埋め込まれているのだ。

彼女は道具をしまおうと立ち上がる。

だがカーライルは手首を掴んで、それを制止した。

自分が何をしているのかわからなかった。

だが次の瞬間には、本能が導き出す鋭い疑問が口ののぼっいた。


「私が君の意見を聞きたいときには、どうすればいい?」


ドルイドはここで小さく息を呑んだのを見逃さなかった。心の奥に潜んだ暗い欲望がしたり顔で笑んだ。ドルイドはこの質問が来ることを避けたかったようだ。

だがカーライルは、ドルイドがそうしたように畳みかけるつもりだった。


「私はあなたに血を与えた。ということは私が目で見て耳で聞くものはそちらに筒抜けだということだ。だがそれでは、その情報からあなたが考えたことがこちらに伝わらない。私たちの絆は一方通行だ。」

「この絆は鍵付きの扉みたいなものなの。

あなたが鍵を解いて開けてくれなければ、私は覗くことはできないわ。」


話題をすり替えようとするドルイドをカーライルは逃さなかった。


「ではもうひとつ、扉をつくらねば。」


カーライルは優雅に微笑む。

彼が言わんとしていることを察して、ドルイドは観念した。


「いいわ。だけど耳だけよ。それで私の考えはあなたに伝えられる。」

「もちろん、それで十分だ。」


しかし実際、どうやって彼女はカーライルに自分の意思を伝えるつもりだったのか疑問だったが、それには触れないことにした。

今は自分の希望が叶ったのだから、それで良いじゃないか。


「なんだか楽しそうね。」

「そんなことはない。いたって真面目だ。」


ドルイドは納得がいかないように片眉を上げたが、何も言わなかった。


「では準備をするわ。」


そうしてドルイドは別の針を用意し始めたが、その作業を見つめながらカーライルはふと心に浮かんだ思いを吐露した。


「エレクトラは大丈夫だろうか…。」


ドルイドは作業の手を止めて、こちらを振り向く。カーライルはエレクトラの様子が心配だった。明日には彼がいなくなるというのに、その反応は淡白でむしろお目付け役が減ることを心なしか楽しみにしているように見える。その様子がカーライルを不安にさせたのだ。


「これから彼女が回復したとして…もとのあの窮屈な生活に戻れるだろうか。この屋敷でのような生活は、外の世界では通じないことをあの子はわかっているのだろうか。」


カーライルの言わんとしていることを理解すると、ドルイドは作業の手を再開させた。暖炉からポットを取り出し、熱湯をボウルに注ぐ。その中に針を沈めたところで

彼女は口を開いた。


「あの子はずっと心も体も自由のない生活を送ってきたのだもの。ここでの生活は新鮮に感じて当然だわ。だけど自由に動けるようになれば、できることも増えてもっと都会的な別の楽しみを知ることになるでしょう。

田舎の平凡で変化のない暮らしは、健康な年若い娘には1週間もすれば飽きてしまうわ。だからあなたが心配するようなことにはならないわ。」


カーライルはドルイドの言葉についてじっくりと考え、本当にそうだろうか、と心の中で問い返した。先日の日曜礼拝も彼女は本当に楽しそうだった。メアリーの仲介を得て、村人たちとも交流を見せる彼女は生き生きとしていた。子どもたちの質問に熱心に答えたり、母親たちに小さな子どもを抱かせてもらって微笑む姿は一時の楽しみで済むのだろうか。

これから貴族の、窮屈で不健全で享楽的な社交界を乗り越えていけるのだろうか。

そこまで考えたところでカーライルは苦笑を浮かべた。


「そうだといいのだが…。」

「親の心、子知らずね。」


ドルイドの言葉にカーライルが明らかに嫌な顔をする。


「私はそんな歳ではないぞ。」

「あなたの言動は、娘を心配する父親のようよ。」


カーライルはそくざに反論した。


「せめて兄と言って欲しい。

彼女にはそういう気持ちで接している。」


ドルイドは何も答えずに、カーライルの顎を掴んであちらを向かせた。


「さぁもうお話はおしまい。」

「痛いのかい?」


カーライルが急に子どものように不安気な表情を浮かべた。彼は父になったり、兄になったり、子どもになったりと忙しい男のようだ。


「まぁ怖いの?自分で言い出したのよ。」

「いいや、覚悟をしておきたいだけだ。」

「カーライル、大丈夫。一瞬のことよ。」


そう言ってドルイドは微笑むと、彼の耳にそっと手をかけた。

カーライルは何かに耐えるように目を静かに閉じた。

施術は確かに一瞬のことで、恐怖するほどの痛みではなかった。

だがドルイドはこれを目にも施したのだと思うと、そしてそれが自分のためだったのだと思うと、胸に何か熱いものが込み上げてくる。


明日ここを発てば、こんな風に彼女と親密な時間を過ごすことはもう二度とないのではないかと思えた。

そう考えると、カーライルは目の前にあるたおやかな細腰に手を伸ばし、思わず引き寄せていた。


「カーライル…!」


ドルイドは驚いて、思わず腰を引こうとしたが男の腕がそれを許さなかった。


「ドリー、あなたは言ったね。

平凡で変化の無い田舎暮らしはすぐに飽きるだろう、と。

だがそうはならないことがあるんだよ。

その生活が捨てがたいものになることがあるんだ。それが何かわかるかい?」


カーライルはドルイドを見上げて、囁くように尋ねた。


「…わからないわ。」


ドルイドの声はかすれていた。その燃えるような瞳が彼女の喉を焼いてしまったようだ。自分の行動が彼女に影響をあたえていると思うと嬉しい。カーライルはドルイドの目を捉えて答えた。


「愛しい人がそばにいることだ。」

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