第5話 マイラ・モーリス

 ロンドンのモーリス宅はミディアムのテラスハウスだが、流行の赤と白のレンガを組み合わせた建物は目にも楽しいし、内装も華やかで植物のレタリングモチーフの壁紙は実に美しい。

また調度品を見ても彼らの暮らしのレベルが伺える。

だがドルイドはフロアタイルの幾何学模様きかがくもようの見事さを褒めに来たわけでもなく

壁にかけてあるタペストリーがいつの時代のものかを尋ねながらお茶を飲みにきたわけでもない。

目的を果たすため、ドルイドは案内されるまでもなく階段を突き進んだ。

無礼だが時間が無いのだ。

寝室はどこにあるかなど大抵決まっているし、またドルイドは彼女がどこにいるかを知っていた。

目的の部屋に来るとちょうどメイドが出てきたところで、知らない女性があらわれてびっくりしている。


「あの…」


メイドが戸惑っていると、下から夫人が声をかけた。


「アリス、彼女は娘を見舞いに来て下さったの。お通しして。」

「はい、奥様。」


アリスと呼ばれたメイドは慌てて答えると、部屋を開けた。

ドルイドは足早にベッドの傍に寄った。

後から夫妻とメアリが部屋に入ってくる。

夫人はアリスに外に出ているように指示した。

マイラは安らかに眠っているように見える。

夫人の指示でメイドがよく面倒を見ているのだろう。

肌や唇は乾燥や荒れもない。

うら若き乙女は先ほど眠りについたようにも見える。

ドルイドは自分の仕事に集中した。

まず右手を胸のあたりに置いて、手のひらに魔力を集めていく。

そうして見えない手は娘の奥へと入り込んでいった。


「ないわ。」


ドルイドは手を離した。

夫人はドルイドを見た。


「何が無いのですか。」

「彼女の魂が無いの。誰かが連れ去ったのだわ。」


夫人はか細い悲鳴をあげた。


「何てこと!…彼だわ!彼が娘を…!」


呻くように呟くと夫人はその場にくずおれた。

モーリス氏とメアリが慌てて彼女を支え、傍にあった椅子に座らせたが

夫人の狼狽ろうばいぶりはおさまらず、両手で顔を覆い嘆き続けた。


「ああ、なんてこと…。私がいけなかったのだわ…。

私が追い詰めたのだわ…。

私がこの子を殺した…。」

「いいえ、彼女はまだ生きていますわ。ただここに魂が無いだけです。」


ドルイドが冷静に答えると、妻をかばうように寄り添っていた氏がはっと顔をあげた。


「まだ希望はあるということですね?」


切望を滲ませる目で尋ねたが、ドルイドはその質問には答えずに質問で返した。


「彼女がこうなった原因に何か心当たりはありませんか?」


氏の顔が青くなった。


「それはどういう意味ですか。」

「解決のために情報が必要なのです。

彼女は婚約してから体調が優れないと言っておられましたね。

彼女はこの婚約に前向きではなかったのはないですか?

先程、夫人が口にした彼とは誰ですか?」


この言葉は氏を怒らせたらしかった。彼は顔を真っ赤にし、興奮のままに声を荒げる。


「なんてことを!

そんなわけあるはずがない!

サー・ウィリアムは立派な方だ!

婿としてこれ以上の相手はいない!

魔女とは言え侮辱は許さんぞ!」


激昂する夫に夫人は息も絶え絶えになりながら手を伸ばし

なんとか夫を止めようとする。


「あなた、やめて下さい。

ごめんなさいドリーさん、夫婦で取り乱してしまったわ。

サー・ウィリアムは娘の婚約者です。

夫の言う通り、立派な方ですわ。

確かに娘はこの婚約に前向きではありませんでしたわ。

でもそれは娘のわがままなのです。

まだ自由を謳歌したい娘のわがままですわ。

私はそれを叱ったのです。あの夜に。

そして娘は…」


夫人はそこで言葉を詰まらせた。

静かな部屋に夫人の嗚咽だけが響いていたが、

モーリス氏も黙って妻に寄り添うのみであった。

夫人はしばらく何も言える状態ではなかったが、このままではいけないと思ったのかなんとか口を開きドルイドに訴えた。


「どうか娘を助けて下さい。

先程の失礼な態度は夫に代わって私が謝罪いたしますわ。

よもやこの依頼をお断りにならないでしょう?」


夫人の目は泣きぬれながらも真剣だった。

断ってもあらゆる手段を講じてドルイドの首を縦に振らせようとするだろう。

彼女の目にはそういった母のある種の苛烈な力が備わっていた。

ドルイドは静かに頷く。

それを見て夫人は安堵の表情を浮かべる。


「私ったら、お客様にお茶も出していないなんて…。

大変な失礼をお許し下さい。

あなた、アリスを呼んで下さいな。」


夫人に寄り添っていたモーリスが腰をあげ、扉に向かう。

しかし氏が扉を開けたところで、アリスがちょうどお茶を準備して入ってくるところだった。


「アリス、ちょうどよかった。

君を呼ぼうと思っていたところだ。

さぁお客様にすぐお茶を給仕してくれ。」


モーリス氏は存外丁寧に指示を出す。

先程のドルイドとのやりとりに気まずさを覚えているのだろう。


「ちょうど喉が渇いていたところですわ。

御親切にありがとうございます。」


ドルイドは言葉を添えて、言外に休戦を言い渡す。

ドルイドは気にしていないが、モーリス氏には必要な言葉だっただろう。

氏は少し口角を上げて不器用に笑みをつくった。


「これからどうなされますの?」


お茶の給仕を受けるドルイドに夫人は涙を拭いながら尋ねる。


「彼女の普段の行動や性格についてお話を伺いたいですわ。

そして彼女が倒れた日についてもう少し詳しく知れたらと思います。」


この言葉でアリスがちらりとこちらに視線を送ったのをドルイドは気づいていた。

夫人はドルイドの言葉に答える。


「では私がお話しますわ。

ですが少々疲れてしまったので、少しお時間を頂けますか。

着替える必要もあるので…。」


考えれば、みな長い外出からなだれ込むようにこの部屋に来た。

夫人も様々なことに気をもんで冷静な状態ではないはずだ。

彼女にも小休止が必要だろう。


「もちろんですわ。

そのお時間に少し彼女とお話をしても構いませんか。」


ドルイドはアリスに目をやる。

アリスは目を見開いて驚きを示した。

夫人は少し戸惑った様子で尋ねる。


「それはどういう…。」

「お嬢様のお世話の仕方についていくつか注意して頂きたいことがあります。

それを伝えるだけですわ。」


そう話すと夫妻も頷いた。

ドルイドはアリスに話しかける。


「マイラ嬢をどのようにお世話しているの?」


アリスは突然話しかけられ、虚を突かれたようだったが一生懸命ドルイドの質問に答えはじめた。

その会話をしり目に、夫人は夫に支えられながら部屋を後にする。

夫妻が部屋から離れたことを確認するとドルイドは次にアリスにこう尋ねていた。


「マイラ嬢が愛した男性についてお尋ねしたいわ。」

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