第6話 婚約者

 ドルイドはお茶を一口頂くと顔を上げて続けた。


「あなたはとてもマイラ嬢のことを心配しているのね。

外で私たちの会話を聞いていたのはその思いからなのでしょうね?」


ドルイドはアリスを見据えて言うと、アリスは表情を凍てつかせる。

しばらく何も言えず立ち尽くしていたが、気を取り直して何とか口を開いた。


「あなた様は…。」

「私はモーリス夫妻に頼まれてマイラ嬢を助けるためにここに来たのよ。

彼女を救うためには、彼女について知る必要があるの。」


ドルイドにアリスを害する気がないことを悟ると少し表情を緩める。


「盗み聞きのことは申し訳ありませんでした。

決してやましい気持ちがあったわけではないのです。

正直、ほとんど何も聞こえませんでした。

ですがどうかこのことは旦那様と奥様には内緒にしていただけないでしょうか。

お嬢様のお傍にいられなくなるのは辛いのです。」


アリスはだいぶ肝の据わった女性だとドルイドは判断した。

おそらく夫妻に反目してもマイラにつく女性なのだろう。


「それはその盗み聞きのことかしら?

それともこれから話す内容についてかしら?」

「お嬢様が助かるのであればどのように判断して下ってもかまいません。」


ドルイドは鷹揚に頷く。


「わかったわ。

それでは質問に戻るけれど、マイラ嬢の思い人について話して下さらない。」





ドルイドはおとないも告げずに夫人の部屋に入った。

夫人も着替えを手伝うメイドも大変驚いたが、ドルイドは気にせず話しだした。


「旦那様がいると話しづらいことなので、無礼を承知で失礼いたします。」


夫人は困惑を見せたが、すぐにメイドを下がらせた。メイドが出ていくと、溜息をついてドルイドに座るように促し、自分も寝台の端に腰を下ろした。


「アリスが何か話したのでしょうね?」

「私は魔女ですわ。」


夫人は目をしばたかせた。


「魔法で彼女の口を開かせたということかしら?」


ドルイドは何も答えなかった。

夫人はまた溜息をつく。


「決して隠そうと思っていたわけではないのよ。ただこの話をすると夫がまた激昂するのではないかと心配で話せなかっただけなの。

お気を悪くされないでね。」


ドルイドはそれでも何も答えない。

夫人は自分が求められているものを察し、ようやく重い口を開いた。


「あの子には、サー・ウィリアムと婚約する前に別の婚約者がいたのよ。」





マイラ嬢の元婚約者フィリップ・グリントは夫の仕事を手伝っていた青年だという。


「私たちには息子がいなかったから、夫はフィルを息子のようにかわいがっていたわ。

仕事の覚えも良くて、夫も始終彼の働きぶりは褒めていたの。

仕事の話でたびたびここへ出入りしていたわ。」


夫人はここでため息をついた。


「お嬢様とはそれで彼と知り合ったのですね。」


ドルイドはアリスから聞いた話を口にした。

アリスの話によると、最初はマイラの片思いだったのだという。

ボスの娘に手を出すなどという発想がフィリップには無く、24歳の彼は身分こそ違うが、マイラを妹のように慕っていたのだという。

だがマイラの熱い視線と思いに気づき、フィリップもしだいにマイラに惹かれていったのだ。

二人は本当に愛し合っていたのだとアリスは告げた。

だがこのことはずっと秘密にしていて、知っていたのはアリスだけだった。

アリスはこう言った。


「ミスター・グリントは賢い方ではいらっしゃいましたが、ご両親が労働者階級の

出で、お二人がご懸念されていたのは正にそのことなのです。

お二人は旦那様に結婚を認めてもらうためにどうすればよいか、よく話し合っておられました。」


ドルイドはアリスの言葉を思い出しながら夫人に告げた。


「二人の結婚にご夫婦は賛成だったのですか?」


夫人はその質問にためらいがちに答えた。


「夫は大反対だったわ。

お気づきかもしれなけれど、夫はマイラには上流階級の方と結婚して欲しいと考えていたの。

そのための教育を私たちは娘に与えたきたわ。

どこへ出しても恥ずかしくない娘に育てるために。」

「奥様はどう思っておられたのですか?」


夫人は顔を上げ、そして力無く微笑んだ。


「私はそれは驚いたけれど…。

でも何となく気づいていたのかもしれないわね。

だけど私も夫と同じ。

娘は私を恨んでいるでしょうね。

私は夫を止めなかったもの。」


そしてフィリップを家からも会社からも追い出し、娘の意に添わぬ結婚話を持ち出してこのような事態になった。

という話が想像される筋書きだが、実はもう少し話には続きがあった。


「フィルは本当に立派だったわ。

婚約の話は、夫のもとに1人で行ったのだもの。

娘と一緒に話してもよかったものを。

だけど男として彼はそれを許さなかったのね。

それでも結果は予想通りになった。

夫はそれはそれは腹を立てたわ。

きっと信頼していた息子に裏切られた様な気分だったに違いないわ。

私はあんなに怒りをあらわにしたロバートを見たことがない。

ロバートは怒ってはいたけれども悲しんでもいたのよ。

私にはそれがわかったから、彼を止めることができなかった。」


夫人はそこでひとつ息を吐いた。


「だけど結局は彼を婚約者と認めざる負えなくなったのよ。」


氏はフィリップを追い出したことを後悔し始めた。

任せていた新しい事業の後任がすぐに見つからず、また自身の仕事もうまくいかなくなり始めたからだ。

氏はフィリップを見つけて呼び戻したのだ。

やはりその時もフィリップの振舞いは立派なものだったという。


「彼は仕事に復帰する代わりに、婚約の話を出してもよかったのよ。

だけどそれを彼は一切しなかった。

きっと夫が仕事を大事にしていることをとてもよくわかっていたのね。

フィルは仕事復帰を二つ返事で受け入れ、その日はそのまま帰ったの。」


夫はそれからいろいろ考えたに違いないわ、と夫人は呟いた。


「私たちには息子はいないし、仕事のことをわかっているフィルが婿養子に来てくれれば全てうまくいくもの。

私たちが亡くなった後、遺産も誰かもわからない遠縁に渡さずに全てマイラに残してあげられるわ。」

「氏は2人の結婚を認めたのですね。」


ええ、と夫人は答えた。


「だけど夫はそれでも階級のことは始終気にしていたわ。

でももう婚約を許したからには後には引けないでしょう。

あの時の娘とフィルの幸せそうな顔は今でも忘れられない。」


夫人はここでようやく頬を緩めて笑んだ。

しかしすぐに表情を厳しいものに変え、ドルイドを見据える。


「だけど今や娘には新しい婚約者がいる。

不思議にお思いでしょうね?」


ドルイドは何も答えなかった。

夫人は困ったように悲しい笑みをつくる。


「アリスから聞いたのね。」


そうして視線をそらすと夫人は言葉を続ける。


「あれは私たちにとっても最悪の日。

神が我らに与えた試練の日だった。

雨の強い日だったわ。

早馬が知らせを伝えにこの屋敷に来たのだわ。

あれはアリスが対応したのかしら。そうね。

アリスは蒼白な顔で私の元へ来たもの。

私は娘にはまだ伝えてはいけないと言ったけれど、もう遅かった。

後ろに娘が立っていたことに気づかなかったのよ。」


アリスはその時のことを鮮烈に覚えていて、この話を語りながら泣いていた。

夫人は泣いてはいないが、今にも消えいりそうな声で話を続ける。


「フィルは帰らぬ人となったの。

運転の荒い馬車に轢かれて…。即死だと聞いたわ。

3年前のことよ。」

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