第2話 メアリー
ここはイギリス南部にある森に囲まれた小さな村で、ドルイドは10年ばかし前にここへ移住してきた。
年中雲に覆われていることが多いこの村は、薄暗く陰鬱な空気が漂い、何か事情がなければこんなところに住もうとする者はいない。
しっかりとした文献をもとにこの地の歴史を紐解けば、ここが世間から爪弾きにされた者たちの流れ着いた場所だと知ることができる。
そして現在ここに暮らす者も、そんな彼らの子孫か、または現在にそのような扱いを受けて移り住んで来た者たちばかりなのだ。
尚更ここを訪れる者は無く、例外としてあるのは、この魔女と呼ばれた女を頼ってくる人間たちだけなのだ。
だが今ドルイドが不本意にも迎えようとしているのは客ではない。
慎重に応接間へ入ると、一人の貴婦人が窓辺に立っていた。
ロンドンの流行なのだろう、すみれ色の華やかなドレスはこの部屋には少し浮いている。
ドルイドは彼女の姿に思わず目を眇めた。
メアリは姉妹の中では一番快活で流行物が大好き、両親からもとても可愛がられていた。
ドルイドは彼女を一目見ただけで、記憶の奥に押しやったあらゆるものが蘇るのを感じたが、ゆっくり瞬きをひとつして動揺をリセットする。
主の入室に気づいた女性はこちらをはっと振り向いた。
その顔は胸が痛くなるほどメアリの幼い頃にそっくりだった。あれから10年経ったのだと時の流れの早さを感じる。
「ドリー!」
メアリは勢いよくこちらへ駆け出してきてドルイドに抱き着いた。
「どれだけ探したことか!どうして今まで連絡ひとつ寄こさなかったの!」
ドルイドはレイモンドにそうしたように冷たく言葉を返した。
「メアリ姉さん、これはどういうこと?どうしてここへ来たの?」
ドルイドは抱擁を返すことは無く、拒絶の意を表した。彼女にはすぐにでも出て行ってもらわなければならない。そして強力な魔法をかけなおすのだ。今度は永久に見つかることはないだろう。
「どうしてそんなことが言えて?どれだけ心配していたと思っているの!」
「私には関係のないことよ。」
ドルイドの言葉にメアリは絶句する。取り付く島もない彼女に困惑していると、ちょうどジェイクがお茶を持って現れた。
「お茶でも如何ですか。お座りになって話された方がよろしいでしょう。」
メアリはこれを天の助けと思ったのか、そうさせて頂くわ!と手を合わせて喜びお茶の席に着いた。ドルイドとしては、話すことは何もないのだが、ジェイクの好意を無下にできずしぶしぶ席に着いた。
「ありがとう、ジェイク。
あなたにも会えて嬉しいのよ。本当に。
元気そうで何よりだわ。」
「ありがとうございます。」
メアリは敬愛のこもった目でジェイクを懐かしむように見つめる。その情景にドルイドの胸は締め付けられた。メアリが昔、ジェイクに懐いていたことを思い出したのだ。
ドルイドは家族からジェイクを取り上げたことは間違いのない事実だった。そしてジェイクからも全てを取り上げたのだ。
ジェイクは静かにお茶を入れてくれた。彼は男性でそして高齢でありながら、できることは何でもやってくれる。
ドルイドは屋敷に部外者を入れることを好まない。そのために住み込みの使用人を雇うことができず、屋敷のことは2人で何とかしてきた。生活が軌道に乗ってからは、通いの手伝いに来てもらうようにはなったが、それでもドルイドも家事を行っている。ここの暮らしはレディングの生家とは何もかもが違う。でもドルイドはこの生活に満足していた。それがドルイドの業なのだ。
「あなたもご一緒するのね。」
メアリが3つのカップを見て嬉しそうに言った。彼が一緒にお茶の席に着くことなどないがメアリは全く気にしていないようだった。
「わたくしのカップではありませんよ。メアリ様。
ミスターハットフォードのカップでございます。」
「ミスター…?」
メアリは当然のごとく驚いたように目を見開いたところで、レイモンドが扉を開けて現れた。
レイモンドは優雅にこちらに歩いてくると、2人の間に立ってドルイドに微笑みかけた。暗に紹介を促しているのだ。
ドルイドは呆れて言葉も出なかったが、メアリもドルイドを見つめて来るので諦めて彼を紹介する。
「姉さん、彼はレイモンド・ハットフォード。
この村の北にある屋敷に住んでいるのよ。」
レイモンドは微笑んで挨拶をした。
「こんにちは始めまして、ミセス。
私はこの村で医者をやっています。
どうぞレイモンドとお呼び下さい。」
「レイモンド、彼女は私の姉のメアリーよ。」
メアリはゆっくりと立ち上がり軽く膝を折ると、そっとドルイドに説明を求めるような視線を送ってきた。
「レイモンドは私の友人よ。
今日は用があってここを訪ねて来たの。」
ドルイドはすかさず言葉を添える。メアリーが彼との関係について妙な勘ぐりをしていることは容易に想像できたからだ。
昔からメアリは噂好き、詮索好き、この時代の女性が概ね兼ね備えている要素を持ち合わせていた。
メアリがレディングの屋敷に戻れば家族にきっと彼の話をするだろう。しっかりメアリの空想を打ち壊して置く必要があった。レイモンドはにこやかに話を続ける。
「ドルイド嬢には大変お世話になっていますので、ご家族には是非ご挨拶させて頂きたいと思いましてね。この場に招待して頂けると嬉しいのですが…。」
「まぁ素敵。もちろんですよ。
私のことはメアリと呼んで下さいな。それに私まだ結婚しておりませんの。」
メアリは人好きのする笑みを浮かべた。
ドルイドはまたひとつメアリの兼ね備える才能を思い出さざるを得なかった。
3人はジェイクの用意したお茶の席についた。
「それで姉さんは何が目的でここへ来たの。」
「ここに暮らすためよ。」
衝撃の言葉にドルイドはカップを取り落としそうになった。
「ここに暮らす?」
「そうよ。荷物も持って来たもの。
とっても大変だったわ。だって遠いんだもの、ここ。」
ドルイドは努めて落ち着いた表情を崩さなかった。
「姉さん。それは誰からの許可を得たの?
ウェザークローハウスは私の屋敷なのよ。」
「まぁあなたがここの主人なの。知らなかったわ。
ではそれならば問題ないのじゃないのかしら。私たちは家族ですもの。」
ドルイドは目を丸くした。メアリの性格をこんな短い時間におさらいすることになるとは思いもよらなかった。
レイモンドは2人のやり取りを面白そうに見ている。
「ドリー、私も同意見だよ。君たちは家族だ。
何の問題もないじゃないか。
それに以前は私のような風来坊を住まわせていた時期もあっただろう。」
「あなたは死にかけていたわ!
それに子供だった!」
ドルイドはなかばパニック気味に叫んだ。未婚女性が男性を屋敷に住まわせていたなんてあってはならないことだ。
幸い、村人たちはドルイドの役割を理解しているからこそ、ここにどんな人間が訪ねてきても咎めたりはしない。それに対処できるのはドルイドだけだとわかっているからだ。
加えて彼らはドルイドに対してある種の畏怖の念を抱いていて、彼女の怒りをかうことは得にならないことを知っている。
実際レイモンドの件もドルイドは何も後ろ暗いことなどしていないのだ。憔悴しきった少年を助けることは人として当然のことだったのだから。
だが全ての経緯を知らないメアリに偏った情報を与えたら、家族に伝われば何と思われるか知らない。
だがドルイドは自分の考えを思い直した。自分が家族からの印象を気にしていることに気づいたからだ。家族などとおの昔に捨てたのだ。何を動揺する必要があるのだろう。
ドルイドは冷静さを取り戻して言った。
「とにかく私は許可しないわ。
姉さんは死にかけてもいなければ、子どもでもない。
早くレディングへ戻って下さるとありがたいわ。」
「まぁドリー。」
メアリは傷ついた表情を浮かべる。本当に悲しんでいるのだ。
ドルイドはそれを気にかけまいとした。
「さぁ馬車に戻って。今出れば夜には屋敷につくわ。」
距離的なヒントを与えてしまったことに内心舌打ちしたが、また強力な魔法をかければ忘れるだろう。覚えていてもたどり着けるわけがない。
こちらが招かない限りは…。
「ドリー、本当に彼女を追い出すのかい。
私にはそうすべきでないように思えるが。」
「レイ、家族の問題に入ってこないでちょうだい。
あなたには関係のないことよ。」
レイモンドは肩を竦めた。
そこまで言う必要はなかったかもしれない。だがこれは事実だ。
「では一晩だけでも泊めて差し上げてはどうかな?
きっと馬も御者も疲れているだろう。部屋はたくさんあるし。」
レイモンドはドルイドの言葉などなかったように話を続けた。メアリの表情は期待に明るくなった。
「どうしても困るなら、僕の屋敷に滞在して頂いてもかまわない。
部屋はこちらにもたくさんあるからね。」
メアリは少し驚いた表情をした。
「それはダメよ。」
ドルイドは即座に言葉を返していた。
「なら決まりだ。」
レイは膝を打って立ち上がった。
そうしてつかつかと扉へと歩いて行く。
「今夜は家族団らんの食事をとって明日以降のことはまた明日考えればいい。
残念ながら、歓迎の晩餐には僕は同席できないが。
また明日ここを訪ねるとしよう。では私はこれで。」
レイモンドは颯爽と出て行ってしまった。ドルイドは目をぎゅっとつむってため息をついた。メアリは話の展開の速さに驚きつつ、視線をドルイドに戻した。
「ねぇドリー、彼は…。」
「彼は吸血鬼よ。」
メアリは目を見開いた。昔からそうだった。メアリの感情はわかりやすい。
「だから姉さんを彼のところに泊まらせるわけにはいかないし、食事にも来ないの。」
「まぁ私はてっきり、彼はあなたの…」
「姉さん、1泊だけよ。」
ドルイドは無理矢理話題を変えた。これ以上詮索好きのメアリに情報を与えるわけにはいかない。
「今日のところはね。」
メアリは小さく微笑んだ。メアリは話題を変えられても食い下がらなかった。
思惑通りにいったのだ。これ以上詮索してドルイドの機嫌を損ねるのは得策でないと考えたのだろう。
ドルイドは小さくため息をついた。
「御者を馬小屋に案内するわ。」
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