古代兵器と奇跡の少女

古代文明や古代兵器――それも、現代の技術を遥かに超えるようなオーパーツ――が現実として存在するのだという事を、人々が知ったのは、随分と文化や戦争、時代を積み重ねた後だった。

しかし古代の兵器とは言っても、いかんせんどういった場面で使う物なのか、さらにはどうすれば起動するのか、理解不能なものが大半だった。

ただ確かなのは、古代文明は非常に発達した、(おそらくは)機械兵器を運用していた事と、古代兵器を発掘した現代の人間にも扱える、強力無比な兵器が存在しているという事だ。


その兵器とは、おそらく――古代の兵器に関しては、その途方も無い技術力の高さから、全て「おそらく」という前置きが必要となるのだが――人間の神経と機器を接続させる事により、圧倒的な反応速度と機動力を誇る、強化外骨格、あるいはパワードスーツと呼ばれるような物に似た形状であった。

無数の棘のような物を突き刺し、神経を兵器と接続しているため、動く度に、身動き一つ出来ないほどの激痛が走る。ともすれば欠陥兵器と切り捨てられるような代物だが、それを補って余りある魅力に、軍部は取り憑かれた。

大海原を瞬く間に横断する機動性に、ありったけの火力を受けても傷一つ無い耐久性。都市一つ程度なら僅かな時間で壊滅させる事が出来る破壊力。その圧倒的な力は、戦争そのものを大きく変えてしまいかねないものだった。

古代兵器の数が軍の強さに繋がり、それは即ち防衛力、ひいては国の安全に直結する。だからこそ、国は古代兵器の運用研究に、全力を注いだ。


初めは、屈強な軍人達が実験台を買って出た。古代兵器により、お払い箱になりかねなかったのも、あるいは彼らに実験台志願を決断させたのかもしれない。

しかし、薬など、何か色々な試みで痛みを和らげようとしても、その効力はちっとも発揮されなかった。しかし流石に訓練された軍人、痛みを堪えて僅かに兵器を動かす。しかし、それも瞬き程度の時間だけ。兵器を運用出来ている、とはとても言い難い。

様々な実験を行い、あまりの激痛に廃人手前となった者が、研究施設に収容出来なくなろうかという時、ある科学者が決断した。


痛みを知らぬ人形のような者であれば、この古代兵器を扱えるだろう。この兵器は人の身が必要だが、しかし人の脳は、果たして必要なのか?

つまり、どこまで脳を破壊、あるいは操作する事で、この古代兵器を難なく扱えるようになるかという実験が、行われる事になったのだ。

その行為によって、たとえ何かその人の生命や人格に、悪しき影響を与える事になろうとも、人権だかを完全に無視した、極悪非道の行為であっても、これは国防のための急務であるとして、国は極秘裏に人を掻き集めた。

孤児、浮浪者等……身寄りの無い人間を集め、実験を行う。そんな日々を繰り返し、失敗を重ねる内に、彼らはようやく目当ての者――彼らにとっては物と言った方が適切かもしれない――に出会う。古代兵器の着装、稼働を、実用に足る時間、成功させた人物が現れたのである。


それは、少女だった。青く、吸い込まれそうな瞳をしていて、痩せこけた身体は、あばらが浮き出るか、というほどだった。実験のためか、目に光は無く、一日の殆どを、ぼうっと虚空を見つめて過ごしていたので、何を考えているのか分からない、もしかして何も考えていないんじゃないか、と噂されていた。

事実はというと、後者であった。ほとんど何も考えられなくなり、もはや人間と呼べるのか疑わしいくらいに、何の反応も出来ない、というのがより正確な表現だが。

少女は本来、誰に対しても、満面の笑みを見せて話すような、明るい性格であったが、実験の際に、感傷とか思考とかを、削ぎ取られてしまったようなのだ。


そんな廃人同然の少女にも、やはり食事や睡眠などは必要であったので、誰か少女の世話をする人間が要る、という事になった。それも、こういった非人道的な行為のために極秘裏に進められているから、施設内部の人間という条件付きで。


そこで選ばれたのが、30代で、軍の研究者をしていた女性だった。軍の非人道的な実験には、随分と否定的な目を向けていた女性は、実験の被害者である少女に対して、それはもう献身的に世話をした。

その理由としては、幼い子供を実験に巻き込んでしまった負い目に加え、亡くなった自らの子の姿を、その少女に重ねていたのもあった。


女性は、20代で結婚し、すぐに娘を出産。しかし、その子供は難病にかかり、3歳で亡くなってしまった。さらに、その悲しみが和らぐ間も無く、夫にも先立たれてしまい、今の彼女は、仕事に打ち込む事が、身や心の支えになっている状態だった。


そんな女性の新たな心の支えこそが、少女の世話であった。あるいはそれは、物言わぬ人形に語りかけ、笑顔を見せ、手入れをするかのように――何故ならば、少女は抜け殻のように、何も話さないし、何の表情も見せないのだから。

女性は、聖母のように穏やかな笑みを浮かべ、スープをスプーンですくい、だらんと開いた少女の口に優しく流し込む。わざわざこんな風に、手間のかかる栄養補給を行なっているのは、女性の進言が理由だ。

「どう?おいしい?」

その発言が無意味である事は、女性も承知していた。返事は無く、首を動かす反応も無い。しかし、それでも女性は満足していた。


いや、この状況だからこそ、彼女は満ち足りているのかもしれない。己の欠けたものを補うパーツとして、物言わぬ者として。ただそこに在ってくれれば良いのだから。


しかし、何かそこに歪みがあったとしても、女性が少女に愛情を注いでいたのは間違いなかった。少女に注いだ愛情が、通常起こるはずも無い、いわば奇跡という結果を呼び寄せたのだ。

少なくとも、その施設ではそういう事になった。愛の奇跡の物語は、皆の荒んだ心を、いくらか癒す物だったから。


ただ、その奇跡が起こった時というのが、神のいたずらか、計ったかのように、酷く致命的であった。あるいはその偶然性を、奇跡と呼ぶ事も可能なくらいに。


それは、少女の神経と古代兵器とを接続しようとしていた、定期的に行われる動作テストの時だった。

神経を接続した瞬間、少女の身体が跳ねるように動いた。うめき声を、口から発する。そこまでは、時々起こる事だ。しかし、それはだんだんと大きくなり、やがて瞳には生命の光が満ち、大粒の涙がこぼれ落ちていった。

「痛い!痛い!痛いぃ!誰か助けて!痛いよぉ!痛いぃ!」

わんわんと泣きじゃくりながら、少女は悲痛に叫んだ。兵器によって拘束されている身体を、もがくように動かそうとする。


人の身体は、あまりの激痛に死を選ぶ事もある。それを考えると、少女は今まさに生命の危機にあった。生命の輝きを取り戻し、痛みという生命の危機を、感じるようになったが故に。

「すぐに停止を!」

少女の異常な様子に、女性は声を荒げた。軍の最高機密を取り扱っているので、実験に参加しているのは、超がつくほど優秀な者ばかり。


少女の身体に影響を与えすぎず、しかも迅速極まる停止だったが、それが終わった時には、少女は痛みのあまり気絶していた。あと少しで、激痛のあまりショック死してもおかしくない、危機的状況だった。

年端もいかぬ少女のみならず、人間が耐えようとするには、あまりに荷が重い激痛である。それを体感しても、幼い少女の肉体が死を選ばなかったのは、奇跡と、そう呼ぶしかない。


少女が目を覚ましたのは、気を失ってから何時間か経った後の事だ。起きて直ぐに、周囲の異変を察知した少女は、震えながら、辺りを怯えた瞳でキョロキョロと見回す。


そんな少女に向かって、ある男の手が伸びた。しなやかで細い、技術者の手だ。そんな手を、女性は払いのける。そして、少女を庇うように、優しく抱き抱えた。

「駄目……!……もう、いいではありませんか。そもそもが無茶な、無謀な、実験だったのです。もうこれ以上、無理に人道に背くのはやめましょうよ……!もう、もう耐えられません!他の皆だって……!」

「よせ!」

男は、女性の話を遮るように、声を荒げた後、拳を硬く握って息を吐き、やり切れない感情を吐き出すように、女性に語り出した。

「軍事費用の縮小で、この実験の予算は、もうほぼ無い。だが、他の国は古代兵器の運用に成功したという情報もある。不正確な風評に過ぎないとしても、しかし我々に時間が無い事は確かだ!

もう、被験者の候補は殆どいない。国民も不審がっている。この状況で、誰があの兵器を動かすのだ?我々か?ただでさえ、圧倒的に人手が足りていないのに?

……軍の上層部への予算などの要望は、通らなかった。報酬も、名声も、ロクに無い。忠誠心など、愛国心など!……最早、とっくに枯れ果ててしまった。……もしかすると、この国はもうすぐ滅びる運命なのかもしれんが……それでも民は、存在するのだ」

最後は吐き捨てるかのように言った男の言葉に、女性は俯いたまま、何も言えなかった。敗戦国の末路は、惨めなものだ。だからこそ、軍事力や防衛能力が必要である。少女一人の犠牲で、この国に住む何億もの人が、平穏でいられるのなら――女性の脳裏に、僅かにそんな考えも浮かぶ。


不意に、そんな女性の白衣の袖を、少女が引っ張った。目には涙を浮かべ、口は僅かに開き、しかし何の言葉も発さないまま、ただ震えている。そんな少女の様子を見て、女性は密かに決意を固めた。

(……こんな子を非道い目にあわせて、利用して。その上にある未来なんて!

……ううん、これは言い訳ね。これはただの私情。どこまでいってもただの私情で、私はこの子を、どこまでも守ってみせる……!)


「昇格だ。君は別の勤務地に配属になった」

その言葉が、女性に向かって発せられたのは、女性が少女を守ろうと決意した、翌日の事だった。

「……え?」

突然の事に、引きつりながらも、笑顔を作る女性。異動を告げた男は、軍の上層部の人間なのか、軍服に溢れんばかりに勲章を貼り付けていた。実験をしている施設の、外部の人間であるため、女性は実際に顔を見た事が無かった。

「被験体の子の世話をして、実験を成功させたそうじゃないか。優秀な君に、然るべき地位を与えるための第一歩だよ。了解してくれるね?」

(……実験の失敗が、伝わっていないの……?)

男の言葉に、女性は少し考え込み、そして直ぐに結論を出した。


(……成る程、今日ここがどこか騒がしかったのは、そういう事。失敗がバレたら、どんな目に会うか分からないから、時間稼ぎに失敗を隠蔽して、国外に逃げる準備中ってわけね。

……だったらこの人は、全てお見通しでここに来たの……?)

女性の考えは外れていた。男が今日実験施設に来たのは、まったくの偶然に過ぎなかった。それでも、女性は警戒心を強める。

「どうかしたかね?研究職の人間が、軍の上層部など実に名誉な事ではないか。早く決断してもらいたいのだが」

女性は、どうにかこうにか作り笑いを浮かべて、なるべく角が立たないように、気をつけて言った。

「ええ。……大変ありがたいのですが、しかし今の仕事に大変誇りを感じておりまして。それに、所詮ただの女研究者にすぎませんから、軍の仕事などとても出来そうにありません。お話は嬉しく思いますが、やはり今の仕事を終えてから。もしそれでそのお話が消えても……それは仕方ないという事で、どうかお願いいたします」

女性の言葉に、軍の男はしばらく沈黙を続けていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「……成る程。しかし聡明な君だ。ここの小さな、ちかし確かな異様さには気付いているのだろう?」

「……と、言いますと?」

「慌ただしすぎる。ただ仕事が忙しいような、そんな感じではない気がする。仕事が順調ではないのか、あるいは……失敗したか」

女性は背筋が凍る思いだった。実験が失敗したと知られれば、自分達の身に何が起きても不思議ではない。


ただ、軍の男は、何かそれを咎めるという気は特に無さそうだった。よく見ると、彼は少し疲れた瞳をしていた。激務に、ではなく、おそらくもう少し大きな事に。

「まあそれはいい。良くはないがね。問題は、軍の視察が明日にある、という事だ。逃げるなら、早くしないと全員死ぬぞ」

「……止めないのですか?」

女性は、予想の外から来た軍の男の言葉に、怪訝な顔を隠せなかった。

「……軍も随分と腐敗した。以前は、もう少し高潔で誇りある者達が先導していたのだが。権力闘争に打ち込まず、ただ軍務に励んでいたらこのザマとはな……

おっと、腐敗の改革など期待してくれるな。女房と子供がいるのでね。死因が、味方陣営が放った刺客の弾丸、など御免だ」

そう言うと、男は軍帽を深く被り直した。

「ではな、賢明なる君。明日の視察、確かに伝えたぞ。

 ……私も、この施設がこういう状態とは知らなかった。失望、なのだろうな」

そう言って、男は去っていった。彼の言う通り、施設の者の殆どが国外へ逃げようとしていた。民の為、国の為。そうやって思い留まろうにも、実験の失敗を知られた時の身の危険を考えれば、なんと脆弱なストッパーなのだろうか。


しかし、そうやって皆が逃げようとしているにも関わらず、それを外部へと伝える、密告する、といった事は、誰もしていなかった。

皆が皆、逃げるわけではない。ただ、この施設に残ろうという者も、祖国を捨てる者を許さない、といったような燃える愛国心など無く、ただ、ぼんやりと現状を受け入れていただけだった。優秀であるが故に、祖国のどうしようもない腐敗と、未来の無さを痛感していたのである。


以前この実験施設に、非常に優秀な新人が入って来た事があった。だが、彼は非人道的な実験に参加しようとせず、さらに軍への抗議をも行った。しかしその男は、抗議を行った数日後行方不明になる。

次に皆が見たのは、変わり果てた姿の彼だった。まるで裏社会の人間が、裏切った者へ脅しをするかのように、無残な彼が施設へ送られてきた。軍がこんな事をするのか、と皆が国に失望したのは、おそらくこの出来事が決定的だろう。


さて、女性が施設の皆に、明日軍の視察がある事を伝えると、殆どの者は顔を青ざめて、身支度を急いだ。施設に残ろうという者は、なんだか他人事のように、ぼんやりとその話を聞いていた。

女性は、少女を逃がすのは今日しかないと考えていた。既に、実験の成功データは、軍に送ってしまっている。その中には、当然成功例の少女のデータもある。もし、軍が実験の失敗や断念を知ったら?唯一の成功例である少女に対して、また人道外れた実験を繰り返す可能性だってあるのだから。

「ねえ、もし貴方さえよければ、ここから遠い何処かへ行ってみない?ここに居ると、きっと貴方は辛い目にあう。……ううん、それが辛いのか、楽しいのかすら、分からなくなってしまうと思うの。だから……」

だから、女性は少女の身長に合わせてかがみ、語りかけた。ただし、随分と申し訳なさそうに目を伏せて。

少女は少し震えながらも、女性の目を見つめ深く首を縦に振った。感情を失っていた時の記憶は無くなっていても、今親身に自分を支えてくれるその女性に、彼女は少しばかり信頼を寄せ始めていた。


「おい、待て」

今すぐにでも、と逃げだそうとしている二人を、無精ひげを生やし、ぼさぼさした髪の男が呼び止めた。何の用か、と女性が尋ねると、男は何かICチップのようなものを二つ渡してきた。

「ちょっとした道具だ。監視カメラなんかに映らなくなる、ちょっとした奴。他の皆にも持たせてる。所詮は時間稼ぎ、過信し過ぎないようにな」

女性は感謝を伝えた後、その男に何の異変も無い事に気付いた。つまり、彼は普段通りだった――それは、国外へ逃亡する気が無い事を意味している。

それなのに何故、私達の逃亡を手助けしてくれるのか。そう聞くと、男性は様々な感情が入り混じったような苦笑を浮かべた。

「……俺たちは外道だ。あまりにも倫理や正義から背いた事をしたし、それを多かれ少なかれ受け入れてきた。だから、罰を受けるべきだと思ってる。ただ、この国の上層部はロクな奴らじゃない。そんな連中から罰を受けるのも、どうかとも思ってる。

……まあ、要はどうしたらいいか、決め切れていないのさ、俺は。半端ものの、屑。

 だが、共に働いたお前達には、情がある。民を守るための仕事に従事しておきながら、我が身可愛さにそれから逃げ出すような奴らなのにな。そいつらの気持ちも分かっちまうからさ、ほんのちょっぴりだけ、助力をしようと、そう思っちまっただけだよ」

「……ありがとう」

「礼なんて言うなよ。……頼むからさ」

そう言って男は、感謝されているのにも関わらず、暗い表情で俯いた。


それから、施設の研究者達は、直ぐに身支度を済ませると、皆散り散りになって逃げ出した。国に対する失望、他国へ行った時の待遇に対する希望、非道な実験をして逃げようとしている罪悪感。

抱いている感情は様々だが、殆どの者が第一としていたのは、実験の失敗が発覚した場合の罰を、回避する事。つまりは、自身の身の安全を確保する事だった。

だからこそ、皆死に物狂いで逃走する。脱走者を阻止するためだけに置かれた見張りの警備員を、逃げ出す職員総出で連携し、事前に拘束していたおかげで、実にスムーズな逃走劇である。


女性と少女も、服を凝らし顔を隠し、闇夜に紛れて逃走を続けた。二人は手を繋ぎ、少女が疲れた時には、女性が作っていた甘い菓子を二人で食べた。

笑顔で菓子の味を楽しむ少女を、逃走中という尋常ならざる状況下だが、女性は嬉しそうに見つめていた。そんな女性に、少女は菓子を分けて差し出す。最初は断っていたが、尚も菓子を突き付けてくる少女に、最後は根負けし、二人で食べる事にした。


そんな風な日々が、何日続いただろうか。少女を苦痛から遠ざけようとした女性の献身により、それほど(少女にとっては)辛くはなかったが、ついにそんな逃走劇にも、終わりが来た。


国境に架かる大橋が見えたのである。警備は特別厳重な訳ではなく、いつも通りだ。催眠ガス、スタングレネード、発煙手榴弾など、軍施設にあった物を駆使すれば、何とかなるのかな、と女性は警備を突破する算段を立てていた。


今日の天気は曇り。空気は身を裂くかのように冷たく、乾いていた。


そんな乾いた空気を、一つの銃声が切り裂いた。

女性の胸から、鮮血がこぼれ落ちる。悲鳴を上げる少女を、女性は庇いながらその場を離れようとする。


また、銃声。今度は、女性の足が撃ち抜かれた。最早歩く事もままならない女性を、少女は泣きながら、引きずってでも連れて行こうとする。

「いいのよ……もう、いいの……あなた、だけでも……助かれば……それで、いい……」

消え入りそうな声で、必死に声を出す女性。自分を見捨ててでも、少女には逃げて欲しかったが、少女は涙を浮かべながら首を横に振る。

「いいからッ!……げほっ、げほっ……おね、がい……私、は、いい、から……

……ごめん、なさい、ね……本当、に……」

薄れ行く意識の中で、最後の力を振り絞り、女性は叫んだ。嗚呼、重い足音が聞こえてくる。脅威が、此処に迫ってきている。せめて、せめてこの子だけは――


そんな悲痛な女性の思いを汲み取ったのか、少女は後ろ髪を引かれるかのように、躊躇しながら駆け出した。


(思い返せば、酷い人生だった。軍人としても、研究者としても、妻としても、母としても、人間としても。本当に、最低だった――

ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……私の身勝手で、もしもあの子の感情が、意思が、戻ったのだとしたら――ああ、あの子は不幸を、苦痛を、世の理不尽を感じずに済んだのに。

この死は、当然の報いでも、あの子は……あの子だけでも……)

目がかすみ、駆ける少女の姿も見えなくなっていく。死の直前、ただ後悔だけが脳を駆け巡る中、女性の意識は薄れていき、やがて完全に消えてしまった。

冷たく、乾いた風が、女性の死体を撫でるように吹いていた。


しかし、少女一人が軍の追っ手から逃げられる筈もなく、程なくして少女は捕まった。少女は、長く続いた古代兵器の実験において、唯一の成功例である。

これより前に捕まった施設の研究員によって、少女は実験に成功した時の状態ではなく、最早古代兵器を動かせない事は軍も承知していたが、しかし、唯一の成功例という肩書きは、念の為、という言葉を伴って、再び少女を実験に巻き込むのに十分だった。


まるで、十字架に磔にされたかのように、少女は拘束され、兵器の無数の棘が、今か今かと少女を狙う。


少女は、そんな死の寸前の状況において、ある事を考えていた。


(なんであの人は、謝ったんだろう)


別れる直前、女性が少女に謝った事だけを、ただ少女は思い返していた。女性と一緒に過ごしていた、暖かな日々を。陰気で狭い研究所だったけど、それでも楽しかった日々を。


(あの人が居たから、私は幸せだったのに)


逃げ出す直前、酒が入った職員の話を、盗み聞きしてしまった事があった。それで、少女は女性の献身によって、感情や意識を取り戻したかもしれない、という事を知っていた。それを、少女は嬉しく思っていた。棘が自身の身体に向いている、今この瞬間でも。


(あの時は伝えられなかったけど、また会えたのなら伝えたい。私は、とっても、幸せだって――)


雑多な声が響き、慣れない手つきで、軍人達が機器の操作をしている。額に汗を浮かべ、口をつぐみ、急かされ、焦った様子だった。少女は、それが少し可愛らしく思えた。


やがて、一人違った軍服を着た男が叫んだ。それに呼応するかのように、棘が動き出す。


鋭い棘が刺さる瞬間、少女の脳裏に浮かんだのは、後悔ではない。


女性と過ごし、柔らかな笑顔に満ちていた、ただ、幸せな日々だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

古今東西短編集 @makoto-faith

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ