結婚泥棒

人の不幸は蜜の味……確かに、そんな言葉も存在する。だが、人の幸福を素直に喜ぶ人だって、大勢居る事は事実だろう。あるいは、ケースバイケースなのかもしれないが。



さて、ある所に男が一人居た。容姿は平凡、取り柄だって人並みの、人から、平々凡々が服を着たような男と評されるような人間だった。そんな彼の好きな物を言い表すならば、確かに人の幸福であった。


ただ、彼は大きな悩みを抱えていた。人の幸福というのは永遠ではない。愛する人と真の意味で添い遂げるというのは、わざわざ自死を選ばない限り、不可能に近い。


老い、病、死……幸福は、いつか必ず止み、死人への記憶は年と共に薄れゆく。


ハッピーエンドで終わる作品だって、作品のその後があるとしたら?主人公達は死に絶えるだろう。その子や孫が居たとしても、やがてその主人公達は忘れ去られる。物語として語り継がれたとしても、そこに居るのは、物語の登場人物だ。見た事も無い人間の姿を、誰が思い浮かべられるというのだろう。



思春期に突入した男の様子が、がらりと変わったのは、そんな作品を見てからだった。これまで数多の創作物を見てきた中で一番の、理想的な幕引きの作品。幸せに満ちた、素晴らしい作品。


そんな作品の続編は、暗く暗く開幕した。ヒロインの死、である。あるいは、この続編だって最後は幸せに終わるのかもしれない。だが、そんな風に、幸福な日々が一瞬で消える様を見た男にとって、その衝撃の残滓は、いつまでも脳内にこびりついたのである。


人の幸福は、消えて消えて、また消える。そんな事を、一体いつまで続けられるのだろう。どれだけ長い間、そんな連鎖を続けていけるのだろう。



そんな事を考えていく内に、男は随分と狂信的になった。現実から、少しだけ離れた。象徴、像。そういったものを、求めるようになった。


自分で物語を書いても、乾くばかりだ。他人の物語を読んでも、乾くばかりだ。違う違う、そんな空想ではなく、もっと現実で……


……なんて事を男は考えていたが、最終的に彼が求めたのは、空想と現実の狭間だった。現実の物に、想像を混ぜ合わせる事で生まれる、崇拝物。


もし、私が何を言っているか分からない場合、安心して頂きたい。それは、実に、正常なのだから。



ある時、男が住む街で異常が起き始めたのは、丁度男が狂信的になった時期と重なる。


いや、正に異常という他あるまい。幸せの絶頂期に居た花嫁が、新婚すぐに姿を消し、戻ってきた時には、手首から先が無くなっているのだ。


花嫁に何があったのか、誰がやったのかと聞いても、皆一様に眠らされていたのか、さっぱり分からないと述べる。


花嫁達の切断面は実に綺麗で、簡単な治療も施されていたため、皆、犯人は何のためにこんな事をしているのか、と頭を抱えた。



さて、初めに私が話した、人の幸福が好きな男。彼が最も幸福だと考える瞬間は、いつだと思うだろうか?この回答は、一つだけだ。人それぞれではない。「彼が思う」最も幸福な瞬間だ。


彼は、結婚した瞬間こそが、最も幸福だと考えていた。最も幸福。だからこそ、人は結婚するのだと、彼は強く思っていた。


しかしそれも永遠ではない。多くの場合、あんなに輝いて見えた愛もいつかはくすみ、最悪消え失せる。


幼い頃はあんなに仲睦まじかった、父と母が離婚した際、男は確信した。かつて幸福だった日々は、時と共に色褪せるのだと。



花嫁達が失ったのは、左手だけだった。その薬指には、結婚指輪がはめられていたのに。花嫁達には、何よりそれが最も悲しかった。自分の過失でも、意思でもない。誰かに奪われた。永遠の愛の証だと、そう今でも思っている指輪が、誰かに奪われるなんて、そんな悲しい事は無い。



ただ、そんな花嫁達の左手首を切断するという、非道としか言えぬ凶行に及んだ男は、実に満ち足りていた。


彼はそんな花嫁達の、結婚指輪をはめた左手を、腐らないように加工して、コレクションのように大事に並べて、毎日それをうっとりとしたような目で見つめていた。


実際に存在する、花嫁達の左手という現実と、それをただの他人の幸福のシンボルとして扱うという、彼の空想が入り混じっている、そのコレクションは、自己満足としか言いようのない形で、彼に幸福を与えた。


彼は信仰と共に、永遠の他人の幸福を手に入れたのだ。もしもその信仰が、そして彼の肉体が、永遠であるのならば、だが。

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