自殺のすすめ

ある所に、男が居ました。彼は大層悩んでおりました。ここの所、何もかもが面白くない。流行りの映画を見ても、ちっとも心動かないし、美しい風景を目に収めた所で、得られるのは虚しさだけでした。


彼はとことん悩んで、大勢居る中で、最も信頼出来る友人に相談しました。世の中つまらないので、自殺をしようと思う、と。友人は非常に慌てました。この男、気でも狂ったのか、とも思いました。何故なら、普段の彼は活気に溢れているように見えて、皆を引っ張る人気者だったからです。しかし友人もついに彼が本気で悩んでいる事を悟り、こう言いました。


「早まっちゃいけない。お前さんは世の中をどれだけ知っているのか、考えてごらん。世界は広いんだ、いつかきっと楽しい事が見つかるよ。だからどうか、自殺なんて早まっちゃいけないよ」


友人の話を聞いて、何を馬鹿な事を、と彼は思いました。経験から推測するのは、人として当然の事です。彼は同じように、今までの経験から、世の中の全てを知っていなくとも、そのどれもが、自らを楽しませるのに足らないものである事を、推測し、まるで実際に体験したかのように、鮮明に感じていました。


しかし、友人があまりに熱心に説くものだから、彼は仕方なく、世の様々を体験する事にしました。早々と自殺して、誰かに馬鹿にされたりするんじゃないかと考えると、何だか癪に触るし、とことんまでやって、文句なく自殺してやる、と意気込みました。


それから彼は、何もかもをもしました。とりあえず、好きでもない人と結婚もしました。念入りに離婚をして、も一度結婚をしました。何度も離婚結婚を繰り返してみました。彼にとって、それはちっとも楽しくありませんでした。


文理を問わず勉強に励み、あらゆる専門分野の研究を行いました。そのどれもが優秀と認められ、彼は喝采を浴びました。人々の生活に役立つ、便利な発明も、数多くしました。しかし彼は、人々の万歳の合唱を、死んだ目で聞いていました。これも彼にとっては、とてもつまらないものでした。


次に彼は、さらに努力を重ね、宇宙に行きました。本当は、宇宙の広さ、宇宙から見た地球の美しさなどに感動しなければならないのでしょうが、彼にはどれも色あせた物にしか映りませんでした。これも彼にとっては、退屈なものでした。


彼は、小説を書いてみました。絵を書いてみました。漫画を書いてみました。ありとあらゆる芸術作品を、何の思い入れも込めずに作りました。その全てが、作り手の魂が込められている、と絶賛を受け、彼は賞賛されました。しかしこれも彼にとっては、ため息しか残さない物でした。


彼は世界中を旅してみました。ある時は、目もくらむような山々を登り、またある時は、荒々しい海の波を、サーフィンボードで乗りこなしてみました。旅先にある、多くの人々をわくわくさせるようなレジャーを、とりあえず体験してみました。しかしこれも彼にとっては、くだらないものに過ぎませんでした。


彼は、様々なゲームをしてみました。ボードゲーム、テレビゲーム、カードゲームなどなど。その全てで頂点を取りましたが、彼にとっては、費やした時間を後悔するものでした。


ありとあらゆるスポーツもしてみました。サッカー、野球、ラグビー、格闘技に至るまで、果てはプロと対戦してみたりして、その全てを体験してみました。しかしこれも彼にとっては、取るに足らないものでした。


これまで、とにかく彼のやった事を箇条書きしてみましたが、正直キリが無いので、この辺でやめておきましょうか。とにかく、皆さんの想像が及ぶ、楽しい事、誇らしい事、素晴らしい事の、ほとんどを達成しましたが、その全てが、彼にとって、何かプラスなものではありませんでした。


さてさて、一体、彼が何歳の時でしょうか?彼は医学にも精通しており、何人もの患者を救って、親族達の喜びの声を、下らないなあ、と思いながら聞いていました。そんな医の心得がある彼も、流石に病にかかりました。ごほごほと咳き込む姿を、本当に素晴らしい物なのか、と検証するためにこしらえた家族が、心配そうに見つめています。


やがて彼は息を引き取りました。彼の自殺を止めた友人は、随分と前に亡くなっていました。彼の遺言はこんな所です。


「これまでの人生、全てがつまらなく退屈で、最悪の経験ばかり。反吐が出そうだった。しかし、私はまだ世の全てを経験していない。こんな所で死んでたまるか。世の全てを、つまらないと否定してから、俺は自殺してやるぞ。あいつめ、見ていろ。何が世の中楽しい事がある、だ。世界をちっとも知らぬ馬鹿者め。そんな物が妄言だと言う事を、今に証明してやるからな」


そんな事を言ってから、彼は途端に具合が悪くなり、ぽっくりと亡くなってしまったのです。


彼が度を越えた意地っ張りだと皆が知ったのは、これが初めての事でした。

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