第2話 生きとし生ける者を遍く慈しむ女神

 慈しみ深き大地の女神は、生きとし生ける者全てに遍く恵みを賜える。人もまた生きとし生ける者の一つに過ぎない。


 ある日、ひもろぎの森の開けた河原で、父親と子供が子犬と遊んでいた。


 子供は笑みをこぼしながら、尻尾を巻いた子犬を追い回していた。子供は子犬に捕まえると、地面に投げつけた。子供は同じことを何度も繰り返して、「無邪気」に笑っていた。

 父親は嗜める訳でもなく、ニヤニヤとしながら、その様を見ていた。

 「坊よ!早く帰らないと母さんに怒られるぞ」

 「ええっー!もっと遊びたいよ!」

 「じゃぁ、お父が面白いもんをみせてやろう」

 父親は子犬の後ろ脚をつかんで、ぶんぶん振り回した。子犬を振り回しながら、父親は大きな岩の方に歩いて行った。子供は何が起こるのかワクワクしながら眺めていた。

 慈悲を乞う子犬の眼差しは、この親子には通じなかった。子犬は目が回り、自分が生きてるかどうかも判らなかった。


 子供が見つめる中、父親は子犬をぶんぶん振り回して河原の大きな岩に叩きつけようとしていた。その時、何かが風を切る様な鋭い音が走った。


 まさに子犬を岩に叩きつけようとした時、父親の頭を光り輝く矢が貫いていた。振り回された勢いで、子犬は宙を舞った。宙を舞った子犬は、豊かな胸元で優しく抱きとめらた。


 子供は突然のことに気が動転して何が起こったのか判らなかった。

 子供が気を取り戻すと、大きな岩の前で父親は頭から血を流しながら倒れていた。しかし、刺さった矢は消えていた。

 その傍らには、銀色の長い髪を靡かせた背の高い少女が立っていた。豊かな胸元で故絹を優しく抱きかかえながら、涙を流していた。少女は明らかに村の者ではなかった。子供が生まれてこの方、見たこともないほど美しく、清らかな姿をしていた。物事を弁えず、考えも浅はかな子供にも、人ならざる者であることは、おぼろげに判った。

 

 「創り主が創り賜いし、穢れなく、美しく、善き魂を持つ子犬さん。援けて上げられなくて済みません」

 少女の声は、甘く、優しく、清らかで、美しかった。

 子犬は少女の胸元で安らかな顔をして息絶えていた。

 少女は大粒の涙を流すと、息絶えた子犬の上に零れ落ちた。


 すると、少女の涙を浴びた息絶えた子犬は光に包まれ、輝きだした。子犬は目を覚まし、嬉しそうに吠えながら、少女の回りを飛んでいた。子犬の背中には小さな羽が生えていた。


 「創り主が創り賜いし、穢れなく、美しく、善き魂を持つ子犬さん。創り主の遍き恵みと深き慈しみにより、犬天使になられたのですね」

 少女の声に、甘さと優しさと清らかさと美しさに、明るさと朗らかさが加わった。

 少女は周りに目も向けず、子供に背を向け、犬天使を優しく抱きかかえながら、ひもろぎの森の奥へと立ち去ろうとした。


 「お姉ちゃん・・・」

 と子供は呼び止めた。少女は銀色の長い髪を靡かせ、振り返って答えた。

 「森の木を切り倒して贖わず、生きとし生ける者を殺して顧みぬ人の子よ!わたくしは、この森に暮らす凡ての生きとし生ける者を深く慈しみ、この森に住まう凡ての生きとし生ける者に遍く恵む者です。何かご用ですか?」

 「お父を助けてください。どうか生き返らせてください」

 「それは出来ません。子犬を生き返らせたのは、恵み遍く慈しみ深き創り主です。わたしの力の及ぶところではありません。恵み遍く慈しみ深き創り主も、穢れなく、美しく、善き魂を御救いには成られないでしょう」

 「お父を善い人です。どうせて出来ないんですか?」

 「生きとし生ける者は凡て、強きが弱きの命を奪って糧として生きます。強き者も何れは命はて土となり、木々草花を育み、そこに数多の弱き者たちが生れます。生きとし生ける者が、生きとし生ける者の命を奪うのは、己が生きる為です。産まれた子供を養うためです。生きとし生ける者の命を妄りに奪ってはならないのです。あなたの父は命を弄びました。この森の掟を破りました。だから、光の矢で、あなたの父を射ったのです」

 子供はその言葉を聞いて頭に血が上った。

 「お前が、お父を殺したんだ!お父を返せ!」

 少女は子供の目を見て言った。

 「あなたは父に会いたいですか?」

 「そうだ会わせろ」

 「誠に会いたいですか?」

 「会いたいよ」

  「悔いは有りませんね?」

 「会えたら何でもするよ」


 少女は大きく溜息をつくと、子供の脚をつかんだ。細腕にもかかわらず、子供を軽々と振り回した。

 慈悲を乞う子供の眼差しは、虫も殺せぬ顔をした少女には通じなかった。子供は恐怖のあまり凍り付き、自分が生きてるかどうかも判らなかった。

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