やめろ、莉奈

 その日を境に、おれたちがガチャを回す回数はどんどん減っていった。

 恋人として迷いがなくなったおれたちにガチャの結果は制約でしかない。

 それでも時々ガチャを回しては敢えて制約を楽しむこともあった。

 そんな中で、おれは奇妙な違和感を覚えるようになった。


「呼び捨て、図書館、ショッピング、お互いの欠点を指摘して仲直り、タイタニックごっこ、変顔でプリクラ……ん? んんん?」


 文化祭の展示づくりに向けて忙しい碧さんを教室で待つ間、指折り数えて確認していた。ぜんぶで六つ。

 自分のスマホでアプリを起動する。

 おれが挙げたアクションは十五個。そのほとんどは一回以上出て実行済みだ。

 それなのに同じ十五個のアクションを設定した碧さんの結果が六つしか出ていないのは奇妙だ。半分も出ていないことになる。

 おれが入れたものと同じアクションが出ているのかもしれないけど、一語一句同じということはありえないだろう。それにおれは一度出たアクションは多少なりとも修正しているから次に同じ文言が出るはずもない。

 ――もしかしたら。このアプリには特別な設定があるのかもしれない。おれが知らないなにかが。


「それいま噂の恋人アプリでしょ」


 突然の声とともに横からスマホを奪い取られた。


「っておい莉奈、返せ」


 慌てて取り戻そうとしたが手近な机で行く手をふさがれる。


「きゃあ来ないでぇー」


 軽口を叩きながら足の裏で机を蹴り、おれの腹にぶつけてくる。


「ぐえっ」


 あまりの衝撃に吐き気がした。

 だけど莉奈が蹴っているのは碧さんの机だ。乱暴に押しのけたくはない。

 おれの思いを逆手にとるように莉奈は容赦なく机を押しつけてきて、おれは窓ガラスとの間に挟まれる形になってしまった。


「悪ふざけはやめろよな」


 無理すれば抜け出せないわけじゃないけど、莉奈の手に握られたスマホのせいで自由に身動きとれない。アプリのバックアップはとっていないから叩き壊されたら終わりだ。


「最近ヘンだなーと思っていたら、どっかのだれかさんと恋人ごっこしてたんだね」


 素早い指先でおれのスマホを操作し、見たこともない画面を次々と出現させている。


「相手はだれ? あ、そっか。リンク相手の情報は出ないんだっけ。でも出現履歴を見ればどれくらい回しているのはわかるけどね……へぇ」


 莉奈が不自然に口角を吊り上げた。


「先月は毎日回しているのに、この一ヶ月はほとんど回してないんだね。つまりそれだけ進展したってこと?」


 笑いながら画面を見せてくれる。

 ガチャを回した日とその日の結果が履歴として表示されるようになっていて、いつなにをしたか手に取るようにわかってしまう。そんな項目があるなんて全然知らなかった。


「相手は『あおちゃん』……あぁそう。まさかとは思ったけど原川 碧なんだ。へぇー」


 苛立ちをぶつけるように碧さんの机を蹴り、同時におれの腹に衝撃を与えてくる。


「てぇな、おれがだれと付き合おうが勝手だろう」


「なに格好つけてんの気持ちわるー。どうせウソ告がきっかけでしょ」


 心底嫌悪するように顔を引きつらせる。


「そうだよ。悪いか?」


「やっぱりね。感謝しなさいよ」


 どこまでもふてぶてしい態度だが、それが逆に莉奈の孤独をあぶりだしているような気がして急に怒りが引いた。


「サンキューな」


「……はぁ?」


 呆気にとられたのは莉奈だ。


「碧さんに近づかせてくれてありがとうな」


 莉奈のお陰というのは癪だが、ウソ告を指示されなかったら碧さんとここまで親しくなれなかった。きっと卒業アルバムを見て思い出す程度だったろう。


「だから礼だよ。おまえのお陰で」


「うざい」


 ガン、と机を蹴った。

 小刻みに震える莉奈。握りしめたおれのスマホが天板に叩きつけられる。


「晴臣さぁ、覚えてる? あんた中学のときずっといじめられてたんだよね。あたし隣のクラスだけど可哀想だなぁって同情してた。たまたま高校では同じクラスだったから仕方なく面倒見てやってたのにさ、いつからいっちょまえに恋するようになったの? ねぇ」


 ガン、と机を蹴ってくる。


「いつからいっちょまえに礼を言えるようになったの? ねぇ」


 ガン、ガン。


「ねぇ、いつから? いつからそんな――そんな眼をするようになったの、あんた」


 おれはずっとおれじゃなかった。自分の意見を覆い隠して、柳のように揺れて莉奈たちに合わせていただけだ。

 だけど碧さんと話をするようになって変わった。

 教室っていう閉鎖的で冷たい地面にしっかりと根を張り、いまここに立っている。


「あんた知らないでしょう? このアプリのからくり」


 莉奈が操作すると画面が赤くなった。


「このアプリはメイン端末とサブ端末が設定されていてね、メイン端末を操作すれば相手方の排出率を変えられたり排出率が低いアクションを優先的に出現させたりできるんだよ。もちろんあんたはサブ端末」


 もし莉奈の言うことが本当なら、初めてのガチャで排出率を低めに設定していた『手をつなぐ』が出たことも納得できる。

 運とか確率って言ってしまえばそれ以上考える余地はないけど、おれに下心があるんじゃないかと警戒して碧さんがそうしたとしても不思議じゃない。


「それからもうひとつ面白い設定ができるの。交互チョイスって言ってね、メインはサブの、サブはメインの設定したアクションしか引けないようにできるの。完全にランダムにした場合、なにを入力されているかわからないって不安もあるしね」


 そう言えば碧さんがおれにガチャを勧めるときは必ず自分のスマホを差し出してくる。出現するのはおれが入力した内容ばかりで、逆におれのスマホでガチャを引いたのは数えるくらい……そう、六回くらいだ。


「つまりさ、あんたのスマホで何回かガチャをすれば原川がなんて入力したのかわかるってこと」


「ちょっと待……」


「さぁ恋」


 わざとおれに見える位置でハート形のボタンをプッシュする。

 規則正しいハートの点滅。

 そして。


『同じクラスの小山莉奈を突き飛ばす』


 一瞬、理解できなかった。

 いくらおれが莉奈を嫌いでも、碧さんとのガチャにこんな内容は入力しない。

 だとしたら碧さんが。


「なにこれ、サイテーじゃん」


 画面を見た莉奈があからさまな非難の声を上げる。


「こんな気味の悪いガチャしていたの? ひどいね。人間性を疑う」


「返せっ」


 腕を伸ばして取り戻そうとすると机を蹴ってくる。

 ガンガンガン。点滅するように規則的に。


「これ先生に見せちゃおっかなー、いじめの証拠です、あたし被害者です。鴇田晴臣と原川碧はこそこそと悪質なことしていますって」


「碧さんは関係ないだろ」


「まだそんな強がり言うの? スマホ壊すよ」


 どこまでも身勝手な莉奈に心底腹が立つ。

 胸の奥でドロドロとしたものが渦巻いている。

 ガチャの結果は『同じクラスの小山莉奈を突き飛ばす』。

 だったら――。

 おれは突きつけられた机を力任せに押し返した。


「いいかげんに……」


「もういいかげんにしてよッ」


 おれの目の前で莉奈の体が横に飛ばされる。

 体当たりしてきたのは碧さんだ。

 あまりの勢いに莉奈ともども倒れ込んで机や椅子を巻き込む。


「いったぁ……なにすンのよこの草履虫ッ。虫なら虫らしく地面に這いつくばっていなさいよ」


 押し倒された莉奈が激高して掴みかかる。碧さんの眼鏡が弾け飛んだ。


「そうやってマウンティングするそっちはゴリラと同じじゃない」


 互いに髪や制服を引っ張り合いながら取っ組み合う。机のバリケードから抜けだしたおれだったけど、あまりの気迫に手を出せなかった。


「恋人ごっこは楽しかったでしょう? でも残念。晴臣はウソ告だったのよ。あんたのことなんかこれっぽちも好きじゃなくてゴミ虫だと思っていたのよ」


 莉奈の髪を引っ張るのをやめた碧さんが黙り込む。

 おれは後悔した。ウソ告だと知って傷つけてしまったと思った。


「……知ってたから」


 乱れた髪の毛をそのままに、碧さんの白目がぎょろりと光る。


「一瞬浮かれたのは本当だけど、冷静に考えたらそんなはずない。小山さんあたりが吹っかけたんだと思っていたの。だから恋人アプリを利用して懲らしめてやろうと思ったんだけど、手をつなぎたいとか話をしたいとかそんなのばっかりで……なんなのって呆れて」


 碧さんはおれの真意を探ろうとして、わざとおれが入力した内容ばかりが出現するようにしていたんだ。おれはウソ告だということも忘れて恋人らしいアクションばかりを入れていた。

 だからこそ碧さんは課金を許してくれた。


「――それで? 嘘から始まった恋は本物になりましためでたしめでたし? バッカじゃないのッ」


 碧さんを突き飛ばして立ち上がった莉奈は、びっくりするほどの速さで床に転がり落ちていたハサミを掴んだ。

 やばい。


「やめろ莉奈」


「アンタなんか――ッ」


 おれが莉奈の体を突き飛ばす寸前、莉奈が投げたハサミの刃先が碧さんに襲いかかった。


「いたッ」


 悲鳴を上げる碧さん。


「おまえたちなにしてるんだッ」


 怒声とともに先生たちが教室に駆け込んでくる。校内に残っていた生徒たちも集まって教室内は騒然とした。

 両手で目元をおさえてうずくまっている碧さんに保健室の先生が寄り添っている。心配そうな声がはっきりと聞こえた。


「もしかして目に当たったの? こすらないで、失明するかもしれないから。保健室まで歩ける?」


 先生に付き添われてゆっくりと立ち上がり廊下へ出ていく碧さん。


「……血」


 青ざめた莉奈が床を差す。

 そこに転がっていたハサミの先には碧さんの血がついていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る