課金させてくれ

 最初の駅で財布を確認して受け取ったときにはもう日が傾いていた。

 プラネタリウムは後日にし、いつもの公園のベンチに座る。

 隣にいる碧さんは帰りの電車内でもずっと無言だった。

 思いつめた眼差しで俯いている。


「……なぁ、ガチャ回さないか?」


「え?」


 碧さんが驚いたように顔を上げる。不安の色が覗いていた。だから安心させるように微笑んでみせる。


「さっきはガチャがイヤだって言ったわけじゃないよ。それにいまこそガチャだと思う」


 互いに言葉が見つからず視線だけをさまよわせる。こういうときこそ空気を読まないガチャの出番だ。

 碧さんはかすかに笑みを浮かべて自分のスマホを差し出した。


「そうだね。じゃあ、回して」


 ハート形のボタンをクリックする。いつものように点滅しているのに、心臓のドキドキがいつもとは違う。

 ピロリーン、と運命の結果がでた。


『手をつないだまま一時間お喋りする』


 っしゃ。と心の中でガッツポーズした。最高の結果だ。

 碧さんはガチャ結果を確認したあと困ったように息を吐く。


「手をつないだまま話すなんて、なんだか、恥ずかしいね」


 そう言いつつ、ベンチに乗せていたおれの手の上に自分の手のひらを重ねてくる。自分のものとは違う異質なやわらかさに震えた。

 これじゃまるでカップルそのものだ。


「時間、はかるね」


 真面目な碧さんはスマホで時間のカウントをはじめる。少しくらい破ったってバチは当たらないと思うけど、その几帳面さが可愛らしくもある。


「うーん、なにを話したらいいかな。話したいことはもうほとんど話しちゃった」


 渋面を浮かべて真剣に考え込む碧さん。

 改めて問いかけられるとおれもうまく答えられない。話題なんて探せばいくらでもあるはずなのに、時間制限があると思うと貴重で重要な話をしなくちゃいけない気がしてくる。


「じゃあさ、話したくないこと敢えてを話してみるのはどうかな。たとえば、いまさっき電車の中で考えていたこととか」


 おれの提案に碧さんは驚いたように目を見開いていたけど、見る見るうちに表情が曇っていく。


「あ、ごめん困らせるつもりじゃ」


「ううん、聞いて」


 ぎゅうっと強く、手を握りしめられる。痛いくらいに強く爪を立ててくる。


「あのね、両親が離婚した原因はわたしなの。わたしの知るお父さんはとても凶暴な人で、気に入らないことがあると平気で手をあげるような人だった。わたしは何度も首を絞められたし、お母さんはわたしを守ろうと台所から包丁を持ち出したこともあった。それなのにわたしが生まれる前はすごく幸せそうな夫婦だって聞いて……」


 公園の生垣の向こうを特急列車が通り過ぎていく。巻き起こる風圧によって碧さんの髪が無造作に跳ねた。空へ舞いあがる羽毛のように軽やかだった。


「お父さんがいなくなったあとは、お母さんが言葉の暴力をはじめた。わたしはなにもかも否定されて拒絶された。なにを選び取ってもお母さんを困らせ、怒らせるだけだったんだ」


 碧さんの指先から伝わってくる震え。それを止めたくておれの手を蔽いかぶせた。どんどん冷たくなっていく。

 高校を卒業したら街を出る。そう言って瞳を輝かせていた碧さんは、言うなれば『本物』の碧さんじゃなかったんだ。そういう自分を演じていただけなのだ。


「なんでガチャに拘るのか、普通に考えれば変だよね。おかしいよね、わかってる。だけどわたしはいままでの人生になにひとつ自信を持てないの。どんなに悩んでも苦しんでも結果的に失敗して落ち込むくらいだったら、いっそのことサイコロやガチャで人生決められたほうが楽じゃないかって逃げているの。いまも鴇田くんから全力で逃げているの」


 碧さんは泣いていた。眦から頬を伝った涙が顎から滴り落ちる。


「なんで逃げる必要があるんだよ。おれはデートで財布を落とすようなつまらない男だ。好きな人に逃げられても追いかける勇気もないのに」


「ちがうッ」


 珍しく声を張り上げた碧さんは、真っ赤になった眼でおれを睨んだ。


「好きだから、嫌われたくないの」


 言ったあとで驚いたように自分の口を押える。再び目が潤む。


「……ごめんなさい。今日のわたし変だね」


 頬に涙の痕を残したまま謝っていた。

 ピーピーと時間切れを告げるアラームが鳴るまで、碧さんは泣き続けた。

 おれはなにも言えず、そっと手をつないでいるしかなかった。


「ごめんなさい、もうタイムアップだね」


 日が沈んで空気が冷たくなってきた。


「帰ろうか、鴇田くん」


 立ち上がろうとする碧さん。その手首を掴んだ。


「もう少しだけ、このままじゃダメかな」


 一瞬上がりかけた唇を無理に引き結び、碧さんは首を振った。


「……ダメ」


「なんで?」


「逃げたくなくなるから」


 ずっと逃げていたおれから、逃げたくなくなる。

 それはつまり。


「……課金」


「え?」


「前に言っていただろう。このガチャは課金制だから、お金を出せばもう一度回せるって」


「あれは冗談で」


 戸惑う碧さんの鼻先に自分の財布を突き出した。


「いくらでも出すから、もう一回ガチャを回させてくれ」


「でも」


「いいから」


 おれがあまりにも強い剣幕で押しつけたからか、碧さんは根負けしたように財布を受け取った。しかし中を開けようとはしない。


「わかった。じゃあ課金を認めます。ただし必要なのはお金じゃなくて――」


 石鹸の匂いがひときわ強くなる。背中にしがみついてくる感触でようやく碧さんが抱きついてきているのだとわかった。


「ぎゅってして。背骨が折れそうなくらい強く」


 腕の中で言われるまま碧さんの背中に腕を伸ばした。背骨が折れそうなくらいの気持ちだけを込めて。

 特急列車がまた通り過ぎる。風で碧さんが連れて行かれないよう、かたく抱きしめて離さなかった。


「ありがと……ガチャ、まわして、いいよ」


 か細い声が耳元で吐き出される。

 もはやガチャなんてどうでも良かったけど片手でスマホを操作した。

 ハート型のマークが規則正しく点滅してピロリーンと結果を吐き出す。


「――……」


 中身を見たおれはすぐさまポケットにしまいこんだ。


「なんだった、の?」


 ガチャに忠実な碧さんの口をそっと塞いでやる。


(大したことじゃないよ、あおちゃん)


『次のガチャまで互いの名前を呼び捨てにする。ただし土日に当たったときは「あおちゃん」と「はるくん」の仇名で呼ぶ』

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